本当に今更ですが、イブはドライブでした。
今年は彼女と呼べる方も存在しませんので、
倉都(とにかく落ち着きがない)、武田なつき(天然)、山崎(和歌山とみかんを強調しすぎマン)
という脳味噌が沸騰しかかっている3人どもを引き連れて
某ホテルでバイショーとしゃれ込みました。
山崎と音を合わせるのは多分1年ぶりだったのですが、
もはや別人でした。
間違いなくこの独り身カルテットの音楽面を引っ張っていったのは山崎でしょう。
ダークやってこんなに変わる人間もいるのですわな。
ほとんど変わらん奴もおるわけだが。
倉都はジャズバード見た時も思いましたがリズム面で課題がありそうです。
武田なつきは楽器に触れる時間をもっと増やさにゃといった感じです。
いまさしは定演前から続いている右手の炎症をなんとかせにゃといった幹事です。
そういえば、ホテルに到着するまでの車で
当バンドは独り身トリオ+1だったはずが実は独り身カルテットになっていることが発覚し(もう言っていいやろ)、その時に
「もうどうしようもないですね」
と言った棒読みの女がいて、あいつのセンスはたまに神がかっている。
本番は、
司会のおっさんの無茶振りに愛想笑いで答え
ヒゲのズレまくったサンタに大笑いし
ラストに参加者全員で手繋いで&円陣で歌いだしたのを見て冷笑し
子どもの前で衣装を脱ぎ始めるサンタに苦笑して
こんなに笑って時給にするとトンでもない額の給料もらえるのだから、実においしい話であります。
その後は1ヶ月前にこの話をもらった瞬間に閃いた
(さすがジャズ系イベント部部長である)
「バイショー用に借りた(他人の金)レンタカーで琵琶湖に行ってケーキ食ってシャンパンを飲もま~いツアー」
というプランを実行しました。
さとまり大雅しげるあたりも誘ったら全員で声を揃えて
「オレたちゃ一匹オオカミだ!!ほっとけ!!」とか言い出すもんだから
後輩3人の人脈をフル活用して電話を掛けまくり、ひっかかったのは丁度電話をよこしてきた丸さんと、当時山科にいたまっきーとせなちゃんでした。
もうすっかりできあがっていた丸さんは赤信号で止まっている車から勝手に降りるなどそのめんどくささを如何なく発揮。
もうすっかり棒読みだった武田なつきは窓を開けようとして替わりにドアを開けるなどその天然ぶりを鬼神の如く見せつけておりました。
もはや県道で90キロ出すだけでは全く太刀打ちできないレベルです。
とにかく鞠小路で特大のケーキを買った時と、MaxValueという特大のスーパーを発見した時の車内のテンションの上がりようは間違いなく日本一でした。
琵琶湖対岸の夜景を何を思ったかフラッシュで写真に納めようとする女連中を見て
「ひのきの棒とステテコパンツとおなべのフタでムドーに単身で挑むハッサンのようだ」
といたく感動し、
ちょうどキリストが2008歳になった瞬間に琵琶湖に向けてシャンパンを開けました。
そこで何の話をしたかはさっぱり覚えておりません。
恐らくたいした話はしなかったのでしょう。
当初「1時には帰らんとキツい」と言っていた倉都も「どうせ琵琶湖行ったらそんなことすっかり忘れるやろう」という俺の思い通りに事が運び、ケーキを寸分の狂いもなく7等分し、倉都がめんどくさい感じに酔っぱらい、MaxValueへの道を教えてくれたサークルKの女店員にどうしてもお礼がしたいという丸さんの願いを叶えて、ドライブマスターいまさしの指揮による京都大学独り身オーケストラはその全活動を終了しました。
おちまい。
結局イブは3年連続でドライブでした。
こういう楽しみの方が自分に向いていると思います。
・山野へ行こま~い
・砂丘の朝日を見よま~い
・忘年会をしよま~い
・イブに琵琶湖行こま~い
に引き続き
・ジャズ系マリオカート最速を決めよま~い
・桂離宮へ行こま~い
・天橋立に行こま~い
というイベントを本気で企画しております。
ご参加の意思はいまさしまで。
2007/12/31
琵琶湖で詫びろ
2007/12/29
beauty & stupid その02
んで、
ダーク2006に関してはほぼ全てのライブを見に行ったし、
合奏もしょっちゅう見学に行くわ、行ける飲み会は躊躇なく全て参加するわで、
主に山中やいがっちょ、岩波レイとしゃべり場も真っ青な真面目な音楽論で話をしまくった。
ただ、
「助言かお節介か」という問題はダーク2006と付き合う上で
1年間ずっと悩みとして頭に在り続けた。
2006年も末にになってくると、こう思ってくるのである。
「ひょっとしたら連中にとって、俺がやってることはただのお節介だったのかもしれない」
タイミング良いことに同時期に自分が就職活動やら研究室を経験する中で
「もうあんま難しいことを考えんとこう。シンプルに楽しく生きよまい」
という思考パターンになってしまったことが400%でシンクロしたおかげで、
2007の俺は小難しい音楽論に関する話を全くしなくなった。
mixiの日記も随分趣向が変わった。
ふとしからは「キャラ変わりましたよね」と言われた。
千葉はそんな俺に「不安です」と言った。
人間改革を果たしたとかそんな大げさなものじゃなくて、単に
「今年はアホっぽいことを言うのが俺のブームです」
という単純な話なので、
俺という人間が変わったというよりも見せ方が変わっただけ。
「これが俺にとっての正解だ」
という信念は、大昔と今でも対して差がないんだから。
だから不安になるようなことじゃないと、思って、るんだが、いかがなものか。千葉。
話が逸れた。
2007年に俺が小難しい話をすっぱりとやめたのは、
俺がダーク2006に対してやってきたことが、良かったのか悪かったのか、ずっと答えが出ていない
ということが理由として大きかったのだ。
そんなことだから、
つい先日の忘年会でいがっちょから
「感謝してます」
的なことを言ってもらえたのが、もう最高に嬉しかった。
ただ、「はよ言え!!」とも思った。
真剣な音楽論を口にしなくなってから、俺は急激にモテなくなったからである。
(女にという意味ではない。まぁ含んではいるが。)
まあ、モテ担当はもう来季の3回生~M1にまかせたらいいのは事実である。
とりあえず最近は
倉都と木本がダークやったらいいのに(NGワード)
っていうことを考えている。
beauty & stupid その01
2005年12月11日にダーク2007という団体が姿を消してから気分はもはやOBということで、
51%は身内として、49%は他人事として次の年のダーク人選に興味を持つようになった。
刻一刻と進む山中の采配に
「あいつならいいね」
「え、それはないでしょ」
みたいなことをOB同士(といっても3人くらいか)でいちいち話題にしていたような覚えがある。
プレーヤー的な側面は当たり前として、それとは別に
「こういうキャラがいるとバンド運営上一気にやりやすくなる」
「逆にああいった人間がいるとやりにくいよフルバンって」
的な知識は、C軍を2年間やったこともあり後輩に言えることがあるだろうと思った。
まぁそういうことを言い出すと結局「今橋みたいなのはやめといた方がいいよ」
という結論になるので声を大にして言えないところがあるのだが。
おおっと、東京では自虐ネタは敬遠されるのだった。
気をつけねば。
結局、ワァタシの記憶がたぁしかならば、
人選に関して俺個人の意見は山中に一言も言わなかった。
(今となっては誰に決まった時に「そらないわ」と思ったのか、
代わりに俺が誰を推していたのか全く記憶にないのだが。)
長くフルバンを経験した者として助言が有意であると(一応)信じてはいるが
(そもそもそんな意識がなければ助言する意思など生まれないはずだ)
(もちろん俺らとしても、こうじゃなきゃダメと言いたいわけではなく、こうなる恐れがあるよ、というレベルの助言のつもりであることは承知だ)、
これから山中が自分のバンドを創ろうとしている前に、
それがただのお節介になるのかならないのか、
その判断がつかなかった、というのが実際の理由である。
「助言」になるのか「お節介」になるのか。
ここらへんが、後輩と付き合う上でヒジョ~に難しいっすねぇ。
みたいな話を、当時西畠や泰静と頻繁に交わしていたなぁ。
まぁ俺らに後輩から疎まれるリスクに対抗する勇気がなかったというのも、ひとつの事実だと思う。
今年の定演が終わってから、今度は山中とそんな話をした。
先輩と後輩の関係ってのは輪廻していくんだなあと。
おもしろいね。
その02に続く。
2007/12/28
日常生活に潜むリスクマネジメント
mp3ファイルの再生はもちろんのこと、
ライン録音可能だからデジタルで音が出る事実上のすべての機械から録音が可能。
しかも同時進行でmp3に変換してくれる。
USB端子が内臓だからPCにつなぐといってもいちいちケーブルを携帯する必要は皆無だし、
その気になりゃ日本はおろか海外でもFMラジオが聴ける。
マイクが内臓だからボタン操作だけで会議くらいのレベルだったら楽勝で録音が可能。
携帯灰皿サイズの小さなボディ。
そんな織田信長が現代に生きていたら真っ先に飛びつくような
夢のような製品が2年まえに発売されまして、私も随分お世話になったものです。
特に、
・就活の面接を録音
・MDの録音をmp3変換
において鬼神の如く活躍してくれました。
名をiriverのT20という。
壊れやがった。
さっき豪雨に抵抗しながら必死で原チャで研究室に来たのですが、
ポケットからしっとりと濡れたT20を確認しました。
おもしろいほど電源が入らねえ。
前々から気づいていたが、
どうも俺はリスク対策行動をとることがびっくりするくらい下手糞である。
雨が降っているとなれば、そんなものは鞄に入れるか、
あるいはポケットに入れるとしてもしっかりと口を締めるくらいのことはしても大した労力ではないのに。
なんでそういうことをしようとしないのか。
さっぱりわからん。
さっぱり妖精。
ウッベを横に倒すのがめんどくさいと思って縦に立てかけておいたら
ズルズル倒れてネック折るし。
あの時は楽器庫前で一人地に伏して悲しみを表現した。
浪人中、ポケットに裸で5000円入れといたら落としたのも、
財布に入れりゃあいいだけの話だった。
こんな例を出したら枚挙にいとまがない、ずぼら星雲の寵児いまさしさん。
ものの1秒くらいでできるはずの細かい気配りを怠ったせいで、
その後何倍もの時間と、そして金を無駄にするこのアンバランス感が、
なんだか不思議だなあと思いました。おちまい。
ニューヨークからの使者
今日はバイト先→Love☆我が家のルートを、
大通りではなく、敢えて細ッッい道を選択して帰ってみた。
向上心が日本人平均の√2倍あるいまさしさんとしては
はたして今のルートが最速なのか?
という疑問は常に頭を悩ませる問題だからである。
信号が全くないので、
十字路で直交車線からの車とドンピシャのタイミングで鉢合わせた場合には
もちろんどちらか一方が譲らなければ日本はエラいことになる。
今日は、3回そのようなケースがあって、3回とも先を譲ってみた。
心が太平洋だからです。
(会釈などの)お礼をされた確率 = 0%
シェー 「( ̄□ ̄;)」
別に俺はここで礼儀が大事だ!!とか言いたいのではないし、
礼をされなかったから譲った甲斐がなかったわ…とか言いたいのではないが、
礼って自然としたくなるもんじゃねえのか!!?
俺のバイト先に聾唖(耳が聴こえない)の人がいるが、俺はその人と挨拶する時でも声を出す。
もちろんその人には全く聞こえちゃいないし、
表面上だけでも口が動かしときゃ相手も喜ぶだろうとかじゃなくて、
俺が声を出したいから出しているのだ。
エレベーターでドアを開けて待ってくれた人がいたり、
誰かに道を譲ってもらったら、
「笑ってありがとうと言うのが礼儀」とかいう話以前に、
ありがとうと言いたくなるもんやろ!!
そうした方が自分の気分がいいやん!!
だから、礼をされなかったことじゃなくて、
礼をしたくなる気持ちが涌かない人ってのが悲しいんだぜ俺はよ!!
俺がN.Y.にイって一番のカルチャーショックだったのは、この挨拶という点だった。
表面上だけなのか本心からなのかどうかは全くわからないが、
みんなやたら愛想が良くて、街を歩くだけですごい気持ちがよかったんだ。
京都を都会と言えるかはかなりの疑問だが、
石垣島という超田舎でも、問題は一緒だった。
道譲ってもあいつらほとんど会釈しやがらねえ。
ひょっとしたら日本という国全体がそうなっているのカモしれない。
とにかく、上記3人のドライバーには、
たいしたツラしてねえんだから、せめて愛想笑いくらいして感じ良くしとけ。と言いたい。
2007/12/27
僕らはひまわりへ向かうだろう
どこに出しても恥ずかしくない人間というのがたまにいる。
仕事はデキるし、
話はうまいわ、
礼儀も知っているし、
とりあえずミスがない。
それらの人の共通点として俺が考えているのは、
「基本に忠実」ということだ。
般ピーが2段飛ばしとかでとっとこ歩いていく階段を、着実に1段ずつ昇っていく感じ。
隙が無い。
ずぼらさが無い。
研究室と、バイト先の先輩にそういう人がいた。
これは深谷が言っていたのだが、
フジテレビの8次面接を突破し内定を勝ち取った人と話したことがあるという。
その人は一言で言えば「完璧」だったらしい。
ところで現実問題として、俺自身、プライベートでそういう人たちと仲良くなることは、まずない。
類友の法則という言葉は嫌いだが、
やっぱりそういった因果関係が裏で糸を引いているのだろう。
極端にずぼらな俺はやっぱりどこかヌけてる連中とばっかりつるむことになる。
なるほど、俺の一生の付き合いになるであろう土佐高とかジャズ系の連中を眺めると、
完璧な奴なんてまるっきり一人もいないのである。
俺の理想の人間像が、そういった「完璧な人間」ではないことは明確で、
ともすれば俺たちは各々が持っている理想像に向けて
知らず知らずのうちに近づいていっているのだ。
逆の言い方をすれば、今の自分というのは自分の理想像の縮小線上にあるのだ。
自動的に。
と考えると、自分探しで苦悩することがアホっぽくなってくるでしょう。
俺自身はそんな悩みを持ったことが1ミクロンもない男だが。
今の自分の延長線上に理想像があると実感できない人はどこか歯車が狂っているのだろう。
2007/12/25
Derringerに恋した男 その02
楽器屋からチャリを片手で押しながら肩でウッベを担いでハァハァいいながら帰っていると、
丸太町沿いの花屋さんを通り過ぎたとき
「大変だねえ」
とか声をかけてくれたのがうれしかった。
と思いきや、
その花屋を10mくらい通り過ぎた時に隣にキキッとトラックが止まったもんで
何事かとびっくらこいたらその花屋さんがウッベとチャリと俺を積んで行ってくれるという。
読者諸君は、ここでむせび泣いて欲しい。
こういう経験をすると、
「俺も人にやさしくなろう」
と思えるから、とても素敵だ。
回想録を書くとこういう経験を思い出すきっかけになるもんで、
これはブログを書く一つのメリットかもしれない。
まぁそんなこんなで俺はウッベという楽器が大好きだ。
ダーク2004年のある合奏の日にぶっ倒れそうな風邪をひいてしまい、
「バンマスたるもの風邪で合奏を休めるか!!」
と気合入れてチャリでウッベを運んだら
(当時は楽器庫ではなくぱもじゃのボックスに楽器を置いていた)
やっぱりフラフラでバス停のベンチに「ゴン」とぶつけて穴があいたこともある。
修理費20000円だった。
新しいウッベを買って2ヶ月で「ガン」と倒してしまいネックを折ったこともある。
修理費47000円だった。
ちょっと調整するだけで5000円もとられる。
たまに鴨川に放り投げたくなるくらい手間のかかるこの楽器が、なんでか大好きだ。
たぶん、一生大好きだろう。
そんで、ウッベを弾くきっかけをくれたブランキーもやっぱりずっと大好きだ。
たぶん、一生聴き続けるだろう。
ブランキーがなかったら俺はジャズ系にいなかったかもしれない。
2007/12/21
Derringerに恋した男 その01
つい先日、いまさしさんとベースとの関係をメランコリカルにかつ激しく語ったところである。
ワタクシは何かにつけてBlankey Jet Cityが大好きなわけで、
というかブランキー以外は大嫌いなわけで。
オット冗談。言い過ぎてやったぜ。
高1の時に澤良木に「国境線上の蟻」を借りたのがきっかけだったと思うが、
同時期に仙ちゃんもブランキー好きだということがわかって、
「この男のセンスには絶対に、間違いがない」
と今でも思えるこの世でただ一人の存在である仙ちゃんのハマりは
そっから高校3年間は文字通りブランキーしか聴かなくなるほど俺に影響した。
そう言えば高3の後半になって平川から借りたSlipknotも聴き始めたな。
京都でローニンしてる間はもちろんベースなんて持って来てなかったので、
俺が音楽的発散として選んだのはドラム、というよりスティックだった。
SlipknotのLeft Behindをプレイヤーで延々とかけて、
頭ぶんぶん振りながらスティックを振り回していた。
標的は枕とベッドだった。
想像するとかなりイタい絵だが、ドラマーの個人練はみんなこんな感じだろう。
まぁ恐らく100回以上聴いた(そして叩いた)おかげで
Left Behindに関してはドラムのパターンを完璧に覚えたものだ。
しかし今までその知識が役立ったことは一度としてない。
何の話だ。
まぁそんなもんだから大学入った4月に、ぱもじゃの新入生ノートに
「好きなアーティスト:Blankey Jet CityとSlipknot」とだけ書いて、
佐々木さんから
「こんな奴おるわけがない」
と言われることになるのである。
話は戻るが、高校時代のブランキー仲間である前述の澤良木が屋上から
昼休みとかでグランド出てた俺に向かって
「お~いいまはし~」
とか言いながら「彼女は死んだ」のウッベのラインをバコンバコン弾き始めるものだから、
「あのヤロウ…」
とウッドベースという楽器に漠然とした憧れを抱いたのである。
そしてブランキー解散直前に発表された「Derringer」のPV(照井がウッベを弾いている)を
「世界で一番かっこいいPVだ!!」
といたく感動して毎夜のごとく見まくっていたもんだから、
憧れは余計に募るのであった。
ただ当時の俺は全部員50人(くらい)中男が3人とかいうオケ部に入るだけの度胸はあいにく持ち合わせておりませんで、「死ぬまでにいつか弾きたい」くらいに思っておったと。
そしたら大学入ってぶらぶらしとったら、ルネ横(当時はそんな名称など知るはずもないが)で
ウッドベースを弾いてるおねぃさんがいるではないか!!
話かけて、ジャズ系たる存在を知る。
それから俺がジャズ系に入会するまで1年半を要する。
理由は「飲み会が怖すぎたから」である。
なんともかわいい男ではないか。
それがバンマスやって飲み会の度に何十杯というビールを飲むようになるんだから
人生何が起こるかわからないものだ。
それまでぱもじゃで好きでもないハードロックのベースばっかりやっていた俺に
太朗さんから
「ジャズをやれ」
という神託にも近い指令を頂いて、
同時期に寺町の楽器屋さんでウッベが6万円でゴロンと転がっているもんだから、
「こらァ神様が俺にウッベを弾けと言っとるんだわ」
と思わない方がどうかしとる。
そのベース、実は商談相手が既に決まっていたので諦めたが、
数週間後にもうずっと相手から連絡がないとかいうことで、結局譲ってもらえることになった。
ビバ劇的。
このストーリーで映画化→大ヒット→印税生活としゃれこみたい気分だぜ。
その2に続く。
2007/12/19
Dが終わる #02
「定演の打ち上げで、なぜコンマスとバンマスは涙を流すのか」
ということに関して大論文を執筆してやったが、結論がアホっぽかったので消した。
4回生以上の人はある程度知ってると思うが、 こう見えて俺は結構な泣き上戸である。
2004の自分がバンマスの時は定演演奏中のラスト3曲くらいはボコボコに泣きっぱなしだったし、
その打ち上げでのスピーチでもバキバキに泣いた。
2005の打ち上げではヒラのくせに4回生ということで前に立って喋らされた時にバコバコに泣いたし、
今思い出したけど2003のD軍が終わった定演打ち上げでもドコドコ泣いた。
3か月しかいなかったのに。
あとこれは自分でもなんでかわからんが、 2005ダークの長野遠征のBlow By Blowでソロとってる泰静を見ながら手拍子叩いているちゃっかを見て密かに泣いていたという思い出がある。
ぱもじゃでやってたマスオというバンドのラストライブでもライブの半分はぐしゃぐしゃに泣いていたし、
実は今年のNFでも、ピストンがラストライブやって、Sir Dukeの時に後ろを向いて泣いた。
2004の天理ALSのリサイタルを見てボロボロに泣いたし、
2005定演はD軍井本のHay Burnerでさめざめと涙したし、
2006定演はダークのRockin' in Rhythmの最後のテーマに入る直前のベースがハイポジションになるところでぶわっと泣いた。
今年の山野では倉都がソリストマイクに向かって歩いて行くところから既に泣いていた。
要するに俺はだ、「これで最後だよ」という覚悟が必要な場面でヒジョーに涙もろくなる。
(倉都の例は違うが)
さすが「ジャズ系1のロマンチスト」を自負する男である。
俺が考える「男に必要なものランキング」のベスト3くらいに「ロマンス」がある。
ロマンスが男を泣かせる要素だとしたら、俺はやはりロマンス溢れる男であると言うことができよう。
ランキングベスト1からベスト10までをいつか公開しようと思っているが、今しばらく時間を頂きたい。
ただ、映画とか小説やらといった作り物では、俺はほとんど泣かぬ。
その中でも漫画とゲームは比較的泣く部類に入る。
今年の定演ではもはや現役組とも歳が離れすぎておるものですし、
「まぁ泣くことはないだろう」
くらいに思っていたら、
D軍のアンコールMCでザンギエフが言葉に詰まり、
そしてFlight of Foobirdがテーマに入った瞬間に涙を抑えきれなかった。
オット、10分後には自分の出番だったぜ。
俺はなんと後輩想いの先輩なのだろう。 わっはっは。
打ち上げではドッカンドッカン泣いてる大雅を見て胸が熱くなったし、
智子が丸さんの前でガッチャンガッチャン泣いているのを見て「なんで俺の胸で泣かねえんだ」
「こいつには一生このまま素直なままでいてほしい」
と思ったし (俺がどう思おうとこいつは勝手に一生変わらない気もするが) 。
こいつの素直さは見てて感動するなあ。
別に俺は泣きたがりでもなんでもなくて、
必要が無いなら涙なんてなくていいと思ってるくらいだし
ただ、
素直に泣いてまう自分が好きと同時に、
素直に泣く奴が好きだ。
お涙頂戴ムードが嫌いだと普段から豪語しておられる方たち、
一年に一日くらいはそのことを黙って耐えて頂けないだろうか。
2007/12/17
Dが終わる #01
定演でゴザった。
いつになっても定演はいいものです。
ジャズ系の連中周りのmixi及び木本ブログの沈黙ぶりがすごい。
なかなか言葉にできないもんね。
今気付いたが、
俺の知ってる限りM2にもなって定演に出た奴は俺くらいかも。
あー、丸さんも25か。
新日本人は個人的な出来は30%くらいだった。
すでに1曲目から調子が悪すぎたので(左手が最初から攣りそうだった)、
もはや絶望的な気持ちで演奏しておりました。
録音聴いても
「アチャー ヽ(  ̄д ̄;)ノ 」
と感じる場面が山の如しだが、
ラストのBlues For C.T.は最高に楽しかった。
総じてライブ自体もなんか良かった気になる。
俺ァ、あの曲大好きだ。
思うに、山中とよく話していた
「新日本人というバンドはこういう音楽をしていきたい」
という理想にかなり近く、そしてお客さんもそれを感じてもらえるような、
そんなライブができたはずだ。
ということにしておこう。
俺はずっとそれを「ポップ感」だと言っている。
上手いジャズもいいが、それ以上に「良さ」を感じれるようなバンド、
そういう意味で「ポップ」という言葉を選んだ。
そして、そもそも俺個人がそういうプレーヤーを目指している。
だからというわけでソロでネタを仕込んでいるわけではないのだが、
そのポップ感を表現するベース技術がいまだに無いもんで、結局ネタに走ることになる。
逃げです。
まぁ、プロじゃないんだし、ええか。
ということにしておこう。
そういえば、
さすがにもうドラクエはできんわなと思い、
「日本人なら誰でも知っちゅう歌を適当に挙げてくれんかの」
と電話で聞いた俺に
「幸せなら手を叩こう」
という回答をよこしたおかん(高知在住)にただならぬセンスを感じた。
それを聞いた瞬間に、
「たまにドラムの人とかロックのボーカルの人がやる、客とのコール&レスポンスをベースでやる」
という俺の長年温めてきた夢が叶った。
いや~興奮したね。
おかんを新日本人ナンバー5に認定しよう。
みなさん手を叩いてくれてありがとうございます。
誰も叩いてくれんかったらその場でベースと一緒に首吊って死のうと考えていたから、
ひと安心したぜ。
2005年の4大ライブ(セレクションのDancing Menベーソロでネタやりまくったやつ)
以来のハイライトを迎えることができた。ような。気がする。
「幸せなら手を叩こう」
活動を終えるダーク2007とD軍2007に向けてのメッセージのつもりでした。
それと演奏中、舞台袖でマンショが「お前アホか」というくらいノリにノってたのが目に入って、
スーパーハイテンション状態になった。ああいうのは最高に嬉しい。
これから最後のライブに赴く奴があんだけはしゃいでいることに感動を覚えたわ。
マンショを新日本人ナンバー6に認定しよう。
あとネタやった時に大雅がニヤニヤしてたのも嬉しかったなあ。
あいつを新日本人ナンバーlog2に認定しよう。
自分周りに関してはこんくらいかな。
そういえば、イントロで山中がスベりまくってたのがおもろかった。
あいつはスベってもイタくないのがすごい。
というか、ずるい。
ありゃあ多分あふれ出る愛嬌のせいだろう。
あれでさらに自己フォロー技術を磨けば、ふとし並みの最強MCになるような。
2007/12/14
僕の心を取り戻すために
D軍ラストライブv.s.京都バーニング楽団はどうやら盛況だったようで。
Skin Deepのドラム&ベースソロが。
ライブ2時間前に急に「ベーソロやれや」と言ってきた福井にKA☆N☆SHA。
俺たち実は付き合っています。
飲み会ではふとしに
「これが社会人風の酔い方か」
と学生陣を唸らせる酔っ払いぶりをさまざまと見せ付けられながら、
「あァいう遊び心がネ?大事なんでスよォ」
みたいな褒められ方をしたが、普段から嘘っぽいあいつが当社比30%増しで
余計に嘘っぽくなっていた。
ドラクエは俺の専売特許だから特許料を払ってもらうとしても、
みんななんでソロ中にもっと遊ばないのかなあというのは常々思っております。
好みでしょうかネ。
※注意:俺ほどやりすぎるのも正直どうかと思います。
趣味がほとんど合わない俺と福井だが、
音楽で遊ぶという意味では俺たちは相性が極めていい。
俺たち実は付き合っています。
ただ、ライブ全体は。個人的に20%くらいのデキでありました。
ライブ終了直後は超機嫌悪かったです。
そんでワインのラッパ飲みとしゃれ込むいまさしさんでした。おしまい。
という反省を活かしつつ、
「定演くらいは素晴らしい演奏をしよま~い」
と意気込み、昨日から名曲X(企業秘密)を延々と聴いてはベースラインを譜面に起こすという、
実にミュージシャン冥利に尽きる作業を続けております。
-以下余談-
知らない人には是非々々お勧めしたいのですが、
非常に気分が憂鬱な時は、音とりをしてみて下さい。
だいぶスッキリします。
俺は2005年にこの方法を発見しました。
-以上余談-
昨日から聴いてるその名曲Xのネタですが、
「かっこいいこと山の如しであることよ(ベースが)」
と思っていたら、クレジットみたらChristian McBrideでした。
どーりで。
俺からは絶対生まれてこない珠玉のフレーズばかり(当たり前だの前田ガン)。
感動のあまり譜面が涙でにじむぜ!!
読めん!!
ジャズ始めたてのころ、
事務ホールと論カーターのデュオ(アルバムAlone Together)収録の「枯葉」を
譜面に起こしてアホみたいに弾き続けたことがあって、
今思えばあの時期が一番成長した時かもしれない。
あれ以来、実に3年くらい、ダラダラしてきた気がする。
ダーク2年もやったもんだから、そら曲のコピーは腐るほどやったけど、
「このベーシストの思考を盗むんだ」
というつもりでコピーする経験を随分怠ったなあ。
もはや手癖でしか動けなくなっていた俺。
昨日と今日で、随分自分の演奏が変わる気がする。
定演前に気付けてよかった。
2007/12/13
メガロマニアが交錯する僕ら
悩んでいる奴が好きだ。
壁にボコボコ当たりながら、「なんでやねん!!」て苦しんでる奴を見ると、
ムショーに応援したくなる。
どうしたらあの子を射止めることができるのかとか、
そんなしょぼい悩みじゃなくて。
自意識と周辺環境とをどう擦り合わせるかっていう悩み。
その摩擦で火傷しまくっている奴。
俺にそういう時期があったから余計にそう思うのかもしれない。
2005年、バンマスやってる時に「コミュニケーション不全症候群」なんて本を読んだりした。
まあこの本は全く見当はずれもいい本だったけど。
それを見て浅田が心配してた。ちょっと嬉しかった。
もう二度と経験したくない時期ではあるが、
今となってはあの時期を経験したから今の俺があるんだなと思える。
何がきっかけか知らんが俺の場合、
「世の中全部自分のせいだ」と思うことで
かなり周囲との接し方が変わった。
でも、きっかけは人それぞれなんだろう。
世の中随分世渡り上手な人もいるもんで、
(俺のことをそう思う人間もいるんだろうが)、
たしかにそいつらといる時間は楽しいもんだが、
俺は最後には「苦悩する不器用」と一緒にいることを選ぶ。
一緒にいて笑いが止まらんくらいおもろいとか、
そういう連中ではないんだが、
なんでやろうな。
たぶん、
間違いなくそいつらは真剣に生きてて、
間違いなく純粋だからだ。
俺はそいつらに何かひとつきっかけを与えられたら、すごくうれしい。
2007/12/11
They're D.B.N.S.O.2007 その2
ところで、ラストライブで「すげー!!」と思ったのは以下の人たち。
・こまいぬ
あの集中力は見習いたい。
プレーヤー意識が伝わってくる。
上手いという点では申し分ないのだが(近年の京大サックス陣の中でも抜群)、
ちょっとおもしろさに欠ける。「上手い」以外の要素がほしい。
ただこれは過ぎた要望カモネー。
・瓜倉
やっぱりAトレのソロが神がかってた。
ただ、いいソロと悪いソロの差が激しすぎる。
3時間の長丁場を考えると仕方ないのかも。矢ガモ。
・清水
個人的に唄い方が好き。もっとソロがあっていいはず。
ミディアム~ファストのスイングも全部バラードになってしまうのをどうにかできないか。
BS対バンの時にそのことを伝えたが、解決には向かってないようだ。
・岩波レイ
文句なく激うまい。
ただサウンドがビッグバンド(というかエリントン)ぽくない。
山崎との相性が良くない感がある。さらに言うとバンドの中でベースだけやたら浮いて聞こえる。
管楽器を追い立てるような演奏。
恐らくベースは管楽器を盛りたてるような演奏をすべきだ。
みっさきーのエイスベイル聞きたかった~
邪魔しにいった打ち上げで山崎が「あと一週間、どういう練習したらいいですかね?」
と福井に聞いていたのに横やりを入れる形で
「性格矯正ちゃう」
と言った。
ちょっと冗談的なニュアンスではあるが、俺は見当はずれなことは言ってないつもりだ。
性格がモロにでる。
演奏とはそういうものだからだ。
逆に言えば性格が変われば演奏が変わるのだ。
ここでいう性格とは、「どういうつもりで音を出すか」という意識のこと。
体験談を紹介する。
ダーク2005の10月だったか11月だったか、ある合奏中。
「一音一音すべてで、客全員を黙らせるほど、かっこいい音を出そま~い (ノ^∇^)/」
というつもりで弾いてみたとたん、メンバーからの評判が劇的に向上した。
ある者は涙し、ある者はスタンディングオベーション、女は全員脱ぐという形で、
その場の全員が最高の賛辞を俺に送ったのであ~る。
そういう「つもり」にたどり着いた以前と以後でなにも優れたテクニックが身についたわけではない。
だって、合奏中の出来事なんだから。
「つもり」の変化が劇的に「音」を変えうると、そういうお話。
前号でいう「引き出し」に当たるのかな。
下地さえできていれば、あとはイメージ力の勝負です。
たぶん、音楽はそんなもんだぜ。
ダークの皆さん、あと1週間でイメージの熟成を試みて下さい。
成長を期待しています。
でも、本人たちに伝えないと意味がないカモ~
They're D.B.N.S.O.2007 その1
ダークのラストライブに行き申した。
あんまり言いたくないのだが、残念なライブでゴザった。
今まで散々「今年のダークすごいすごい」と言い散らかして来たのですが、
今年初めてホール以外のハコでダークの演奏を聴いて、
バンさんが言ってたことがようやくワカタでゴザる。
「管楽器に関しては超素人」の俺が言うことだが、
リズムに対する認識が甘いという印象をぬぐいきれない。
というか、
そんな細かい話になる以前に、
「プレーヤーとして成長」した人間が破滅的に少なかった気がするでニンニン。
清水、こまいぬ、瓜倉、みさっきー、まんしょあたりは「おおっ」と思うところがあるんだが、
これらのメンバーとそうでないメンバーの差が激しすぎる気がするで早漏。
-以下ダークを例年見てきて思うこと ヽ( ´ー`)ノ -
ダークは他大学のフルバンより曲が多い。
今年はななななんと28曲ご奉仕出血大サービスだったらしい。
(参考:同志社-10曲…まあそれもバンドとしてどうかと思うが)
思うに、学生フルバンという1年の限られた時間という制限条件の下、
いたずらに曲数が多くても、全くロクなことがないぜ。
今年はそれがもろに「一曲一曲の詰めの甘さ」につながっている。
曲練に追われて、演奏技術を磨く暇が持てないメンバーが大半だ。
俺は「演奏技術」を2つに分けて考えている。
ひとつは「基礎技術」、もうひとつは「引き出し」である。
「基礎技術」は、いわゆる譜面通りに吹ける技術のことである。
例えばドンカマに合わせて「パッ パッ パッ パッ パッ パッ パンツ」と吹けるかどうか。
モタるとかハシるとかいう駄目だしはこの部分を意識したものである。
「引き出し」とは、いわゆる唄い方のことである。
バラードとミディアムでは必要とされる唄い方が全く違うのは周知の通りだし、
おなじミディアムでも曲によっては「軽快に」あるいは「2-4をタメて」とか「淡々と」、「感情豊かに」
というイメージの使い分けが必要とされる。
この「引き出し」を多く持つ人ほど音楽的に空気が読める。
そしてこの文を書きながら気付いたことだが、
「基礎技術」は「できること」に対応し、
「引き出し」は「したいこと」に対応する。
「したいこと」は「できること」を生み出し、「できること」は「したいこと」を可能にする。
鶏が先か卵が先かワカンナイという話と同じで、
この両者は相互作用しながらぐるぐると成長していく。
1年という限られた(そして短い!)時間の中で最大限成長するためには
どうしても「効率的に成長する」という視点が必要である。
場当たり的に曲数こなしたらそのうち上手くなるやろう-たしかにそういうプレーヤーもいるんだが、
あいにく16人全員をそんな人間で揃えるのはまぁ不可能だ。
なもんで、
「今バンドにとって、「できること」「したいこと」-どちらが優先的に必要か」
ということをしっかり認識して対処していくことが必要だと思う。
-以上前置き-
「基礎技術」「引き出し」の2者で表される「演奏技術」は結局何のためになるのかと言うと、
それはつまり「対応力」につながるのである。
曲数がいたずらに増えると、とりあえず形だけでも整えることが急務になり、
その場しのぎのテクニックだけが身につく。
本当はそのテクニックもプレーヤーの意識次第で「対応力」に昇華することが可能なんだが、
それに気づける人間ばかりではないらしく、
ダーク1年やって上手くなる人と、上手くならない人の差は、恐らくそこにある。
なんか今年は後者が多かったような気がするようなしないようなするような。
理想を言ってしまえば、前期の間に「対応力」を成熟させることができたら、
それ以後はどんな曲をやっても、くどくどパー練とか曲練しなくても、
勝手にカッコ良くなるはずでしょ、というお話。
…という話をけーじさんにすると
「そらそうやけど、学生じゃ無理やろう」
と言われたが、
まぁ学生レベルでできる範囲でそういう方向性で成長するのは有効だと思います。
以上が自身が2年間ダークの管楽器を見てきて、感じたことでアリマシて、
俺がダーク2008のコンマスやるとしたら、こういうことを意識するだろうな、
とそういう話でアーリマン。
後半に続く。
2007/12/09
独善的に自分のセンスをアピールしてみる
D軍2004はサブネームとして「ビッグバンファイターズ」という名前がついていた。
実は俺が考えた名前である。
しかし俺はすでに2004年にはD軍にはいなかったという奇妙な事実が存在する。
俺がD軍に在籍したのは2003年の9月からであって、
入団当初のおD軍には当時の風潮を十二分に表す
「鬼ドランカーズ」
という名前がついており、ネーミングセンスの微塵も感じなかった俺は
「この名前ださいがな。ビッグバンファイターズに改名しよまい」
と(8割冗談で)言い続けてきたのだが、結局誰にも相手にされなかった。
そして3ヶ月間D軍を楽しんだあと、当時「大嫌い」と言い続けてきたダークに籍を移し、
数ヶ月活動するうちに気付いたら、後輩のD軍の名前が「ビッグバンファイターズ」になっていた。
な、な、なんでやねん!!
嬉しくなかったといえば嘘になるが、
誰がD軍に提案したのかしらんがそいつに勝手に俺のふんどし使って相撲をとられた感がして
ちょっと腹がたった。
まぁ昔の話。
少なくともなんとかコロッケストラとか
なんとかマヨッケストラとかよりは随分マシな名前である。
…と思ってるんだけど。いや俺はね。
ダークOBバンドに「京都バーニング楽団」という名前を提案したのも、実は俺だ。
知らない人のために言っておくと、Tb&MCの篠原ふとしの当時のメールアドレスが
Burning-TRB@...
という泣けるくらい恥ずかしいものであり、だいぶネタになっていたという背景がある。
木本にはブログ上でハナで笑われたこの名前だが、
もともと敢えて恥ずかしいところを狙った名前なんだよ!!分かったかこのヤロウ!!
まぁそんな背景を知らずとも、この語感自体に良さを感じないところを見ると
あいつもまだまだである。ナッハッハ。
ところでこの京都バーニング楽団に関して一つハナモチならないことがある。
知らない間に正式表記が
「京都ば~にんぐ楽団」
になっていたのだ。
さ、さ、さ、さんでやねん!!
「京都バーニング楽団」
を
「京都ば~にんぐ楽団」
にすることで俺が託した想いが台無しになってしまうやんけ!!
うげー
野暮を承知で!!説明しておくと、
「京都バーニング楽団」には、
恥ずかしいことを「それを承知の上で」(←これ超大事)大真面目な顔してさらっと言ってしまう大人の男気を感じさせる響きがある。
突っ込みを期待しながらも、それを表に出さないというかっこよさがある。
思うに、浜ちゃんといる時のまっちゃんのボケ方がこうである。
「ビッグバンファイターズ」と言う名前にもこの雰囲気を込めている。
それを「京都ば~にんぐ楽団」としてしまったらその図式がボロボロに崩れ、恥ずかしいことをニヤニヤしながら「これおもろない?」的なニュアンスで言ってしまう高校生的なボケになってしまう。
「突っ込んで欲しい」感を全面に押し出しちゃっているのがもはや恥ずかしいを通り越して、イタくなってしまうではないか!!!!
これは前々報でお伝えした
「ジャズ系には全く関係ないあだ名をおもしろがって付けたがる奴多い」
という風潮に通じるところがある。
その点今年のD軍には、そういうイタさは既にポイと捨てて
文才と画才に溢れる奴が多いこと多いこと。
しげるとかさとまりの文章はおもろいし、
哲夫とそのの彼女はもう神がかってアホだし、
木本の文才はかなり評価できる。
大雅とかエディの会話を聞いてると
「こんなクソアホがおるなら、あと3年はジャズ系は安泰でゴザルな」
と思う。
センス溢れる奴らである。
2007/12/07
まいね
俺が知ってる限りにおける話になるが、
昔の(といっても5年くらい前までの)ジャズ系=ダーク+D軍
という図式の中、ダークはまだいいとしてD軍(つまりジャズ系に所属するメンバーの8割)の全活動は年4回程のライブ+合奏のみ、自分のプレーヤーとしての能力を世の中に問いたい!!という人間はほぼ皆無という状況下、
けーじさんという人は外でもバリバリ活動した数奇な(恐らく当時唯一の)例であって、
そのことは本人も言っていたことだ。
そんでその一学年下にフナヲまいねというドラマーがいて、
そいつもけーじさんと同様に外に出ていく志向は備えていたのだけれど、
それだけでよしとしなかった。
彼は、ジャズ系という団体に所属する者皆に
楽器に触れる者としてプレーヤー意識を持ってもらいたいと願った。
そしてジャズ系という団体の改革に乗り出した。
簡単に言えばコンボ志向の定着である。
セッション及びコンボライブの主催、新歓ライブの発足。
その甲斐あって、俺が4回生くらいのころから徐々に部員の意識が変わってきたように思う。
そんで今やNFではむしろ腹立つくらいコンボが発生するくらいのコンボ大国になった。
その中でどんだけのものがレギュラー化するかはまだまだ課題の残るところだが。
まあ音楽やる者にとって健全な流れであることは確かだと俺は思う。
やたらアナーキズムを覗かせ、「ダークなんてクソだ」と言って去った彼だが、
実は彼が一番ジャズ系を愛していたのではないかと想像するのは容易い。
俺が知っているジャズ系は2回後期からの4年間だが、
まぁ(主に人的環境が)ずいぶん変わったなあという気がする。
レベルはもう同時からすると想像できないくらい上がっているし。
2回生からすでにバーで定期ライブする奴もいるし。
おかげでD軍はサークルかバンドかとかで苦悩するコンマスも生まれるし。
正直言って羨ましいぜ。
俺が西院に行ってから、みんな楽しそうにしやがってよ。ヒェハー
2007/12/05
ジャズ系に旅をさせる
ぎゃーばたんばたんどーん
と騒がしい周囲(といっても一気合戦してた山中とかマンショあたりだけ)
に少しイラっとしながら、丸さんと
「いやぁ高校生ノリですな」
「そうですな。ホッホッ」
みたいな話をしたのが先月のNF泊まり込みだったわけで。
ただ、そういう幼稚さがあってこその我らがジャズ系という気もするし。
というか俺もその幼稚さに加担してきたのは事実だし。
俺が来年とかに泊まり込み遊びに来て、もし後輩が良くも悪くも大人しく飲んでいたら
「What's wrong !!?? Σ( ̄ロ ̄lll) 」
ドッ ワッハッハハハッハハ…
となるのは容易に想像つくことなので、結論として、このままでいいのである。
だって俺と丸さん、もう25だもんねぇ。
ただ、
新入生に何のいわれもないあだ名をつける習慣には未だに馴染めないワ私…
やっぱり大学生にもなったんだから「上手いこと言えた」という感覚に喜びを見出すべきですぜ。
だって、もし小説読んどって、
「この子は本名を岩波泰子と言う。しかしあだ名は何故か”なめたけ”である」
という下りが出てきたら、正直ちょっと寒いでしょ。
しかも、ジャズ系のそれは98%がおもしろくないから救いようがない。
先輩Aが後輩Bを捕まえては例えば言う。
「よし、今日から君はザンギエフだ」
先輩Aは100発100中でやたら嬉しそうな表情なわけで、
「してやったり」とか思っているらしい。
余談だがザンギエフは例外的にちょっとおもしろかった。
こうなってしまったのもたぶん京大に多喜が来てからで、
でもあいつのセンスはたまに神がかっているし、
奴がフロンティアという意味でも奴に罪があるとは思わないが、
ただ、あいつが見つけてきたネタの狂信的なフォロアーが(もはや誰とは言わないが)、
もうイタすぎてたまらない。
他人のふんどしで相撲をとることは、かっこ悪いぞなもし。
まあ、俺も人のこと言えるように用心せねばならんぞなもし。
「キモい」が褒め言葉になってしまっていたダーク2003を見て
福井と「きついよなアレ」とか言っていたが、
ジャズ系の問題は全部、ずーーっと一緒な気がする。
それが無くなってほしいのか、あった方がいいのか、ようわからん。
2007/12/04
芸術との離別
就活がんばってる系の典型的な部類に入る人たちのことをずっと胡散臭いと思ってきた。
win-winの関係が云々とおっしゃる人たちとか、
「出会いって大事だよね」を頻発する人たちとか、
商社行きたい願望を前面に押し出してる人たちとか。
いや、商社行きたい人や商社に務めている人をどうこう言ってるんではなくて、
俺がここで言いたい人がどういう人種かは就活を経験した人なら分かってくれるはず。
俺は人間の性質を表すひとつの2項対立として
「社会」と「芸術」
があると思っている。
社会と芸術が相反する概念だと言いたいのではないと、分かっておいて欲しい。
とりあえず無理やり言葉にしたというレベルである。
そんで上記の人たちはもちろん「社会」に属する人たち。
「社会」しか見てない人たち、といった方が適切か。
その人たちは独特の「軽さ」と「馴れ馴れしさ」を持っていて、
人とか思想に対する「壁」を持っていないことはまぁ尊敬に値することとは言え、
どうもそれが万人に共通であるかのように振る舞い、そうで無い人にも押し付けてくる傾向がある。
非常に価値観が一元的である。俺から見たら。
で、胡散臭い。
はっきり言ったら嫌いだ。
今日俺はバイトに入った。
そこで「いかにも芸術やってます」という格好をした男女2人組が隣のフランス人夫婦に
「友達の舞踏家が今度どこそこでイベントやって、それはなんちゃらとふんだらを融合した新しいほにゃほにゃで…」
とチラシを渡していた。
どう考えても胡散臭いのだ。
奇奇怪怪なビジュアルに異常に感動し、
自分がyesと言えば誰もつっこめない。
ある意味宗教ともとれるそれらの価値観はマクロで見ると無限発散的。
理由は「社会」的な人たちと全く逆だが、結論は同じ。
俺はずっと完全に「芸術」に属する人たちの考えを持ってきた。
それを西畠は「現実を見ていない」と言った。
そして半年間、就活という環境に身をおいて、俺は自分に「社会性」というキーワードを課した。
「芸術」に属する人たちの傾向に漏れず、俺は自分しか見てこなかったからだ。
ついに「芸術」を語る人間を胡散臭いと思う今の俺。
その瞬間、俺も考え方が変わったということを決定的に感じた。
それと同時に自分が理想とする立ち居地が鮮明に見えた。
「社会」と「芸術」のド真ん中に立ってやる。
6年前、理系と文系の真ん中だと建築学科を受験したように。
来年から働くのはデザイン会社だが、
そこの社長はデザインというものが社会でどう作用するか、どう作用させるか、
ということを考えている人である。
今の俺には、ベストじゃねえかこれ。
ウヒョー
2007/12/03
新日本人@京都Blue Note
自分で言うのもアレだが、
今日の新日本人のライブはヨカタ。
山中はMCを含め、やっさん、いがっちょはいよいよ本領発揮といったところだ。
Nite And Dayは山中の言葉を借りずとも、本当に神掛かっていたYO。
来なかった人は損したぜと言える位の感動は、
プレーヤー自身でも感じた。
録音しなかったのが痛恨の一撃!!
新日本人に639のダメージ!!
ジャズ系の中では音楽に対して相当真剣に取り組んできた方だという自負はあるが、
山中といがっちょには負けるなあ。
自分がいい演奏しなくては、目立たなければ、ライブ後も不機嫌。
…だった昔の俺は、新日本人をやってようやく
「こいつらのために働こう」と思えるメンバーに当たった。
しかし、
プレーヤーとして絶対持っておく必要があると思っている「エゴ」。
俺はまだ捨ててないのだ。
結局やっさんがすごいという印象「だけ」になってしまうこの新日本人。
定演までにその定説を覆せるか。
時間がないぞ!!
どうなる!?アイフル!!!
2007/12/02
怒りのTATOO
KATSURAという環境に腹を立てていると、
今度は腹が減ってきた。
よく考えたら昨日の夕方から食事というものをろくにとってない。
11月30日の16:30~12月2日の01:00の約30時間の間で食ったもの。
東京バナナ1個
チキンラーメン2玉
チョコレート1板
サントリー烏龍茶1.5ℓ
痩せたい女性諸君は是非見習ってほしい。
多分1週間中こんな日を最低2日は送っている。
事あるごとに「痩せた」「やつれた」「ガリガリ」「骨」「皮」「かっこいい」などと言われる俺ですが、
こんな生活したら誰だってそうなれるわ!!
私はこの点についてもKATSURAという環境に怒りを示したい。
①生協食堂の営業開始:11時。
朝飯どうせえっちゅうねん!!
公共のサービスは本当になっちょらん!!
プンプン
②生協食堂まで500m。
「ちょっと飯食いにいこ」レベルの話じゃないぞこれ!!
もはや遠足やわ!!
道中なんもないし!!
プンプンプン
③徒歩圏内に生協以外の飲食店が皆無。
プンプンプンプン
④最寄りのコンビニまでバイクで10分。
プンプンプンプンプン
「腹減ったな。コレクション行こうぜ」
「ええよ」
こんな気軽な会話ができたのも当分昔の話。
「お、王将行こうぜ!!!!!!!」
「わかった!!!!!!!!!」
今やこれくらい本気出さないと飯屋に行けません。
土日の深夜とか、本当に陸の孤島化するぜ。
みんな一回くらい遊びに来いよ。
もともと食事に出かけるという行為に日本人平均の145倍無頓着な私にとって、
「気が向いたときに行ける」という条件がスッポリ無くなることは非常にツラい。
まさかここまで食事をとらなくなるなんて…
手が震えてきた。
いやマジで。
空腹を手軽な食糧でごまかすのが体調悪化につながるのでは。
死ぬほど減った腹にさっきチョコレートを詰め込んだが、
もはや人間を捨てたいくらいの気持ち悪さである。
そろそろ食事をとるということについて真剣に考えなければならないカモ!!矢ガモ!!
顔がふっくらしてくるともう少しモテるかもしれない。
2007/12/01
怒りのBONGO
もしキャンパスが吉田だったなら。
「研究も煮詰まったき(土佐弁)、ちょいこらひとつセッションにでも顔だそうかね」
自転車で5分。ぷわ~っとボックスに行けるのに。
D軍の都雅都雅にも行けたりもする。
かわいいあの子にも会いにいけたりもする。
ふんで思いつきで「ちょい今日飲みに行こうや」なんてさ。
言えるのによ。
もうここ半年くらい、 ライブとリハでしかウッベに触ってないようなような状況だし。
桂という環境が、ここまで音楽やるのに不便だとは。
どうしようもないほど腹立つぜ。
どうしようもないほど腹立つぜ。
どうしようもないほど腹立つぜ。
どうしようもないほど は ら た つ NE☆
ア”~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!!!!
~( ̄△ ̄~) ←怒りのダンス
現在この世で一番嫌いなもの
1位. 桂
2位. 赤信号
3位. 修論
俺はなんでこんなに後輩が好きなんだろう。
嗚呼好きでたまらない。
みんなに会いたいよう。
2007/11/29
ミイラ盗りがミイラになる話
ワタクシは日本語というものが大好きでして、
いかに日本語が素晴らしいかについては別に稿を寄せるとしましても
とりあえずワタクシは日本語ロックが大好きであります。
そして同時に邦楽に誇りを持っています。
あんまり洋楽邦楽という分け方もそれどうなんという気が致しますが、
そんな事を言いだすとじゃあジャズとかロックとかユーロビートとかパラパラとかいう言葉の存在も危うくなり、そんな事では音楽の話が到底成り立たない。
「ジャンル分けなどナンセンスだ」などと鼻息荒くのたまう輩を(主に)オンライン上で見かけますが、
じゃあジャンル分けという思考を人間が持たないとすると、
「先輩、ジョンコルトレーンてどんな音楽する人なんですか?」
「まず本人はサックスを吹くんだ。そしてバンドメンバーはウッドベース、ドラム、ピアノという編成が多いかな。ドラムはチーチッチチーチッチというリズムを刻み、べースは4分音符を1小節に4回弾くんだが、これでコード感を出すんだ。ピアノはイントロを弾いたりして曲に色をつける感じかな。そしてここからが大事なんだが、曲は基本12小節とか32小節とかで1サイクルするんだ。これを1コーラスと言うね。曲毎にコード進行が決まっていて、最初と最後にその曲特有のメロディーを演奏するんだが、その間は各プレーヤーがコードにのっとった思い思いの演奏を繰り広げる。そしてバッキングがそれに呼応する形で手を変え品を変え追随するんだ。だからテイク毎に全く違った演奏になるんだ。ところで君かわいいね」
みたいな会話を毎回しないといけないので舌が8枚くらい必要になってくる。
かのデューク屋のエリントンヌさんは
「この世にあるのは良い音楽と悪い音楽だけだ」
などとさも名言らしいことをおっしゃっており、わざわざこの場でその真意について、はたまたこれが「あなたにとってジャズは何ですか?」という質問に対する答えとして適切かということについては言及しないとしても、いや、俺もそれは100%同感やしもし飲み屋でエリントンヌさんと一緒に飲んでて急にそんなこと言われるともうその場で立ち上がって
「そう! そうやねん!! いやァ話が分かるでオッサン!!」
と言ってしまうくらいの勢いですが、
ですが!!
たかお「いまさしってどんな音楽好きなん?」
いまさし「良い音楽」
こんな事では僕らは一生バンド仲間を見つけられません。
従って今頃ダークブルーニューサウンズオーケストラも存在しません。
音楽的情報を円滑に共有するために「ジャンル」を非音楽的な言語で表すことは恐らく必要なのであって、そこを否定してしまっては同じ音楽活動をするにしても何倍もの時間をかけないといけなくなる。
話がSUPER逸れた。
冒頭で何でわざわざ敢えて邦楽に誇りを持っていると言ったかというと、
どうも「邦楽聴いてる方がかっこいい」という風潮を(大昔から)感じるからなのでありますのですが、
昔のクラス名簿である女の子が「趣味」の欄に
「洋楽を聴くこと」
と書いてあって、
「な、な、な、な、な、な、な、な、な、ナタデココ!!」
といまさしさん(当時ティーンエイジャー)は大いにフンガイしたものであります。
まあ今になって思えばその子が洋楽>邦楽という意識で書いたのかは定かでなく、ひょっとしたら一様に音楽を聴いてきたけどたまたま好きで残ったのが洋楽ばっかりだったのかもしれない。
当時は俺も若かった。
まあとにかく世間一般(主に音楽をしてない人たち)では日本人というだけで外国人よりもレベル低いみたいな捉え方がされている気がしておりまして、なら俺がここで「邦楽も捨てたもんじゃないよという意味で」邦楽好きですと宣言してもバチはあたらんだろうというつもりです。
なのに!!
なのに!!
同じフォークソングをやらせても、
サイモン&ガーファンクルはとてもかっこよくて
南こうせつはちょっと笑ってしまうのは、
なぜでおじゃる!!
2007/11/27
ゼロになるために
なんなんだここ2日間のアクセス数は。
当初は誰も見ていないことをいいことに
「好きなこと書いたれ~い (ノ-_-)ノ 」
と始動した当ブログも、ま、ま、ま、まさか1日に60アクセスを誇る一大アミューズメントパークにまで成長するなんてよ…
ジャズ系の連中でここの存在を教えたのは福井と倉都だけだったような。
先日の泊まり込みで、みさっきーがこれ見てることが発覚した。
「つ、ついに現れたか!! ガガーン!! ( ̄ ̄ロ ̄ ̄;;)」
じゃあたぶんtakaoも見てるだろう。イーヒッヒッヒ!!
皆さん異論反論コメントしてくれていいんですよ。
いやぁ自動的に成長するもんですな。ビバITワールド。
閲覧者の増加の伴い執筆内容も制限を受けるかという思いもあってほぼ宣伝活動を行ってこなかったのだが、せっかく己の思想を紹介しているのだがら多くの人に見てもらいたいという気持ちもあって、ちょっと複雑ではあるが、実際は結構肯定的に捉えられている。
さてmixiでもお伝えした通り、本日Fotologueユーザーになり申した。
いや~いいすねこの本気Flash感。かっちょええし。
職人気質を見せつけられました。
ダーク2005の写真を公開しようという軽い気持ちでひょいひょいと門を開けたつもりだったが、
なんと中にいたのは虎の群れだった!!
他のユーザーが本気過ぎて、なにかしら「作品的な写真」をアップロードしないと
いけない雰囲気を感じてビビるいまさしさん
(″ロ゛) ウボァー
とりあえずたまたま研究室のPCに入っていた波照間島の海辺(いちおう自信作)をアップして
体裁だけでも整えておく。
写真の勉強なんて全くしたことないし、それで食べていくでもない。
でもビジュアルと呼ばれる分野には昔から人一倍敏感であることは気付いていた。
昔から身内には妙に褒められてきた経験が積もり積もって、
絵とか写真に関しては「人よりちょっと得意だけどねフフン」程度には思っていたのだけれど。
世の中、すごい才能がゴロゴロしとるもんである。
Fotologueを見て痛感したぞバカヤロー。( ̄△ ̄)/
ちょい時間ができたらこのツールに本気で取り組みたいですな。
結局俺は、赤の他人が俺の写真を見てどう思うかなんてまだ全然知らないのだ。
俺の本気を世の中に問う。
そこでようやく「ゼロ歩目」。
俺は哲夫んちでワイン片手にこの「ゼロ歩目」を踏みだすことがいかに重要かを説いた。
ゼロ歩目に立たないと、自分の才能が分からないからだ。
「お前は俺みたいなドジを踏むな」
俺は完全にこういうつもりで話していた。
西畠にはよく言われてたのによ、結局俺は何もしなかった。
ただ、俺だってまだ遅くない。
最後に火花を散らせるのであ~る。
関白宣言(修正版)
背景を変えたぜコノヤロウ。
が、新背景にもう飽きかけていることには目をつぶっておこう。マル。丸さん。
ジャズ系内に浮いた話が出まくっている(眼球5割出るくらいのハイペースぶりはなんだコラ!!)
ついでにオラも人付き合いについて一考。
俺は人を「人間」として見るようになりたい、と常々思っている。
どういうことか。
「彼女」「彼氏」「友達」「親友」「幼馴染」「元カレ」「浮気相手」「上司」「同期」「小学校の友達」「中学校の友達」「高校の友達」「大学の友達」「サークルの後輩」「サークルの先輩」「女友達」「ヒーロー」「憧れ」「敵」「うんこ」
俺らは人に対してラベル貼った上でそいつと相対する。
誰しも「俺高校の友達とおる時とジャズ系にいる時でキャラが違う」などということに気付く瞬間がある。
まあそういうことである。
そういうラベルを全て「人間」の一本に還元したいと、俺は願っているのだ。
要するに、「誰と接していても、いつも同じ俺でいたい」と思っている。
※感情レベルじゃなくて、キャラレベルの話をしているということに注意されたい。
俺はその願望を恋人関係にまで持ち込むから話がややこしくなる。
どうも恋人という人たちは
「あの人は私にだけ優しいのウフフ」
というステイタスがある意味絆を感じさせる一つのバロメーターとして存在している。
俺は逆の道を辿っていることになる。
西畠と付き合っていた時の話。
もちろん奴も恋人と呼ばれる人たちの例に漏れることなく
相対する人間が、俺か俺以外かで態度が違っていた(もちろん俺に対する態度の方が「良い」ものであった)。
普通ならそこで男性諸君なら「付き合っている」実感を味わい舌なめずりの一つでもするところだろうが、俺にはその態度の差が奇妙でしょうがなく、たまには腹立つことさえあった。
いや、誰も共感してくれないことは分かってるんだけども。
話を元に戻して。
俺の願いは、確固たる自分を持つこととほとんど同義である。
仙ちゃんはかなり該当している。
ジャズ系では山中や丸さんあたりが結構該当している。
彼らに共通しているのは恐れが無いことだ。
俺には恐ればっかりだ。
最近大好きな漫画、井上雄彦の「REAL」。
劇中の野宮というヤンキーが、俺はたまらなく好きなんだけど。
こいつが今俺が言ってることとピッタリ当てはまるんだわね。
こいつ見てると純粋で純粋で、ちょっと泣きたくなる。
是非あそこまでの境地に行きたい。
2007/11/25
NFを振り返ってみるvol.3
3日目。
朝10時ぱもじゃ集合、ライブ開始は夕方4時というスケジュールに自己破壊欲望を覚える。
いろいろあって他人のライブを見るつもりにもなれず、家にも帰れないときたよコリャ。
昼、木全のジャズ系はカスですねメールに一同騒然となる。
じゃあほぼ同じバンドで2つコマとってる自分はなんなんだ。
ライブはすべてぱもじゃだった。
JAZZ DAYなのに。
ついてない。ファックって言わせろ。
ライブその5
バンドがない
井上陽水カバーバンド。
今回のテーマは「ジャズ」
東さんに足りないものは「ゴリ押し感」だと思った。
木村に足りないものは「大げさ感」だと思った。
内貴に足りないものは「誠実さ」だと思った。
俺に足りないものは「筋力」だと思う。
ライブその6
田原Fまさし
正直一日目の野外ライブが終わった瞬間にこのバンドを辞することを考えたが(実は福井もそうだったらしい)、それを払拭するには十分なライブができた気がする(この点も福井は一緒らしい。デキてるのか俺たちは)。
俺は田原に足りないものは「ジャズ慣れ」だと思っていたが、どうも違うのではないか。
あいつを見ているとライブをちゃんとした形で披露するという意識に欠けているようだ。
しこしこと毎日理論の練習していたら
バラバラのパズルのピースがいつか一瞬で形になるとでも思っているのか。
ライブという一つ一つの機会に、絵がわかっているところだけでいいから、ピースを繋げていくしかないのだ。
俺が思うに、フロントが最初に必要とするものはテーマを完璧に演奏することだ。
完璧と言っても譜面を一寸の狂い無くという意味ではなく、自分なりの「完璧」に従えばいい。
ソロ中に、全く同じフレーズを演奏しても、
テーマを感情豊かに弾ける人間と、しどろもどろな人間では全く違ったものに聴こえると思わないか。
一つ収穫があった。
俺が初めてジャズバンドで披露したオリジナル「白滝の海」が以外に好評だった。
vol.4に続く。
以後はNFで見た緒バンドの印象および泊り込み、果てはNF総括へと進む。
NFを振り返ってみるvol.2
今気付いたら今年のNFは1日目2日目3日目に2つづつの出演となっていた。
これだけみるとだいぶバランスが良いように見えるが、実際はそうではなく
毎日毎日「朝来ては夜までいる」必要があり、その間の時間のつぶし方に苦慮した。
特に西院から来ている俺としては家にも帰ることもできず、なんだかしんどかった。
2日目。
ライブその3
倉都宅から出発。伏見トリオのデビューを果たす。
メンバーは倉都(As)今橋(Ba)阿久津(Dr)
コンセプト「ウッベでファンク」
といいながら結局エレベも使ってしまうところが実に俺らしい。ィヤッホーイ
倉都が教えてくれたCorduroyというなかなかかっこいいバンドのコピーを2曲。
なかなか調子よく弾けた。
加えて最後の練習で急遽やることが決まったオリジナルを3曲目に披露。
このオリジナル、倉都と俺は「恥ずかしい」と思って演奏をためらっていたが、
やたら評判が良かった。
その時、
人は皆、恥ずかしい部分は多かれ少なかれ絶対持っている
ということに気付く。
聴いて無い人は損したぜバカヤロー
昼ということで客が破滅的に少ない状況に絶望感を抱くが、
武田なつきが演奏直後の転換時にかっこよかったと言ってくれて、それがだいぶ嬉しかった。
阿久津と久しぶりに音合わせた時に奴のあまりの成長してないぶりにかなり焦燥感を覚え(よく考えたらまだ2回生か)、前日の祇園スパンキーズを見てさらに不安を覚えていたが、
曲に慣れてきたせいか演奏中は気にならず。録音聞いたらどんなんかワカンナイけど。
倉都は何でも任せたらカコイイことやってくれるので、安心安心。
山口組を聴いたが、あいつの演奏を聴くと、
「ああ、こいつめっちゃ音楽に真剣やな」
と思う。
上手い下手とはまた別のところで「良さ」がある。
いがっちょも言っていたあいつのピアノがやたらいいのはそう部分の現れだろう。
本人はアルトを褒めてくれと言うが。
総練習時間4時間強のこのバンドだが
今振り返っても一番のベストテイクを残したと言える。
本当はもっと身内に聴いてもらいたかった。
M2の俺がいるのに、なんなんだこの出演時間は。ファック。
ライブその4.
夜に新日本人の演奏を終える。
俺の大好きはDel Sasserは直前に決めたキメが全くキまらず、テーマは崩壊状態。
もうソロ中は記憶にない。
長いソロスペースを頂いた2曲目Tell Me Your BedTime Storyでは
結構納得のソロが取れた。
Aトレはどうもいがっちょと山中のテンションがうまく合わず、もうめちゃくちゃだった。
総じてぐだぐだなライブを終えることになる。
ただただやっさんに申し訳ない。
以下録音を聞いての感想。
あれ、悪くねえじゃねえか。
特にTell Meはかなりの好テイクだぜこりゃ。
vol.3につづく。
2007/11/24
NFを振り返ってみるvol.1
出たライブのレポートは必ず書くという掟に従い、書く。
1日目
ライブその1
NF初陣となった田原Fまさしの吉田南野外ライブ。
極寒を極めた気候(指が地蔵のように動かない)、
ドラムが遠くて音量小さいわ(テンションが鬼神のように上がらない)
やたら雨は降るわ(福井のギャグのように指がスベる)
という、「ライブをしたくない環境アンケート全世界版」をとれば
まあ絶対ワースト1.2.3位をぶっちぎりで独占するでしょうという環境で、
結果、ここ数年でも記憶にないくらい最悪のライブを迎えた。
環境に左右されないくらいの実力が欲しい。
ジョニーに「そんな悪くなかったで」と言われたのがせめてもの救い。
ライブその2
Piston白坂&The赤飯ズ@西部講堂
このバンド、自分で言うのもあれだが、かっこいいバンドやと思うんだが、どうなんだろう。
トリ2ということで1日目の中ではお客さんは一番いるという時間だが、
それでも少ない。
はじまる前に白坂と「客少ないな」と言った。
NFとはそういうもんだ。
なんだかなあ。
で、いちおうラストライブらしい。
Sir Dukeやってる時にマジで泣きかけた。
白坂からソウルを教えてもらって、自分の演奏が変わった。
それはソウルを演奏する時だけでなく、ジャズの時も。
ビバ音楽的的。
このバンドやって、よかった。
俺はダークやって2年目でようやく「音楽できる耳」を持つことができたが、
それをなんだか最初から持ってる奴もいるのだ。
白坂は俺が気付かないようなことを指摘するし、
青木は高校の時からプロ音楽家の上手い下手を評価していた。
あいつらのの耳のよさは、なんなんだ。
晩に白坂とちゃっかとママとキャサリンといがっちょと飲みに行った@さえずり。
女2人の前で下ネタ連発というリスクを乗り越えSUPER楽しい時間を過ごす。
ママってすごい気配りできる人間やなと気付く。
ちゃっかの彼女を見た。
vol.2につづく。
2007/11/21
2007/11/19
明治大学京都大学その05
飲み会編
あんまり実情は知らないとは言え、人から伝え聞いた話でいろいろと腹立つというかもはや腕が3本に生えるくらい呆れてしまうことが明治との対バン打ち上げの裏でまかり通っていたらしいのでそれに対して稿を寄せる。というか寄せなければならない。
そしてこの記事を書くことによって沸き起こった怒りを
明日のゼミへの原動力にするとしよう。
ワタクシメは後輩に相手されないというリスク(寂しさ)と本能的に遊びたいという欲求の板挟みに合い、飲み会行こうか行くまいか散々迷いまくっておったのですが
話を聞けばD軍ほとんど帰っただと!!
しかも2回生が!!
(`Δ´)ナンダトー!
相手は「東京」から来ているのだ。
車で8時間とかの距離ダヨ!!?
ほふく前進で行ったら何日かかるかわからないアル!!
打ち上げが楽しそうとか、楽しくなさそうとか、そういう問題以前に、
最低限相手する(つまり出席する)のが筋ではないのか!!
それとももはや時代が変わったのか!!?
苦悩するいまさしさん!!
(・_・) ん? ←アホ
リズム隊はさっさと帰るを決めこんで京都で身内で打ち上げ。
しかも事前に予約してたとかしてないとか。
どんだけ用意周到やねん!!
( ̄△ ̄#)ぬぬぬー
そら丸さんもキれるわ!!
こういう時に大雅みたいな奴はちゃんとしてるんだわ。
一昨年の井本とかもそうだった。
そういう奴らのために俺は泣くぜ!! うおおお!! (T△T)
木本も打ち上げに挨拶もせずに帰っただと!!
あいつは音楽指導をするだけがコンマスだと思っているのか。フンガー!!
(ノ`´)ノミ┻┻ がしゃーん
なんかあいつ見てると「音楽に関わること以外興味ねえっす」みたいな態度を感じるぜ。
実際はどうかしらんけど!!(だからこそアンケートに「今度話しよう」と書いた)
それは仮装やめるとか言い出すところにも表れているような気がするのだが、
なんというか、仮装とかそういう課外活動をやりながらも、きっちり音楽に筋を通す、
ていう考え方はないのか!?
やってみたけど無理だったのか!?
正直仮装やめるならやめるで引き換えに音楽的になにか進歩がないと
(もちろん個々人が、ではなくバンド単位で)
D軍としてかなりカッコ悪いぞ!!大丈夫か!?
(゜ε゜) ブー
…と顔文字を交えるとマイルドになるかなと思って書いてきたが、
これじゃマイルドを通り超えてもはやマイケルなので
俺の真意というか本心というか怒りが伝わらないではないか。
以下まじめ
わざわざ東京から来た相手をそこまで徹底して相手するつもりがハナからないなら
ライブになんか出るな。辞退しろ。
あんまり人をなめるんじゃねえ。
以上まじめ
と、このブログを見ているD軍の人(たぶん何人かはいるでしょう)、
俺以外にもお怒りの先輩方はいらっしゃいますぞ!!
というか
こういうことはダークが言っていくもんなんじゃないのか!?
俺この歳にもなってこんな下らんことで説教するの嫌だぜ!!
( ;; ̄3 ̄) イヤダー
それとも冒頭の通り、本当に時代が変わってしまったのか。
苦悩のあまり、今日は寝れないぜ!
明日ゼミだからもともと寝ないんだが。
まあしかしそのおかげで俺は2回生5人くらいと京都で飲むことができたのも事実。
たしか丸さんとザンギとアラジンとまっきーとぱんちゃんがいた。
後輩と飲むなんて滅多にない機会だからとても楽しかったです…です…ですが!!
やっぱり駄目ですよ打ち上げ行かないと。
こう見えても後輩と飲むのは大好きなので、
(こんな時にアピールくらいしとかないと毎回誤解される)
是非「打ち上げのない日に」お誘いください。
アラジンめっちゃいい子やった。阿久津は果報者であるな。
2007/11/18
行くぜ相棒よ その2
ということで前号ではベースという楽器と俺の関係を実にロマンチックな回想で暴き出したが、
現在でもたまに思うことがある。
本当にベースが天職だったのか。
俺はたまにドラムに嫉妬する。
高校時代に200曲以上の作曲をした俺だが、
今聴いてもベースよりドラムパターンの方がかっこいい。
これは音楽やる上での志向性の向き不向きを暗示しているとも取れる。
セッションでたまに遊びでドラムを叩いて他の連中と音を合わせることがある。
ベース弾いているときより周りの音がよく聴こえる。
楽器自体の特性もあろうが、
その経験がより「ドラムだったら…」と思う機会を増やした。
けいじさんが家に来たとき、
癖で空手ドラムをやっていたのを見て、ドラマーみたいと言われた。
いつのまにか身につけていた、目立ちたがりという性格は、
特にビッグバンドでは歯がゆい思いをさせられた。
今までベースに使ってきた時間をドラムに割いていたら、
今の俺よりもっと上のレベルまでいけてたかもしれない。
という念はいつまでたっても消せないままだ。
ドラマー諸君には失礼。
たしか中学の時、俺はバンドやりたいと家族に言っていた時期だった。
テレビで演奏するTOKIOを見て親父が言った。
「ドラムはどうな」
「あんな地味な楽器、嫌や」
何を考えていたんだ俺は。
スラムダンク山王戦の三井の4点プレイの時、
ベンチの名前も知らない眼鏡がもらした
「湘北に入ってよかった」
一番好きな場面。
「でよかった。」
俺はこの言葉にその過程全てを肯定できる力があると思ったからだ。
俺はベーシストでよかったと思っている。
でも、こんな風に感じてしまうのは、なんでだ。
な~んてことを考える暇があったらさっさと練習して
京都のザ☆ベーシストになればいいのである。
明日も相棒を抱えて練習に行くぜ俺はよ。
敢えて挙げる今日の1曲
Duke Ellington 「Skin Deep」
2007/11/17
行くぜ相棒よ
高知市立泉野小学校の音楽室にはちょっと特殊な楽器があった。
一応鍵盤楽器で、外見はエレクトーン。ただ、40鍵くらいしかない。
試しに指を乗せると「ヴォ~~~」っていうやたらブーミーな低音が発生。
名を「バスマスター」という。
マスターしているのかどうかは超あやしいが
とりあえずバスの要素はある。
参考までにバスマスターの写真を2つ掲載する。

大学入って誰に言ってもわかってもらえないことから
随分マイナーな楽器なんだなとは認識していたが、
天下のwikipediaにもページがないと知った時にはケツが16個に割れるほどショックでした。
言いすぎた。
まあマイナーにしろメジャーにしろその楽器は年に一度の合奏コンクールにて
200人のアンサンブルの中、たった2台で低音パートを一手に引き受けておったのです。
俺は6回の出演機会のうち、4回この楽器を担当した。
「まだよちよち歩きの頃からCMソングを聴けばベースパートを唄うような子だったよ雅史は」
なんていう有名人っぽい伝説など全く聞いたことがない。
先生A「まあまあピアノが弾けるけどもっと上手い子は他にもおるき、そういう子らは本職のピアノかエレクトーンに回して、こいつはバスマスターでも担当させたらええろう」
先生B「御意に」
いまさし「(鼻をほじっている)」
小学生が自ら志願して担当させてもらうにはちょっと渋すぎるポジションのこの楽器を、
かなりの頻度で担当したのは恐らくこういう経緯に違いない。
そんで俺も中学生にもなるともれなくバンドしたいしたい病にかかり、
盟友の澤良木らとバンドを組んだ。
その時の俺はギターを弾いていた。
練習の休憩時間、ギターでひたすらベースラインを弾いている俺(アホか)を見て
澤良木はそれまで彼が担当していたベースと、俺のギターの役割を交換することを提案した。
その後10年間にわたってベースという楽器を相棒としてきた今になって思う。
小学校のバスマスター
あの楽器と、妙に付き合いが多かったことが俺の原石なんだぜきっと。
衝撃の展開が繰り広げられるその2につづく。
見渡す限りグランブルー
緩和休憩。
今日は大変お日柄もよろしく、
こんな日に研究室なんかに来てパソコン様と睨めっこしてると
「人生無駄にしてる感山の如し」
という気分におじゃるまる。
中村達也が
「俺が総理大臣になったら晴れの日は法律を無くす」
と言ったのは10年前のロンドンだった。
こんな日にはやっぱりドライブしたくなるのが人間の性というもんである。
そうでない人は人間やめて下さい。
というわけで先日より単車(中型)の教習に通い始めたいまさしさん。
まだ発進と、小さいトラックをぐるぐる回る(10kmくらいで)しかしてないのに、
うひゃうひゃひゃひゃ!!
と声が漏れるくらい楽しいぜウヒョー
(゚Д゚)ウヒョー
晴れというだけでこんなに人の気分が変わるということに改めて気づくと、
天気だけでなくて、
例えば近くに好きな人がいるとか、
おしゃれなパン屋にいるとか
そういった「環境」によって支配される自分のコンディションというのはかなり大きいんじゃないかと思います。
だって実際、こんないい天気の日には
蹴られたくらいのことじゃ怒る気がしないでありますものオホホ。
「自分が置かれた環境をどう知覚するか」
これを意識することは自分のコンディションの調節に結構な効果があるような気が致します。
俺はとりあえず研究室を好きになることから始めないといけないのだZE☆
2007/11/16
明治大学京都大学その04
そういえば昨日思い出したけどフルートの子がめっちゃうまかった。びっくらこいた。
D軍について書きすぎた。
BSは高橋をやっぱり見てしまう。
あいつが一人いるだけでフルバンとしては相当安心できるやろうなあ。偉大。
Transformのソロは山野の時より感動した。
のくせに外資系に就職して金持ちになりたいとか言ってるのがあいつらしいと言えばあいつらしい。
誰しもがそうなのかもしれないが、
演奏者に対して「身内感」を持ってしまうと同じ音を聞いても聴き方が全く変わってくる。
つまりキャラを知ったという条件の下で音を判断してしまうようになる。
好きなキャラの演奏はやっぱり何割増しかでいいように聞こえてしまうし、
好きなじゃない奴の演奏はなんぼ上手くてもあんまり好きになれん。
純粋な音で判断できなくなっていると言ってしまえばこれは悪影響であるが、
まあ、ショウガナイ。
俺は今年のBSを見て
「うまいんだが、もうちょっと上手さ以外のところが欲しい(2年まえのBSにはあった、という意味で)」
という印象を受けたが、
山中は「相当良かった」みたいなことを言っていたし、
2年前に引退した俺と去年までBSと付き合いのあった山中とでは
BSに対する身内感が違うだけかもしれん。
リズム隊の弱さがすこし気になったが、
まあ誰が見てもすごいバンドではあるのは確かなのでそれはやっぱりすごい。
ダークはまた上手くなっとった。
山野まで心配させるだけさせといて、
後期に入ったら恐ろしいほどのレベルアップを達成するというのがパターンなのか。
去年もそうだった。
いやいや、
恐れ入りました。ヽ(ー_ー )ノ マイッタ
毎年毎年、前年のレベルを更新していってると思います。
・清水のリードとしての存在感が8割増しで向上していました。
BSの榎本がそのことに山野の時点で気付いていたのはやっぱりプロたる所以か。
ただ、全部バラードっぽく唄ってしまう癖があるようなので(本人もバラードのが好きだと言っていた)、
ノリノリ!!ウハウハ!!なスイングには少々不釣り合いな吹き方をしているようです。
その感じが出せるようになるとバンドの持つノリの幅がぐっと広がる気がします。
とりあえずもっと明るい奴になればいいと思います。性格が。
茶髪+グラサンで練習するというアイデアはどうでしょうか。
・きよちゃんのアタック感が8割増しで向上していました。興奮したぜ。
次はタッチを研究すると「ぽく」なるでしょう。
たぶんエリントンのビデオを見るのが吉。
・山崎はタテノリ系のドラマーじゃないのに、
岩波がバキバキのタテノリ系であるアンバランスが8割増しで気になる。
曲によって使い分ける必要がある。
2005年はふとしがよく曲ごとのノリの違いを強調していた。
平山はそこまで言及しているのか疑問を持つ。
・うりくらのAトレのソロが8割増しで神がかっていました。
京大の歴史に残る名ラッパーになってくれれば嬉しいです。
・みさっきーも来年には8割増しの相当なラッパーになっていることでしょう(今でもすごいが)。
超期待。
・ソリストはPAのせいかほとんど何やってるか細かいとこまでは聞き取れませんでした。
けどとりあえず大川と田中里奈のソロはもっと頑張ってほしいと思いました。
・マンショもうちょい落ち着け。
・MCを聴いて平山はひょっとして天然かと疑惑を持つようになりました。
長年不思議でしょうがなく、8割増しで夜も眠れないことがあるのですが、
なんで京大にはここまで劣等感を抱える少年少女ばっかりが集まるのでしょうか。
ダークを見て一番思ったことは、
「うわこいつら力はいっとるなあ」
でした。
見てるこっちが肩こってしまうような。
正直、BSとの実力差はそこまで感じませんでした。
阪大とかBSのライブ見れば毎回思う。
「こいつらみたいにもっとリラックスすりゃ、ライブでも100%に近い力を発揮できるようになるんじゃないか。」
まあ、そのガチガチさが京大の味であると言えばそうである。
バンさんならそう言うかもしれない。
その05につづく。
ちょっと最近のジャズ系で腹立つことを書く予定。
明治大学京都大学その03
管楽器について包括的に一考。
D軍はソリスト見てて思うんだが、なんでコピーしかしないのか。
プロがやってるソロだから難しいのは当たり前。
全部アドリブでやれと言ってるんではなく、「ここは到底無理だグハァ」みたいな部分があれば自分のオハコフレーズに置き換えるのは有効な手段だろうと思います。
D軍のライブ見てて、「しっかりソロを吹ききったぜグヘェ」みたいなプレイヤーを見たことがない。
書き譜でいいので、自分がやりやすい演奏をすりゃいいのに。
「自分ができる範囲のことを、しっかり確実に」やれば、随分とかっこよくなる。
ジャズはそういう音楽だと俺は思います。
これは行き過ぎた例だが、去年の阪大のトロンボーンが山野でカマしたソロ。
ブルースの上で2~3コーラスくらいD♭だけで吹ききったやつ。CDにも入っている。
山野でこれをやる度胸についてはここでは議論しないとして、
アレでも(アレだからこそというのもあるが)客は沸くのであ~る。
そんでその変換バージョンが完璧に出来てから、
もうちょっと難しいバージョンへ移行してったらいいと思います。
やたら難しいソロを1年かけて練習して「結局間に合わなかったぜゲボォ」となるより
ずっと上達が早いと思います。
と偉そうに言っといて自分のベーソロのあの体たらくぶりはなんだ>山野2005CD
アンサンブルに関しては素人なのでよくわかりません。
その04につづく。
2007/11/14
明治大学京都大学その02
新日本人のパンフ仮原稿制作に手間取り、遅刻。
D軍の1.2曲目は見れず。
結論としては音回廊の時感じた印象とカワンナイ。
まるさんはスイング感に乏しくほぼロックなのに、なんだかかっこいいから卑怯だ。
みっきーは腹でも壊していたのか知らんが、合宿の時に見せたキレが全く無かった。
二人はタイプこそ正反対だがこれから必要なものは一緒で、
それは「ぽさ」なんだけど、
とりあえず自分の録音とプロのCDを聴き比べることを延々とやればいいと思います。
そのうち「あっこれか」と思える時が来ると、しめたものです。
みっきーはファンクをやればいいかもしれない。
ファンクでビート感というもののありがたさを「ありがたや~」と実感した上でそれをスイングに活かせれば、結構話はわかりやすくなるのではないでしょうか。
例年になくピアノにはカツーン!!というアタッキーなプレイヤーが揃っていて(特に2回生)、
フルバンやる以上、メリハリが効いてて安心できる。
武田なは見れなかったからわからないが、たぶん相変わらず天然だっただろう。
きよちゃんとあゆみちゃんはあんなにはっきりしたタッチの持ち主だったか?だいぶ良かったぜ。
が、やっぱりだからといってリズム隊が安定するわけではないのが悲しい。
てつおとその彼女は両方ともやたら力んでいて、見ているこっちまで肩がすくんでしまう思いだ。
ジャズやる上でいろいろなタイプの人がいるが、
ことギターに限っては
「うおおおおおお!!ジャカジャカジャカ!!」
みたいな力技プレーヤーを見たことがない。
メセニーにしてもジョーパスにしてもB.B.King(ジャズじゃない)にしても、
手元はなんだか、滑らかだ。
特に右手。
ミッシェル好きのてつおにしたら、むしろヘッドバングしながら弾きたいところかもしれないが、
そこをぐっと堪えてリラックスに努めてみるのはいかがでしょう。
ベースは結構粒がそろってるイメージがあるが、
どうもそれがバンドの中でうまく機能してない気がします。
智子も見れなかったが、相変わらず食べまくっていたのだろう。
大雅はようやくタイト感の兆しが見え始めた。
こういう実直に努力してきた男が成長する片鱗を見せる時に一番興奮するなあ。
マーカスは相変わらずよくわからなかった。
木本はまるで3年前の俺を見ているようだった。
自己顕示欲というのは非常に大事ですが、
ベース始めたての男ベーシストが自己顕示欲を持ってしまうと大抵がロクなことにならない。
フルバンにおいてベースという楽器はびっくりするくらい自由で、
その過大な自由さの中で、自己顕示的な男はバンドサウンドという視点よりは
自分サウンドという視点に偏りがちだから、
というのが俺の見解。
というか俺がそうだった。
マーカスと木本はわりとこの罠にかかりやすいタイプではないかと思います。
自己顕示欲が「バンド顕示欲」になるといいんですが。
だってベースは屋台骨ですから。
なんかベースの話になると毎回こういうこと書いている気がするな。
その03につづく。
2007/11/13
明治大学京都大学その01
「自分が演奏したライブと見に行ったライブは絶対レポートを書く」と決めている。
いちバンドマンとしてその音楽的体験はライブに最も顕著に現れると思うからである。
ひどく忘れっぽい俺はライブでの学習を適宜メモを取ることで無駄な遠回りを避けようとする試み。
またライブの度にこういった場で無理やりにでも思うことを捻り出すことで、感受性を高めようとも考える。
D軍にはその組織体質が原因でストレスを感じる人間もいることは毎年のことだ。
「俺はちゃんと練習してる。やる気もある」
と自分で思っている人間は、そうでない(という風に見える)人間の存在を不満に思う。
俺はD軍時代にけいじさんに聞いたことがある。
「周りの人間にもっとやる気出せと口でやかましく言うのはタブーですかね?」
タブーだろうと返事をしたけいじさん、やっぱりそうかと思った俺の思惑たぶん一緒だった。
京都大学軽音楽部ジャズ系という団体に新しく入団する人間が、
実質的に他の選択の余地無く所属することを半義務的に強制される団体がD軍だからだ。
そこに集まる人間は様々な意図があって然るべきである。
本気で音楽したい人間、楽器と戯れることが好きな人間、友達を作りに来ている人間、暇つぶしに来ている人間。
そんな連中のごった煮であるD軍にそれらのうちのただ一つの価値観を押し付けることが
果たして認められていいのかというある意味謙虚さが僕らの答えだった。
木本はそのタブーを孤軍奮闘して(という風に見える)破壊してきた。
俺は95%部外者であるが、D軍を先輩から後輩へ引き継いだという意味で、退団して3年半たった今でも5%くらいは関係があるとして、木本のやり方には正直、腹がたった。
ただ、10日の明治と京大の対バンを見て、
かすかに「あー、一概にそうでもないかな」と思ったのである。
各メンバーの技術向上はちらほら見てとれるとは言え
ライブの出来や問題点自体は音回廊からほぼ変わっていない。
でも、例年以上のメンバーのギラつき具合を見て、
あ、これはひょっとすると木本効果かもな
と、こう思ったのだ。
音回廊の時も書いたけど、全体のレベルはやっぱり高いのである。
そんでそれが嬉しかったりする。
泰静とかとの間で一時期、
「後輩にガッツが感じられん」
という話が興った。
そこで俺らが出した結論は
「態度だけを示す以外に、やっぱり口でも言っていかなあかん」
というものだったはずだ。
ちょうど2年前に、
明治BSとの打ち上げでその話をしたのは、ただの偶然だろうか。
木本は俺らが結局やらなかったことをやろうとしているのだ
ともとれる。
しかし、それがいいか悪いかはわからない。
自分が作ったバンドならともかく、奴は「D軍」のコンマスだからだ。
そこに対する苛立ちは、やっぱり感じるのだ。
ちょうど1年後くらいに、
木本が壊してきた伝統が、木本が作ったスタイルが、
後輩にどのように伝えられていったか、どのような形となって現れるか、
それを見ないとなんとも言えないことなんだな。
俺はその時にはもう東京都区民なので、
結局奴の評価はできないことになってしまうのだけれど。
その02につづく。
2007/11/09
唄える音楽をするために
以前、みんな大好きmixiで
Blankey Jet CityとDuke Ellingtonをはじめとする各種ジャズ音楽とslipknotとユニコーンとゲーム音楽とトライセラとIan O'BrienとファンクとBrian Setzer Orchestraとスピッツ
が俺の頭の中で並列しているのはなんでや(:: ̄ェ ̄)
みたいなことをつらつらと書いたりしたりしたりしたりした。
実はもっとスマートな答があった。
わかりやすい曲が好きだ。
要するに、「唄える曲」だ。
実にスマート。実にシンプル。
絶対こっちの方が本音であ~る。
だからなんとかマルサリスとか後期コルトレーンとかは全然聞く気にならないし、
キャノンボールのDel Sasserはアホほど繰り返し聞く。
エリントンの書き譜ソロも大好き。特にRockin' In Rhythmのボーンとクラのソロは一向に飽きナイス。
ただ、
コードの知識のなさを敢えて誇示しているかのようなアウト感満載のソロ、
エレベを持てばのデタラメを弾きまくる
そんな俺を見た人が俺のことをそんな人間だと思うだろうか。
いや、思わない(反語)。
自分の表現目標が達成できない理由はただ一つ、練習不足だでよ。
家でエレベ弾いてもそういう練習はできるはず。
これからは練習の指向性を変えよう。
唄える音楽をするために。
ただ、修論とNF用の練習とドラクエに追われる俺にそんな時間的余地があるのか?
いや、ない(反語)。
つっこむところ→ドラクエ
話は変わるが今日はガラにもなく(あんま好きじゃないから)チックコリアのアコースティックバンドの動画を2つみた。
91年のOn Green Dolphin Streetと03年のHumpy Dumpty。
彼らの演奏にももちろん驚いたが、それよりも
チックコリア←→パティトゥッチ間の体脂肪の移動に10年という時間の重みを思い知らされた。
ガリガリのゾンビ版オタクだったチックコリアはマイホーム大好きトロピカル親父に姿を変え、
プクプクだったパティトゥッチはイタリア男優に変身を遂げていた。
デイブウェックルは髪を切っていた。
彼らの音楽は各自のソロがわかりにくくてあんまり好きじゃないが、
ただ「曲の流れ」自体はわかりやすくて、俺がたま~に見てしまう理由はそこでアロー。
演奏聴いてると、チックコリアが要所要所「どりゃー」と力技で無理やり作っているのんだな。
「曲の流れ」を。
そこが見ていて気持ち良かったりする。
そんで、そういう力技が必要なんだな。
今の新日本人には。
みんなそれについていく力はあるんだから。
ジャズなんて、もっとリラックスして、自由にやればいいと思います。
2007/11/08
ライブという度胸
俺が3回の時か4回の時か、はたまた2回の時だったか。
NFで遠藤さんが田中宏明氏とBlues Brothersのコピバンをやってて。
たしかSoul ManとかEverybody needs Somebodyとかをやってた。
遠藤さん田中さんという
「この人に任せておけば間違いない」というぱもじゃ2大カリスマがフロントを務めた
それこそライブショウと呼べるパフォーマンスは
なんだかもう最高だった。
今まで見たアマバンで好きだったライブベスト3に入るね。
そんなことをふと思い出した。
ジャズ系のライブは総じてエンターテイメント性は希薄だなあ。
そもそもそういう志向性のある音楽やってないからだと思うけど、大事だとは思うんだけどね。
かといって俺が何かできるわけでもない。
2007/11/07
ダブフォライブ録音を聴いてみる
先日、ダブフォ(なんかみんなこう略するので俺も倣ってみる)の先月28日の
なんばパークスでのライブ録音を聴いていまさしは思った。
「うむ~俺もようやくこれほどの境地に至ったか。長い道のりであった…」
ウッドベースというものを弾き始めて4年間、ずっと悩まされてきた音質の問題。
長年付き合ってきた超問題児、underwoodに換えて、中路さんに優等生のrealistを拝借。
さらにアンプが良かったのか録音環境が良かったのか、随分と好みの音に録れていて、ご満悦。
音質の向上によってかよらないでか、ビート感もグー。さらにGO☆MA☆N☆E☆TSU。
今日、ダブフォの今月3日に行われた伊丹空港でのライブ録音を聴いていまさしは思った。
「(  ̄д ̄;)!!? 」
聴けたもんではないこと山の如しLv99!!
iTuneの停止ボタンにカーソルを向ける右手を左手で必死に押さえつけ、
卒業までの半年の間に「立派なジャズベーシストになるよ兄ちゃん」という
高い志をハートに抱くいまさしさんは一曲一曲噛みしめながら聴きました。
血の涙を流しながら。
これは非常にマズイです。エマージェンシィです。
ボク、ウッドベース初めて1年ですアルヨ~レベルである。
いや岩波なら1年でこれくらいできてたかもしれん。
ベーシストのくせにリズム感が極めて弱いとは認識していたが、まさかここまでとは…
特にNight In TunisiaのリフとMoanin Mamboの後半のウォーキングの酷さは無期懲役17年に値するかも。
俺の悪い癖として認識しているのは、
個人練-バンド練-ライブ
これらの間に意識-「自分の音をどれくらい大事に聴くか」-の乖離があること。
今の俺が目標としていることは、
ベースのビート感が持つ「海」に「潜る」ことなのだ。
「潜る」-かなり主観的なイメージ表現だがこれが一番しっくりくるからしょうがない。
「弾いたら勝手にグルーブ感溢れちゃうのワタシ」というほど達者でも器用でもない俺は
「潜る」ために自分の音をしっかり聴かないといけない。
ろくでもないライブをする度に
「個人練ではできてたのに…」
と涙していた経験が4年経っても全く役に立っていない事実に
我ながら呆れるを通り越して感心してしまうぜヘッヘッ。
棟さんやりにくかっただろな…
2007/11/06
誤解という名の罪
完徹明けで内定式のため恵比寿に行った。
ボケが95%流されました。
か、悲しい…
くだらないことは「くだらねー」と言ってくれたいいのに、
そのうち「この人本気でくだらない」と思われるハメになりそうだ。
TOKYOはかくも恐ろしき街ナリか…!!(コロスケ)
ざわ… ざわ…
ボケがわかりにくいともっぱらの評判のいまさしさんは
関西ですらカンチガイされていることが多いので、このまま行くと
社会人3年目くらいで村八分にされる恐れがあります。
嫌われててもいいからとにかく自分の正当な評価を知りたいと思う人間なので、
(無理やり例を出すと、ごっつ点数低いと分かっていて、これを見せたら親に死ぬほど怒られるのが確実なテストでもとりあえず返却してほしいと思う気持ち)
俺にとって人生で一番恐怖することは「誤解される」ことである。
たとえ「お前は実にくだらない」と言われようが「お前は無限大にしょぼい」と言われようが、
(それが誤解でないと言いきれるのなら)
俺はそれを意見として頭に入れる。
そしてそれを解決するするために努力するのだ。
そんくらいの自負(≒自信)は手に入れた土佐男いまさしさん。
さて、どうやら忘年会にも呼ばれてしまうらしいので、
それまでに相手の得手不得手にしっかりと対応したコミュニケーション技術を身につけ、
一躍スターの座を獲得することにしよう。マル。
2007/11/05
期待の矛先
先日、俺らみたいな人間を一言で「実は自信ないくせに自意識過剰」とぶった切ったが、
俺がそうだったのはまぁ結構昔の話である。
2005年の9月~10月くらいまではこの状態だった。
自意識過剰とはつまり他人を過剰に意識するということと同義である。
よく言われるように他人を意識することではじめて自分を意識することができるからである。
なんか理屈っぽい説明だが、自分のことを少しでも自意識過剰のケがあると思う人は、
このことを感覚で理解して頂けると思う。
そしてさらに自信がないときた。
そういう人間の心理は決まってくる。期待の矛先を他人に向けるのである。
他人の手によって(喝采を送られるだとか愛されるだとか)、自分の自信を確立したいと望み始める。
ただ、このテの人間は往々にして空気が読めない傾向があるので、
期待が裏切られることが多い。
周知の通り、周囲は空気が読めない人間に賛辞は贈らないからである。
これでは自分は自信がつくはずもなく、
さらにタチが悪いことに周囲への不信感となって自分と周囲を襲う。
周りの人間からしたらいい迷惑である。
俺は物心ついた時からこのケがあった。
そして自分に賛同しない人間を「まああいつの言うことは気にしなくていいや」と切り捨てられるほど自分に満ち足りては無かった。
バンマスをやっていた2004年を振り返ると随分威圧的だったなあと思うが、
その気持ちの裏返しだったのだ。
2005の3月くらいには不信感がたまりまくって、
あるひとつの究極である「もはや誰にも期待しない」というスタイルを身につけるまでに至った。
期待しなければ何が起こっても気が楽だろうという話である。
なもんで同時期にあった春合宿などではもはや積極的に人との関わり合いを断ち、
最終日の打ち上げでは最初の「儀式」が済んだら即自分の部屋に鍵をかけて寝るという今考えると信じられない暴挙に及ぶ。
一人で天井を見ながら「ぐわー楽だこりゃー」と小さく漏らしたのを覚えている。
ただこの状態は思ったより遙かに壮絶で、たしか2週間くらいしかもたなかった。
シンジくんくらい耐性があるとこれでも生きていけるのかもしれないが、
人が元来もつ「寂しがり」という感情を人並に持ち合わせる俺の精神力では全く耐えきれなかった。
嘘でもいいから周りに人が欲しかったのである。
俺は未だに合宿と聞くと嫌なイメージが払拭できていない。
結局他人に期待するループに戻って山野を迎えることになる。
こんな状態でダークをやり続けた。これはもはや罪を犯していたのと同義だ。
2004と2005のメンバー全員に、特にリズム隊の福井と西畠両氏には土下座して許しを請いたい。
そんなこんなでダークやってた時期は相当苦しい思いをしたものだが、
なにがきっかけか2005の後半になってから次第に気が変わってきた。
たぶん、自分のライフワークであるベースの評判が次第に良くなってきたからだと、今では思う。
「あ、俺、自分に期待していいのかもしれんな」
と思い始めた。
自分に期待できるようになると、うまく自分で自分をノせられる術が身についてくる。
皮肉な話だが、自分に期待できるからこそ、全部「自分のせい」だと思えるようになるのだ。
これは画期的。
「他人のせい」だと思わないからだ。
今までたまりまくった周囲への不信感は、姿を消せる。
その時ようやくジャズ系の連中が怖くなくなった。
1回生のころけーじさんと
「お前人間嫌いだろ」「はいそうなんです」という会話を交わした人間は、
ようやくグルービンさんに
「間違いなく人間好き」と言われるようになった。
俺がこうなったのは、どんな状況だろうがベースに対する努力は絶対に続け、
それが認められたのがきっかけだった。
こういう経験があるから、何か一つのことに努力することは大事なんだと思う。
さて、今は自分にめちゃめちゃ期待している。
かと言って自信過剰でもなく、程よい謙虚さを持ち合わせている。
いまや自分も他人も嫌いじゃない。
けっこう気分いい状態が続いているのだ。
なんだか無敵感も漂うが、しかしちょっと行き過ぎている感もある。
他人に期待しなくなってしまったからだ。
「なんでも自分で解決していくぜ」と思ってしまっている。
今はまだ過渡期なのだ。
本当は「自分にも期待しかつ他人にも期待する状態」がいい。
他人に期待しないのも結局孤独だからね。
そして、これは勘だが、その比率は7:3くらいがいい気がする。
来年から社会人になる。
一人で仕事はできない。他人に期待する必要も必ず出てくる。
1年、5年、10年と仕事を通して社会と接し続けた結果、
その時その時、俺が何に「期待」しているか。
今から楽しみである。
2007/11/04
疑うことで自分を確立したと考えてみる
自分が誰にも負けないと思うところ。
就活中に見いだせなかった答えに今さら到達した。
「疑う」ことである。
人からよく天の邪鬼と言われるいまさしさん(25)だが、甚だ不本意極まりない。
周りの人間が一斉に向いている方向があるとする。
高校の同期、平川がよく「メインストリーム」と呼んでいるアレである。
その方向を向く前に、俺はひとつふたつ「疑い」をかける。
そしてそれに流される妥当な理由を見つけられなかったら、
俺は遠慮なく逆行するよと、単にこういうことである。
人と食い違うことが多いのは、俺が人より多くのことを疑うからだ。
おっと、独善的な男だと思わないで頂きたい。
その疑いの結果、結局俺が間違っていたことなんてザラにあることは重々承知しているからだ。
結局何が言いたいかというと、
天の邪鬼という言葉通りに好き好んで人と違うことをしているわけじゃないのだ。
だってそんな奴、寂しいやんけ。
まあ自己中心的な男では、ある。
「何でもかんでも疑うってしまうこんな人間になんかなりたくないわボケ!」
とお思い方もいらっしゃることだろうが、俺は俺で俺のこういうところをわりと誇りに思っている。
仙ちゃんならこの感覚、わかってくれるだろう。
ここでちょと話が細かくなるのだが、
疑うと言ってもシステマティックに疑うタイプと、野生的に疑うタイプがいる。
大人的と子供的と言った方が適切か。
これ文章で違いを表現するのがかなり難しい。
大人的なのは、自分に降りかかる問題として対応を迫られた時に疑うタイプ。
子供的なのは、他人の言葉や立ち振る舞いに「どうしてそれ?」と純粋に聞いてくるタイプ。
俺は大人的タイプである。
子供的に疑う人として思い浮かぶのは、青木とけいじさん。
あの2人と話していると、自分がいかに脆い地盤の上に立って喋っているかが痛感させられる。
でも、だから大好きだ。
誰の影響か知らないが、まあずっとこんな人間であったので、
盲目的に信じられているものの代表格である「名言」と呼ばれるものにはいち早く疑問を持つ傾向がある。
例1:「ジャズに名曲なし、名演あり」
名曲を演奏することではなく、素晴らしい演奏をすることがジャズである。
恐らく発言者の意図はこういうことであると思う。
それは俺もそう思います。大賛成。
た だ 、 ジ ャ ズ に も 名 曲 は あ り ま す 。
つまり、「全然うまいこと言えてない」のである。
名言というよりは、ただのインパクト性だけで有名になっているだけなんじゃないすかねコレ。
素人をターゲットにしたジャズの説明でこの文よく見るけど、
そんなに引用するようなシロモノであるとは思えません。
例2
めんどくさくなったのでもうオシマイ。
11/03ダブルフォース@伊丹空港
ビッグバンドとはいえジャズである以上、
他の音楽よりは有機性(この言葉であってるのか?)が強いわけだ。
各演奏者がその時その時向いている方向が一致しないと、どうも煮え切らない。
ダブルフォースはドドーンと盛り上がるのが一種の持ち味である以上、なおさらだ。
今回はトラもいた(ていうか俺)し、
バンド自体リハでも一曲ごとに根詰めてやるスタイルでもないので(トラがえらそうなこと言うな)、
反応性の良さでもって有機性を音楽というある意味「形になったもの」として編み出していくのが即時的に必要とされる。
(ところでここで言う反応性のよさとは、ジャズでは「実力」と呼ばれるものだろうか。)
んなもんでただ一回の「ん?」が曲の展開をすっかり停滞させてしまう。
そんなことはとっくに分かっていたのに。
俺はただただ
棟さんが気持ちよく叩けるような、そんなベースを弾きたかったなあ。
ここはひとまずあの音環境のせいにしておこう。オーケー。
誰か、ソリスト聞こえへん状態でバッキングする方法を秘技伝授してくれ。
まあ「空港でライブした」という土産話はできた。
孫の代まで自慢してやろうかしらホホホ。
今日は空き時間も長かった。
その間、組長さんとか手塚さんとか金助さんのような今までほぼ全く口をきいたことのない人たちと、俺のような下賎の者が話の相手させてもらうという経験をした。
組長さんから喋りかけてきてくれたときはほんまに嬉しかったなあ。ヒャホー
ホモか俺は。
半年ぶりに呼ばれたかと思えばここ1ヶ月は頻繁に顔合わせてきたし、最近随分人見知りが治ってきた甲斐あってか、ようやくアウトサイダー感も無くなってきたなウフフと思った。
のに
またしばらくこのバンドで演奏できないなんて
神様はとっても悪戯好きだねマイハニー。
2007/11/03
世界はちょっと悲しかったりする
喜怒哀楽のうち、喜と楽さえあればいい
というのが近年の俺の考えだった。
ところがごくごく最近、
「感動」という心の動きの裏側には「悲しさ」という要素がチラリズム的に隠れていることに気付いてからというもの、哀という感情に注目するのがマイブームだ。
例えば今まで心動かされたゲームのエンディング
天地創造、Front Mission、クロノトリガーのエンディングの感動部分を支配しているのは
「悲しさ」だと気付く。
Blankey Jet City「悪い人たち」で詠っているのは「素晴らしい世界」だが、
その曲の始まりは「悲しさ」である。
ジャズ系の定演があんなに感動なのは、
3回生の時にみたアルスのリサイタルがあそこまで感動的だったのは
終わりを肌で感じる「悲しさ」によるものだと思う。
俺は立ちすくむような景色を見て素直に感動してしまう純粋な心をもったナイスガイだが、
自然の前に素直に「綺麗だなあ」と思うと同時に、何%かは「悲しさ」も感じる。
エトセトラ
こうも例を列挙するとなんか薄っぺらい話になるようで嫌だわ。
ということで哀に注目してみることも大切かもしれないという話ですが、
だからといって特に生き方が変わるわけではなさそうだ。
怒の効用についてはまだワカンナイ。
2007/11/02
僕らが通ってきた道
木本のブログを愛読してて、毎度毎度「うわこいつきっついこと書くなあ」と思いながら、
どうも敵視できないのは何でだろうと思ってたら、理由がわかった。
こいつ、昔俺が考えてたこととおんなじことを考えているのだ。
2年前入ってきた天パのサックス野郎とおんなじなのである。
つまり俺からしたら木本は倉都2世なのである。
俺含めこいつらの共通項はたぶん
「実は自信ないくせに自意識過剰」
とまとめることができるだろう。
うわー
めっちゃ親近感沸くわ。
ただ、
「ダーク嫌い」とか「山野って正直どうなん」とか考えてた俺も
今ではずいぶん丸くなった。
そんで自分自身ではこれで良かったと思っている。
倉都にとってもそっちの方がいいと思ったから、奴にはいろいろと言えることは言ってきた。
けど、木本にとっては丸くなることが、いいことか悪いことかは、まだわからない。
だから、もう少し見守ろうと思う。
とりあえず、今年のD軍を駆け抜けてほしい。
「考えているのは今年のことだけです」
合宿の2と3回生会議で奴が言った言葉は、ダークの話題を回避したという側面を差し引いても
本音だと思うから。
2007/10/31
10/30:新日本人@京都ZAC BARAN
バンドとしてまあある程度意思疎通ができてきた。
無理やり体裁を整えるのもできるようになってきた。
1回目や2回目のようなミスは少なくなってきた。
曲中にひと山やふた山はこさえられるようになってきた。
バンドとしては成長してきたと言える。
さて、新日本人は「古いジャズをやる」という山中の意向の下、集った4人である。
それがこのバンドが目指すカラーであるはずだ。
ジャズコンボとしては異例なほどのリハをこなし(というほどでもないか)、
「最低限」を少しずつクリアしていくことで、
次に見えてきたものは目指す山の遥かなる高さだった。
「古いジャズ」といっても山中と俺じゃその言葉に託す意味が微妙に異なるだろうが、
俺の場合、その言葉を表わしていると思う音源が二つある。
Kenny Dorham 「Lotus Blossam」
Cannonball Adderly 「Del Sasser」
ド派手なインタープレイがあるわけではない。
むしろバッキングを聴いて受ける印象は淡々としたものである。
フロント・ソリストも迸る情熱を楽器に注いで全力をつくすといった感じでもない。
でも、今はこういう音楽に一番興奮する。
「上手な音楽」ではなく、「いい音楽」だ。
それらの音楽を
恐らく平川は「味」と表現し、
バンさんは「その昔みんなが必死で探したもの」 と言った。
そしてそれを「見つける」ことは、
上で言った「目指す山の遥かなる高さ」を克服することに他ならない。
そこの先にあるのが「古いジャズ」である。
まだ表現が抽象的すぎると言われるようなら、
「普通」を「素晴らしく」演奏する(=「味」)。
こう言えば分って頂けるだろうか。
最近の若手がようやる「バーン」「ドーン」「おおーっ」というジャズもそれはそれで好きなのだが、
(棟さんとかさこくんとやるとこんな感じ)
あいにくこのバンドではそれを目標としていない。
そして恐らくだが、
そういったドゴーンジャズよりも、「古いジャズ」の方が幾分難しい。
「味」よりも、「テクニカル」の方がとっつきやすいからである。
発信者にも、受信者にも。
やっぱり国立みたいなフルバンが山野1位を採る今、
「味」で音楽的アンデンティティを築いた
Jaco PastoriusやJimi Hendrix、Miles Davisのような伝説はもう、これから先二度と生まれない。
そんな気がするのだ。
バンさんは「それが悪いこととは言えない」と言い、俺もたしかにそれはそう思うのだが、
少し、悲しい。
そこで俺はミゲルトリオを思い出す。
学生からセミプロと、いろんなライブを見てきたが、
「味」をバンドアイデンティティとしてあそこまで確立していたバンドは、他になかった。
さて、俺ら新日本人はあと半年で、「昔みんなが必死で探したもの」を見つけることができるのかしら。
話は変わるが
俺は毎度文章を公の場にさらす時、かなりの時間をかけて推敲するのだが、
それでもバンさんの文章には勝てる気がしないでよ。
2007/10/28
10/28ダブルフォース@なんばパークス
なんばでライブの後、直接ダークOBバンドのリハのため京都に行くという
ロックスター並の強行スケジュールを素敵にこなしたいまさしさん。
いわば自分が1.2の順に時間を費やしたフルバン(といっても100:1くらいだが)を同じ日にこなし、
なんだか気付いたことがある。
俺はこの2つのバンドで、やってることが全く逆だった。
ダークはどスイングというある意味「脆い」音楽性もあってか、
「弾ける」「できる」ことを前提に、もう少し前のめりとか、もっともたった方がいいとか、
ビート感に随分腐心した。
なんというか、修行だった。
ダブルフォースではなんか速い曲とかドカーンていう曲の性質もあり、
管楽器も随分達者な人たちが揃い、ドラムのさこくんもバーンガーンドゴーンと叩くので、
俺はその猛者たちの影に隠れて、言ってしまえば適当に体裁を整えるだけでライブが成立してしまっている。というのが現状なのである。
かなり無責任にライブという「楽しみ」に参加させてもらっている。
毎回ラッパ隊とかドラムがすごいことやって、「うひょーい」とボンボン鳴らしていれば
「あー楽しかった」とおいしい酒が飲める。
これは素人がさらに素人になるプロセスである。
危険極まりない。
ダークやってた頃は、ライブ後にひっそり一人で泣いたりしたこともあったのに。
ダブルフォースでは、けいじさんがいなくなった今、
ビート感にまでつっこんで指摘してくれる人はいない。
みんな思ってて言わないだけかもしれんけど。
これでいいのかなと思ったが100年目!!
11/3のダブルフォースのライブはちゃんとすることにする。
幸い、今日はさこくんが結構話せる奴だとわかったので、
これからは彼と演奏することに緊張感が持てる。
あ、もうさこくんとはやらんのか。
誰とどこで演奏してても、けいじさんとかに見られているような気持ちで演奏するのだ。
p.s.
今日のリハで、4ビートでも一泊目が大事だと気付いた。
ごく簡単にマスコミの味方をしてみる
マスコミの味方をする人を見たことがない。
わが国ではだいたい叩かれる側になるというポジションがすっかり定着しているようだ。
外国はしらん。
俺はというと「うさんくさい」と思うくらいで、マスコミのことを目の仇にはあんましない。
というかテレビのスイッチを2ヶ月に1回しかつけないような男なのでマスコミの批判などしようがない。
マスコミのレベルが低下しとる。
金儲けばかり考えているからだ。
とかいう話を批判屋の口から聴く。
ちょい待て。
そのレベルの低い報道・放送に食いついているのは俺ら大衆でしょうがに。
マスコミ批判する前にだな、
レベルの高い放送・報道に大衆が食いついたらええんだな。
そしたらテレビ屋さんは金儲けができ、かつレベルが保たれる。
実に簡単な話だ。
やっぱり文化と名のつくものは、受信者が築いていくもんだって。
ゲームも。漫画も。
最近の亀田親子騒動の話を聞いてそう思ったなあ。なんでか。
2007/10/26
山崎
ドラムが山崎になると聞いて「おいおい!?」と思ったのが今年の1月だった。
俺は阿久津を押してたからである。
ところがあれよあれよという間に、山崎は京大屈指の強力スインガーになってしまった。
知らぬ間に彼が会得していた「古き良き」スイング感は
去年のいがっちょやその前の福井にはない、山崎最大の武器だ。
最近のジャズ系で一番の成長株かも。
たぶんつらかった時期が長かっただろうけど、
ピーナッツなんちゃらを叩いている時の山崎はなんだかかっこよすぎて、
見てるとなんだかめちゃくちゃ嬉しくなる。
阿久津は阿久津でダークやらんでよかったという気もするし、
偉そうなこと言っといて、俺の予測はてんでデタラメだなあ。
2007/10/25
他人の音楽に何という vol.2

第2回は同期の田原と福井が属すオリジナルロックバンド「ぶんちん」としよう。
といっても俺が聞いたことがるのはだいぶ昔に購入した1st「赤盤」収録の4曲と、
現在MySpaceで視聴可能な3曲だけなので随分局所的な意見になることを断っておくのであ~る。
写真はぶんちんのHPから勝手に拝借した。
無断転載がどうのこうの言う以前に、他人のアートワークを自分の発表の場に載せるという行為自体にいち表現者のプライドが自分に警笛を鳴らすのを禁じ得ないが、他に素材がないしそもそも全員知り合いだしまあいいかということにしておく。
俺とロックの関係として死んでも切り離すことができない存在としてBlankey Jet Cityがある。
俺が他のロックバンドにほとんど見向きもせず、ブランキーを絶対領域としている拠り所は、
まさにそのバンドが持つ唯一無二の「文学性」に他ならない。
詩だけではない。ギターソロ。ベースの音質。楽曲の構成。声の上ずり具合。
音楽を構成するすべての要素が「文学性」に多かれ少なかれ、寄与している。たぶん。
まあ解析的に話をすればそうなるだけの話で、
普段から「おっ!このバスドラのタイム感が文学性を向上させるのに一役かっているぜ」
なんて聞き方はしていない。
文学的な音楽は、
曲の周りを取り巻く環境を巻き込んで、
その時その時の心境に左右される色を持つ、
空気を運ぶ。
無理やり言うとこんな感じになってしまうが、ワケワカメでもこれが本音だ。
音楽は随分と曖昧で、ぱっと聞きで感じるものを誰も表現しきれない。
たぶん、だから僕らは楽器を持つのだ。
おっ かっこよくまとまったぜ。
俺がいまいちJazz、Funk、Fusionといった音楽を100%好きだと言い切れない理由は(でも95%くらいは好きだと言える)、「文学性」の感じるところ少ないからであると、おそらく説明できる。
おっと、Jazzから限りない文学性を感じる人を否定していない。
Jazzから限りない文学性を感受する人もいるだろう。
単純に俺の向き不向きの話である。
Hard RockやMetalと同じ。
アルバム一通り聞いて、同じ曲を10回聴いたような。
感じた色が全曲グレーだったとか。
そういう音楽でもごっつ好きな曲はある。
Skidrow「Sweet Little Sister」
Hoobustank「曲名忘れた」
American Hi-Fi「Flavor of the Week」
Van Halen「Hot For Teacher」
Slipknot「Wait and Bleed」「Left Behind」「People=Shit」
Metallica「Creeping Death」
などなど
でも、バンドとして好きにはならないなあ(Slipknotのみ例外)。
ぶんちんの「果実」「五月の風」「八月の路上で待つ」
俺がそれらの場所から感じたのは文学だった。
赤盤からの方向転換をかつて俺は嘆いたが、
さらなる文学性を楽曲に縫い付けるために必要だったと今では思う。
彼らは京都のアマバンでsexual Magnets、Potentz、カブトガニに続く傑作バンドである。そんな気がする。のであ~る。
褒めすぎたか。
にしても福井のスネアは録音で聞くと急に好きな音になるので不思議だ。
2007/10/24
素敵
やっさんを見つけてきたのは山中最大のファインプレーだったと言える。
ウッベを手にとってからというもの、数は少ないながらもいろいろなフロントとコンボをやってきて、
中にはまっとうなプロとか、巷でうまいと評判なプレーヤーとやってきたが、
その中でもやっさんが一番「いいなあ」と思う。
単純に好きなジャンルがかぶっているからというだけではない。
他メンバーの演奏を「聴く」-これが度合いがやっさんは深い。
そこに痺れるゥ!! 憧れるゥゥゥ!!!!
力技でドーンと弾きまくるピアニストはたくさんいるし、
そういう人とライブやるのは馬鹿盛り上がりできるので楽しい。
まあそういうプレーヤーも他メンバーの演奏を聴いてはいるんだろうけど、
出すぎず引きすぎずのやっさんのピアノは端的に言うと「素敵」だ。
逆に言えば自分の演奏が「聴かれている」とも言える。
これは言わば一番怖いお客さんがメンバー内にいるようでなかなか落ち着かない。
ようやくジャズの「当たり前の」醍醐味を味わえるようになったのは確かだが、
これはこれでハードルが上がっているので、
ガサツな演奏しかしてこなかった俺としては正念場なのである。
「素敵」なベーシストになれますように。
2007/10/23
10/21ライブその2-田原Fまさし
誤解を恐れずに言えば、俺は「天然は音楽ができない」という持論を持っている。
天然な連中は人が予期したこと(コール)を返信(レスポンス)しないからだ。
(ここで俺が研究室で天然と呼ばれていることはとりあえず無視しておく。)
ここでいう天然とはひどく限定的な意味で言っているので、
天然諸君が文字通りの意味に受け取ってフンガイしないことを祈る。
まあ天然は往々にして天然の自覚がないから大丈夫だろう。
ちなみに俺は天然ではない。
つまり、音楽-ここでは特にジャズという音楽を意識しているのが分かるだろう-をやる上で、
「自分および他人に対する期待」と「それに音で回答する力」が必要だろう、
ということを託したのが一文目の意図なのである。
なんかこういった至極当たり前の前書をつらつらと説明するのも最近アホらしいが、
巷でジャズの醍醐味であるともっぱらの噂であるインタープレイを実行するためには
こういう能力が必要になることをここで再確認しておいた。
じゃあインタープレイを行うにはどうしたらいいか。
田原Fまさしが抱える問題はまさにここにあるのだからどうしても稿を寄せる必要がある。
田原の随想をみていると
ハーモニーがどうとか理論がどうとか研究の余地が云々とかいう話が目につく。
あいつはまだ自分に足りてないものが分かっていないようだ。
どうも目的と手段が逆になっている感を受ける。
田原が奏でる音楽というものをどう構築していくか-
そういうものより先にしなければならないことがある。
音楽をやるという衝動をそのまま音に乗せることである。
局所的な話になるが、ここでの結論として
「自分の演奏で自分のテンションをあげられるか」
ということを考えたい。
自分でテンションあがらないソロを弾いて、他のメンバーのテンションが上がるわけがないのだ。
そんなソロを弾きたいと考えた時、理論の前にやることがあるはずだ。
バンドとしての最低限のテンションアップダウンができてから、
さらなる彩を加えるために理論の研究をすればよい。
それらの意識が共有できなければあと半年で田原Fまさしが生まれ変わることは
到底無理だろうと考えている。
田原に対して思うことを書き連ねたが、
程度、あるいはベクトルの差があるとはいえ、福井や俺にも同じ課題は当てはまる。
このバンドはまだまだ最低限のクオリティしかクリアしていない。
しかし全員が一皮むけたら加速度的にレベルアップするだろう。
それは同学年の3人が会話レベルの相性がいいからである。
俺は会話の相性はバンドのポテンシャルに直結すると信じているのだ。
期待しているからわざわざこんなことを書いているのだ俺は。
そういえば、
どうやら福井がブログを開始したが、読んでみるとまるでけーじさんの日記を見ているかのようだった。
2007/10/22
10/21ライブその1-バンドがない
いつしかの投稿で書いたとおり、ベースには女が向いていると思っている。
ベーシストには第一義として丁寧さが必要であるというのがその理由である。
そんなことを意識し始めてしばらくであるが、一向にそれが身につく気配がない。
やはり音楽(に限ったことではないが)、結局人の性格を体現するものであることをいつも実感する。
そういう人間は特にライブになると余計にガサツになるので幾分注意が必要である。
さらに言えばエレベで調子乗っている時の俺はもう最悪と言ってもいい。
内貴も似た問題点を抱えていると感じたのでそれを伝えた。
少しは先輩らしいことができた気になっているぜ。
俺とか内貴みたいな人間はなまじっか器用であるので派手な事が「できてしまう」。
素人が見るとそれが「うまい」と映るのだろうが、プロはそういうプレイヤーには着目しない。
ぱもじゃでは斉藤とか木村のようなプレイヤーが本当にうまいと言える。
そういえば丁寧さをだいぶ意識したライブがあった。
今年の新歓でのピストン。
あの時は恐らく録音を聞けば過去のライブでもかなりのベストテイクに入るんじゃないか。
しかし新入生の評判が全く芳しくなかった。のがくやしかったのだ。
地味なベースも見ろよ。
一時期俺のことをうまいという人間は全員「見る目ねえな」と思っちゃったりして、
今ではそこまで卑屈にはなっていないとはいえ、
まだまだ「賢いバカ」になるには程遠いのだ。
ただ意外とバンドがないの評判自体はよかったのでそれが救いであると思えなくもない。
東さんはピンでライブやるときほどのキレがないとは言え、
強引にオチを創るあの天才ぶりには感服する。
レギュラーバンドにしたいなあ。
2007/10/21
タイムトリミング理論
プロを始め写真をある一種の表現手段として捉えている人は
「絵」ではなく「シチュエーション」を撮ろうとしている。
従って被写体として特別性よりはむしろ一般性が選ばれることが多くなる。
それは一枚の紙切れであったり、街のおばあちゃんであったりする。
石垣島で見た超絶綺麗な夕日とかではない。
ふんで例えば紙切れ一枚をとってみてもこの物体にどれほどのシチュエーションを
見る者に想像させるかのさじ加減、バランス、が撮り手のセンスに委ねられる。
例えば紙切れ一枚が写った写真を出されて
「この紙切れは昔付き合っていた恋人と別れたときに手紙を焼いたが焼ききれずに残った部分でつまりこの写真は終わりを迎える恋を表現しています」
と説明されてもそれはあまりに遠すぎる。
見る者が想像できるシチュエーション、それは正解を用意しなくてもいい。
ただプロが見ても素人が見ても、その写真を見る者が自然と被写体のおかれた環境や、バックグランド、前後関係を想像してしまうような。
そんな写真が「いい写真」なんではないか。
と今は思っている。
2007/10/16
ふたり仲良しでいいよねと言われて
人付き合いについてもう一稿。
自分のお気に入りの人間を考えた時、
そいつのキャラがおもろいとか好きとかいう視点とは別に、もう2つの側面に気付く。
そいつの前で俺はおもろくなれるか。
そして、俺はそいつをよりおもろくさせているか。
この2点である。
あいにく俺は誰と接していても自分のキャラをいかんなく発揮できる男ではないし、
(人と接してて「何かうまくいかねえな俺」と思うことがしょっちゅうある。)
そもそも自分のことをおもろいとも思えないので、こんなことを考えてしまう。
ジャズ系でよくつるむ後輩とはすごく相性がいいのか、
気持ちよく付き合ってもらっているが(俺だけか?)、
こと女の子とか、微妙に知らない人間と話す時は全くもって上手くいかない。がちょーん
西畠と千葉はこの問題を(なんでか)クリアした俺にとっては数奇な例。
その点、福井、山中、白坂、前髪あたりはあんまり気負ってないよな。
自分を出すことに。
いつも飲み会で楽しそうだ。いいなあ。
恐らく意識的にか無意識的にか自信があるのでしょう。
本人達に言えばたぶん否定するが、はたから見ててそう感じるでよ。
一昨日のサックス飲み会に行った俺は最悪だった。
体調が悪すぎたのもあるが、話が続かないこと続かないこと山のごとしMAX!!
いまさしの男 泣 き !!
西畠と福井とやったダーク2005のリズム隊は俺にとってはほんまに最高だったな。
俺にとったら最高のパートナー達でした。
二人からしたら何を今更都合のいいことをと言われるかもしれんけど。
どうやったら福井と話している時のような感覚で他の人とも喋れるのでしょうか。
一番大事なのは、ビビらないこと。
これはわかってるんだが。
女にも下ネタが言えたらいいのに。言うけど。
ところで昨日まひょと電車で喋ったのは楽しかった。
最近、俺にもそんなバンドが組めた。
田原Fまさしは演奏力はまあともかく、バンドやるうえで一番大事にしたいことを勝手に共有できる3人である気がするのは俺だけか!?
全員がボケの応酬!!ヒャッハー!!
高校で組んだヒラリーズハズバンドが終わって7年経ち、
やっとバンドの神様にただいまを言えた気がするのだ。
これから半年、バンド生活がまた楽しくなるでよ。
2007/10/14
家具を担いで大阪へ
ようやくスメ35でましな写真が撮れはじめたワイ。
苦節現像140枚強…
くだらん写真に1万円以上かけてきたがそろそろ本領発揮といったところであ~る。

今日は起きたら頭痛がアホほど痛くてしかも修論進める予定だったから正直ダブルフォースリハには行く気がなかったのだが、行ったら行ったであのバンドで音出すのは最高におもろいし、帰りの電車ではまひょと一緒になれて至福の時間を過ごせたので行ってよかったワーイ。
Cherokieが弾けません。
話はうってかわって毎年NFにはあまりいい思い出が無い。
期待するだけしといて結局不完全燃焼で終わること山野如しであります。
あ、マスオでオオトリ務めた3回生の時はおもろかった。
自分らのライブであんなに人が盛り上がってくれるのは始めただったから。
ロック少年としては一つの夢を叶えたような気がする。
ジャズ系のNFではやりきった感など味わったことがない。
それはイベント自体が盛り上がらないというシステム上の問題が80%あるとしても、
そもそも「やりきろう」と思うバンドを組んでないのが20%はあるのかもしれない。
このバンドでがつんと一山あてたる!
と思うバンドは?
あ、ピストンがそうか。
4回生の時のピストン@定演は自分のライブのハイライトのうちの一つであります。
ただ4回生12月当時はジャズ系において精神的にあまりいい状態ではなかったので、
「イイ思い出」と単純に振り返るにはいかないところがある。
俺は何でこんなに焦っておるのだ。
ピストンももう活動してるとは言いがたい状態にあって、
やはり欲に支配されるのが人間か、あの興奮をもう一度体験したいのかもしれない。
学生最後のNF、ひいては定演。
結局「いまさしすげー」と言われたいのだな。わかりやす。
それは、昔より今のほうが絶対うまなってると自分で思うからこそなのであるなのである。
後輩がミゲルトリオやABTというレギュラーコンボを組みばりばり活躍している。
福井はベクトルズを始めた。
弾き語りでもやったろうか。
じゃなくて、俺には新日本人というコンボがある。
これをいかに「ザ・バンド」といえるまで昇華できるか。
毎度毎度言うが、これが学生最後の課題なのである。
バンドがないは俺の中でかなり期待したレギュラーバンドだったが、
東さんの都合であまり続けることはできないようだ。
俺はいっつも事後的に「こうすりゃよかった」が募る人間なので、
事前予測が極めて苦手な土佐っ子いまさし。そろそろ人間改革を果たすべき。
ジャズ系におけるいち演奏者として、後半年で「やりきった!」といえるにはどうしたらいいか。
というお話。
田原トリオしかり、新日本人しかり
しかしファンクもしたかったりする。ひえー
2007/10/12
ダブルfォー
組長さんがカッコよすぎて鼻血が出た。
youtubeにアップされてるロイホのライブ録画を見たんですが。
最近のダブルフォースはコンテンポラリーに手を出し始めて「んん~?」とか思っとったけど、いざライブを見るとかっこいいんで不思議だ。
あんなアレンジのNight in Tunisiaが組長さんによってアホほどかっこよくなるんまったく不思議だ。不思議至極。
まさかこれこそがバンドマジックだったか!!
ざわ…ざわ…
もう一度言うけど組長さんがカッコよすぎて鼻血が出た。
鳥肌もたったよサービスも実施中だぞなもし。
このバンドには無理やりにでも曲の収拾をつけられるような、「単純な楽器のうまさ」以外の「うまさ」を持つ猛者が揃ってるのがかっこよさの秘訣なんでしょうな。と言ってみたりする。
そのかっこよさは「単に素人が見てかっこいいだけの罠」に陥る危険性があるのだけれども。
このバンドを本多雅人レベルのプロが見たらどう思うのかはわからん。
俺は素人だからネー。
自己表現という視点で人の相性を考える
自己表現という言葉自体はなかなか嫌いな部類に入る。
理由は「自己表現をする」という至極当たり前の行為が巷ではあたかも特別であるかのように論じられるからだ。従って厳密には単語自体が嫌いなわけではない。
モテるからキムタクが嫌い、という動機と同じである。
まあ俺はキムタクがキャラとして嫌いだ。
さて嫌いとは言ったものの現在ほかに適当な言葉が思いつかないので今日はこの単語を使う。
最初に今日の議題の結論を言っておくと、「正確に自己表現できている人間同士の付き合いってハッピーだよね」ということである。
「なんとなくこいつとは同じ方向を向いているわ」と感じられると、仲良くなる動機として強い。
例えば俺はブランキー好きだが、他のブランキー好きとは何だかウマがあうことが多い。
ブランキー好きに共通する嗜好性というものが恐らく存在して、それを共有できるからである。
上の例はブランキーという象徴的な媒介があるのでわかりやすすぎる例になってしまったが、「仲良くなる」という現象には何かしら人間の方向性に関して共有するものがあるのだと思う。
じゃあその「こいつは同じ方向を向いているわ」と、人の何から判断しているか。
それを今回は広い意味での自己表現だと言っているのでR。
バンドマンなら自己表現として音楽を想像するだろうか。
例えばライブを見ていていれば言葉を交わさないまでもその人がどんなキャラか(どこを向いているか)分かってまうでしょう。
しかしそれは極めて特殊な例であって、言葉使いであるとかしぐさとか表情とか笑いのツボなどの人と接する際に必ず通過する行為だってこの意味での自己表現に含まれるのだ。
というか今回の議題においてはこっちの方が本当の自己表現と言える。
「自己表現というアウトプット」作業を一旦完了した形でしか、他人は自分を捉えられない。
そこで自己表現の「正確さ」が大事になってくる。
つまりライブや日常会話で発揮している自己は本当に自分を投影したものになっているか、である。
正確に自己表現できていると、恐らく自然に同じ方向を向いた仲間が周りに集まるだろう。
自己表現に正確さが無ければ、他人は自分を本来とは異なった見方で捉える。
そのような人は「どうもよく一緒につるむ友達はいるが、妙に気が合わない」と悩むこと甚だしい結果になってしまうこと甚だしい。
まあ、俺もちょっとそのケがある。
というか、正確には「あった」。
だから俺はこんなことをわざわざ考えているのだろう。
山中とかまるさんとか白坂とか見ていると、「こいつ一生こんなこと考えもせんやろな」と思う。
俺からしたらこういう人間はキヨーである。
逆にブキヨーな人間は我慢をするハメになる。
倉都とか木全とかはこういう部類じゃないだろうか。
勝手に言ってごめんやけど。
ブキヨーな人間はどうすればキヨーになれるか。
普段から自分の言動にシビアになる他ない。
「日常生活からそんなストイックに生きられへんわボケ!」と思う人はまあそれでもヨロシ。
俺はそういうストイックさが嫌いじゃない。
そしてそのストイックが板についてきたらちょっとずつ楽になってくる。
俺はこの2年間で楽になった。
俺ちゃんキヨーになってきぜ。へっへっへ。
2007/10/10
吾輩よ先輩たれ
ぱもじゃに鈴木太朗という先輩がいました。俺の2世代上の人です。
ジャズしか聴かないという俺からしたら理解できない人なのですが、彼の音楽に対する異常ともいえる真剣さは俺だけでなく周りのぱもじゃ連中に大きく勇気を与えたでしょう。
やると言い出したバンドを1週間後にやめたいと言い出す。
いきなりギターをやめてクラリネットを始める。
かと思ったらピアノを始める。
の裏ではしっかり12弦ギターを買ったりする。
いきなりそれを売ったりする。
研究室にアップライトベースを持ってくる(ていうか買ってる時点ですごい)。
ギターの岡本さんをして「プロになれる」と言わせたのに今では女子高生相手に先生をしておられる。
そんな奇天烈ぶりも魅力の一つである太朗さんに俺はジャズの手ほどきをしてもらいました。
この人がいなければジャズ系入っていないと言っても過言ではなかろうであります。
今までのバンド生活で感謝したい人間が3人いまして
澤良木詠一はバンドを教えてくれ
田中宏明は大学で安心してバンドをできる場所をくれ
鈴木太朗はジャズを教えてくれて
上の2人はまた別に稿を寄せるとして、太朗さんという人間は俺からしたら純度100%に尊敬と感謝してしまう珍しい存在であります。
一番印象に残っているのは大学3回生の時に真伊年とやったメセニーのバンド。
Bright Size Lifeをスタジオで50分くらいぶっ続けでやらされた。50コーラスくらい?もはや修行。
当時は文字通り涙目でしたが、こういう経験がよかったんだなと今になって思うのだ。
そこにあったのはやっぱり愛であったからなのだ。
俺に対するとか音楽に対するとかこのバンドに対するとか、いろいろな意味での。
そう考えたら太朗さんは音楽ももちろん人間も同じくらい好きだったのだ。
たぶん本人は否定するだろうが、どこからどう見たって、そうだ。
はて、自分が先輩としてそういう経験ができたのだろうか。
阿久津とか倉都とか、よくつるんだ後輩はいるが、音楽的に道を示せてないな。
ジャズ系の後輩は後輩で知らん間に勝手に俺より上手くなってるし、もしかしたら俺にそういう役目の必要はないのかもしれない。まあ、それも少しさみしい。
ダーク1年目が終わった瞬間、まっさきに感謝したのは太朗さんだった。
出口で本人を見つけて泣き崩れた。
この人以上に音楽好きを感じる人は一人もいない。
もちろん太朗さんより上手い人は京都にもいるが、
音楽の話をしだす時、ギターを弾いてる時、ストイックさ、普段のキャラといい俺の中で唯一無二のかっこよさで、ヒーローとして君臨している。ずっと。
あと半年。
俺はジャズ系の誰かに対して、そういう先輩になれるかなあ。
2007/10/07
スライダー写経
どうも後輩とちゃんとしたコミュニケーションがとれてないんでねえのかということが一個下の学年とうちの学年で問題になった時期があった。
後輩の音楽に対する姿勢が年々「薄く」なっているような「気がしていた」時期である。
2.3年前のことだと思う。
当時いた美濃部さんは「先輩から働きかけるべきだ」と言っておられた。
まあ自分の印象を悪くするようなこと言っとくと俺は当時「着いてきたい奴が着いて来い」なんて思っちゃったりしていたので、上記のアドバイスを「あー確かにそうかもねえ」と思いつつ実際には何の態度も変えない男であった。
そこにはちょっと「先輩としての」、プラス「人付き合いに対する」プライドが見え隠れしていたのが事実である。
わかりやすく言えば「こっちから働きかけるより向こうから働きかけられる方がカッコイイ(モテてる)」。
まあ一見上の態度は理論的には正しくて、現実的には正しくない。
「向こうから働きかけられる人間は すでにこっちから働きかけている」からだ。
白坂とかちゃっかとか山中とかけいじさんを見てるとどうも世の中はそのようになっている。
例外は超美女くらいだな。千葉など。
ルーキーズという漫画に「信頼されたければ信じろ」というセリフがあって、立ち読みながら感動した覚えがある。当時の俺の悩みに直撃していたからである。
今はそれを発展解消して考えられる。
「信頼されたければ」という前提もいらないのである。
そんな下心を隠して人と触れ合うでなしに、素直にみんなと明るく接しよう。
ただこの半年、それを忘れていた。
妙に今年に入ってからどうもモテなかったのである。女にという意味ではないよ。
なんというか、いろいろ人と接することにいちいち意味が無いような気がしていた気がする気がする。
そんな下心を隠して人と触れ合うでなしに、素直にみんなと明るく接しよう。
俺のすごいところはそう思ったら完全にその気になってしまえるところである。
明日からそうなれる気がする。
どう考えても人間明るい方が楽なのである。
さっき帰ってきたM2キャンプでこのことを思い出した。
2007/10/05
他人の音楽に話をする vol.1

ido-est
Joe Brownn(照井利幸)
定期的に有名人の音楽に対してレビューをしてみるという試み。
記念すべき第一回目は上手いんだか下手なんだかわからんけど音楽に対するその度が過ぎるほどの実直さと天然キャラが極めて魅力的なベーシスト照井利幸氏(ex.Blankey Jet City)のソロプロジェクト第一弾。
人を使うのが下手な部類の人間がいる。
アウトプット下手とニアリーイコールであると言ってもよかろう。
恐らく一人好きの人間にこういう傾向があるんじゃないかと思っている。
まあ俺がそうなんだが。
恐らく照井氏もこの部類。
ブランキーをアホみたいに聴いてきたし、インタビューも出回ってるものはほぼ全て読んだ自信がある俺としては、照井ワールドを一聴衆としてだがわりと理解してるつもりなのだ。
このアルバムはそれの片鱗が見え隠れする。
しかし「片鱗」が「見え隠れ」しかしてない。
演奏を聴くと「照井氏はほんとはこうしたかったんだろうなあ」という想像が頭をよぎること山の如し。
サイドメンバーが照井氏の志向性を理解できてない様子がわかるし、
事実照井氏がインタビューでそういっとる。
ただよくよく聴くとベンジーとか達也のソロよりも「ちゃんと」創りこんであり(まあ前者2人はそういう志向性がもともと無いのだが、ともすればベンジーはそれが「適当さ」に走ってまうので安心して聴けない(特にここ最近のソロ))、そこはだいぶ好印象。
ボーカルのきしょささえなければ、照井氏のメルヘンサイドが存分に発揮された秀作になっていたと思うのであるまじろ。
冒頭を飾る「悪い予感」はこの1曲だけでアルバム買った価値があったと思うほど好きなんやけどなあ。
なもんでインタビューで自分で「今回はアカンかった」みたいなこと言わんといてや 泣
俺って大体自身のバンドつくってもうまいこと盛り上がらんので、
そろそろカリスマ性の無さに気付くべきかもしれない。
照井氏はこの8年後RAVENという形でこのアルバムのミスを乗り越えたが
俺もはやいとこそうならんとなあ。
2007/10/04
二人きりじゃないけれど
自分でよくわかっておるつもりだが俺は惰性な人間である。
「イカンイカンなおさな」と思うこと山の如しではあるが、ハタと考えてみる。
仕事はやい。頼まれたことはキッチリやる。奴に場を任せたらまず間違いない。
そんな完璧な人間に俺はなりたいと思ってはいないのである。
そんな人間性を感じさせるやつが周りに何人かいたりするけど、まあだいたいそんな奴とは仲良くならない。
俺の敬愛する土佐高の連中がわりと惰性だからか?
まあ俺含めそんな奴らは社会出てから苦労することが約束されている。
愛してるぜお前ら。
したがって昨日(10/2)はドラクエ6をおそらく10時間くらい堪能したのだ。
ただいくら惰性が俺のアイデンティティだと謳ったところで他人に迷惑をかけては、これはイケナイ。
その制限条件のもと、何が最適解なのか。
これを肌で感じられるような能力が理想であるかもしれないかもしれない。
つまり
後悔はしたくない。
でも後悔してる人間に惹かれる部分がある。
後悔してる人生が楽しいとか思ってるところがある。
これらのどこで帳尻を合わすかという話である。
一昔前までは俺の中核を成していた「無駄の美学」に対して最近は懐疑的になっている。
どういうことかというと、確かにかつて経験した無駄のおかげで俺が形作られているのだが、その無駄がなければ今頃もっと良い俺が形成されているのではないかちゅう話だ。
このテーマは惰性と大きく関わる重要なテーマであるぞ!
「無駄の美学」とは「惰性の美学」とニアリーイコールであるからだ!
最近の流れとして、この惰性が他人へ迷惑かけとる程の酷さなので、少し考え直す必要があるかなと感じる次第であります。
本当はこんなことを書きたいのではなかった。
新日本人の話、ひいては俺とジャズの話をする。
山中が言っていたように、俺はジャズへのコンプレックスがあるのは間違いないのだ。
例えばバンドがないをやっているかのようにゴキゲンでジャズができたら、俺は大満足で大学を卒業できるのだ。
じゃあどうやったらそれが可能かという話なのだ。
プロの演奏聴いてたら「俺にもできそうだ」という気になる。
意外とこの感覚が大事なんではないのか!?
こういう俯瞰的にサウンドを見つめる/聴く感覚というものは、(俺の場合)楽器を持った瞬間に忘れてしまうものなのだ。これがイカン。
今度は楽器を持った瞬間にあえてそれを思い出そう。
バンドの逆金縛り状態だ!!!
ジャズが本来の意味で楽しめますように。
2007/10/02
新日本人@RAG
そもそも論やべき論を使うべきとことそうでないとこを見極める必要があったのだ。
どうも俺はこのバンドの他のメンバーに対して押し付けがましい気持ちを持っていたようだ。
そもそも論から逸脱したところにバンド固有のカラーが出るのではないか。
あえて言うなれば、ジャズという音楽は「そもそも」そもそも論を必要としない自由な音楽であるはずだ。
ライブ後の話し合いでそのことに気付けてよかった。
俺がベースとして存在しているからにはその上で気持ちよく演奏してもらいたいのであーる。
やっさんのように人を感動させるプレーヤーになるためにはどうしたらいいか。
たしかに今の俺は楽器を練習する時間がまったくと言って良いほど無い。
とは言うもののなんというか、気の持ちようだけで演奏は相当変わる気がするのだ。
自分ができることを確実にやる、これだけで音楽はカッコよくなるはずなのだ。
多分。
ダークやって以来、自分は他人の演奏を邪魔しているようで忍びない。
録音聞くと、バラードの俺は最悪だった。
もっと自由に。
p.s.
ライブ後に来てくれた後輩と楽しく話ができた。
壁は少しずつだが姿を消しつつあるのかもしれない。
2007/10/01
音回廊03
飲み会編
人付き合いにおいて、「壁」には2種類ある。
しかもこれには2パターンあって、それは人と接しても心の奥までは見せないという「心の壁タイプ」と、知らぬ人との接触を恐れる「接触の壁タイプ」で候。
俺は後者であった。というか未だにそんなところがある。
しかももっと細かいこと言うと、全く知らない人に対しては全然壁なんてないのに(例えば町の通行人とか楽勝で声かけれる)、同じサークル内でビミョ~に知っているくらいの関係の人間とはなかなかコミュニケーションとれないというタチのものである。
一度気さくに話し会える間柄になれば俺ほど心開く人間はいないくらいの自信はあるのだが(というかそれ以外の人付き合いが無理)、そこまでに達する道のりが高く、険しい。
俺は最初から人を「嫌い」から入るところがある。
聞けば松本人志もそうだと言う。
そんで「こいつこんなええとこあるんか」という経験をつむことで信頼関係を事後的に築いていく。そんな付き合い方をしていたなここ最近。
まあつまりビビっているのである。皆に。
さらに外見からかしらんがどうも後輩から怖がられる傾向があるので(甚だ不本意である)、お互い接することなく今まで来てしまった後輩も多いのでしょう。
それは少し寂しい。
俺がなんでビビっているのかと言えば「やっぱ男としてその場を盛り上げてナンボ」みたいな気負いが強いからである。
なんでそんな気負いがあるかと言えばその能力に自信がないからである。
これはもうどうもこうも変えられない性質のようでして、例え福井とか山中とかちゃっかとか阿久津とかの普段から絡みのある連中と喋っていてもこの気負いはとれない。
俺は常にキンチョーしているのだと思う。意識はしてないが。
じゃあ「別にそんなキャラ目指さんくてええやん」という話になるが、どうも去年発揮しすぎた説教先輩キャラには戻りたくない、というか俺が後輩だったらこんな先輩やだ、という理由で却下。
どうも話を哲学・思想論的な方向に持っていく癖があり、まあ本音ではこの癖は俺の武器になっているとは思っているが、あえて封印して他の武器を鍛えましょうという選択。
人間の幅を広げるのでR。
別にそうなろうと意図したわけではなくて、気付いたらこうなっていた自分の心境の変化をこう説明できたってだけ。
しかしどう考えても去年・一昨年の方がモテとった気がするのが実情。
今が一番中途半端な時期なのかもしれない。今は耐える時期である。
そういう意味では今の山中はジャズ系で一番バランスがいい。
人間の器であいつには勝てる気がしない。
人付き合いという面でこいつには勝てんと思う人はジャズ系では3人おって、一人は上記の山中。あとは丸さんとけーじさん(もはやジャズ系ではない)。
「他人に対してホンマに壁を作ってないな」と思うこと山の如し。
周りの人間が彼らを信頼しているのが第3者として見るとよくわかる。
最近はさっき言ったような気負いを無くせればいいなと思う。
絶対そんなものが無い方がおもろいことも喋れるはず。
でもこの人と仲良くなりたい!という人に限って気負ってしまうのが人間の性である。
俺昔はそういうこと無かったんやけどなあ。
社会は複雑である。
でも9月の夏合宿の時に、丸さんを見てようやくそこら辺のことに気付いた。
そんで、俺は自分で思っていたほど実際は他人に対して壁をつくっていないことに気付いた。
壁をつくった気になっていたようだ。
なもんで昨日の飲み会はどうも楽しかった。
壁を意識せずにいろんな人と喋れた。
稲吉くんと喋ったのが収穫だった。
やっぱり人間シンプルな方がいい。
もうモテたいとか言うのはやめる。しょうもないから。
そういえば、今はもっとロック系の連中と仲良くなればよかったと思う。
音回廊02
つづき
ダークは山崎のクラッシュ空振りが一番の見所だった。
全体的に目新しさが無くなってきた気がするのでここらでロッキンをやるというのはどうだろう。冗談。
塩見がだいぶリードっぽくなってきて嬉しかった。音か飛んで聴こえてきた。
こまいぬの社長スタイルの座り方はいつみてもグっとくるものがある。
ピーナッツなんとかっていう曲をやってる時の山崎+岩波のスイング感は秀逸だなあ。俺にはできんわ。
瓶覗きは煮え切らない感じ。曇天の影響か。
バカ盛り上がりでもいいので一山欲しかったが、ひょっとするとそういう路線を狙っているのかもしれないので偉そうなことは言えない。
新日本人とか田原トリオやってても思うが、しかけるフロント+呼応するバッキング、この流れがなかなか難しいもんじゃ。キーマンは木全と阿久津。
阿久津がめちゃうまなってたようなことを福井が言っていたが、そこには共感できなかった。
スネアの音はだいぶ好みだったが全体的に落ち着きがない。ぴょこぴょこした感じ。
ただ、たまーに「おおっ!」と思えるオカズを入れたりして、そういうとこを見ると期待したくなる。
木全はテーマ弾くときはすごい雰囲気出ているが、ソロになったらようわからん感じになるのでもったいない。流れを意識しながら「これなら盛り上がる!客も涙する!」みたいなフレーズをここぞという時にバシッドカッボコッガツーン!とキめれたら見所をつくれるかもしれない。
マーカスはライブ毎に上手っ!と思うときと下手っ!と思うときがあって得体の知れない奴だ。
武田なつきは相変わらず天然だった。
なんにせよテントが低すぎてマーカスのこめかみまでしか表示されてなかったのが非常によかった。
音楽やるでもなんでも遊び心が大事と俺は思っていて、特にファンクなんていう音楽はそういうのを盛り込みやすい音楽なんだから(と思うけど)、一回アホにでもなっておっしゃあ!バーン!って音出したらおもろくなるんちゃうか。あんな辛気臭え顔してやらんでもええがな。
ここでアホと言っているが一直線でアホを目指すとZ-Z合格「ウ」みたいになるので(あれはあれでああいう音楽の良さがあるのでしょうから一概にそれが悪いわけではないが、まあ俺には全くわからん)、ここはひとつアホの前に「賢い」を通過せねばならぬ。
つまり「賢いアホ」になりましょう、ということでR。
それはTD’sやってる時にメイシオ聞いて感じたことだ。
「このおっさんめちゃめちゃハッスルしとるけど、ちゃんと木だけでなく森も見とるな」という感じであります。
バンドの流れとか音を俯瞰的に見つつ、その中でアホを演じているのだと俺は感じたのであります。
つまりここでいう賢さとは、「余裕」とニアリ~イコ~ルなのであります。
じゃあその賢さはどうやって得るか。練習であります。
そして練習で「慣れ」を会得しましょう。そして「余裕」を得ましょう。そして「賢さ」を身につけましょう。
そうしたら「アホ」を演じましょう。
これは現在の俺の課題でもあります。
福井の所属するベクトルズはとても良かった。
恐らく本調子が出たライブではないだろうが、雰囲気勝ち。
俺がああいう音楽がめっちゃ好きというわけではないが、なんというかああいうバンドが出来たら幸せやろなと思う。福井が羨ましいぜ。
残りの学生生活で俺にとってのそういうバンドを作りたいなあ。8ビートね。
最近ぱもじゃではじめた井上陽水バンドがそうなるかもしれない。
素人のボーカリストで俺が感銘を受けたのがぱもじゃの岩佐さん、東さん、ジャズ系の白坂で、そのうちの東さんの歌の演奏をできるだけで感無量なのだ。
と思ったら木村と内貴がまたやたら上手い。
木村の上手さは性格によるなあれは。誠実。不必要なことしない。
俺はこの性格のせいで結構いろんなこと遠回りしたと思っているが、そういう道草をくわずにここまで来たような男だ。詳しくはしらんけど。
16をやらせたらまいねとかいがっちょよりもシャープで切れ味がすごい。
一緒にやってて勉強になるわこら。
できればNFとか焼け跡ライブとかで出てジャズ系の人にもお披露目したい。
久しぶりにバンドやってて単純に「うわー楽しー」と思えた。
たぶんダークやって以来こんな感覚は無かった気がする。
新日本人は足引っ張りまくってる感があってなかなかつらい部分もあるし、やってて「やっぱ俺下手糞やな」としか思えない。不勉強、鍛錬不足が祟る。
これをどう「単純に楽しいバンド」に昇華できるか。学生生活最後の目標なのである。
根性を見せねばならない。
そして外タレがニカ~と笑いながらジャズをする。ああいう状態になりたい。
音回廊飲み会編につづく
2007/09/30
音回廊01
ジャズにはまるのはいいんだがジャズを始めた途端ジャズしか聴かなくなるような人もいるみたいで、そういう現場を見るたびに「んん!?」と思ってしまう。
心底ジャズが好きで「もうジャズしか聴けません」と言ってる人のことを批判したいわけじゃなくて、全くわからんなその気持ちというだけのこと。
「ジャズって崇高」みたいなイメージを持っている人もいる気がする。
まあ確かに演奏者に求められるものは他の音楽よりシビアにならざるを得ないところがあってそれを克服するべく練習しまくる人はかっこいい。
でも「シビアにならないと成り立たない」だけであって本来はモンゴル800みたいな曲を演奏する際にも質を目指すならシビアにはなる必要があるので別にシビアさなんてものはジャズの特質ではない。
ロックでアホみたいに売れてる人でもびっくりするくらい下手な奴がいるが(ラルクのギターとか)、そいつの存在を理由にロックを馬鹿にする奴はぶっとばしてやる。
そんなワケがあってか無くてか俺の中でジャズは「無難な音楽」なのである。
とある有名な人が「Duke Ellingotn以外の音楽は退屈だ」みたいなこと言ってそれがなんか名言みたいな扱われ方をしているが、そんな人間は俺の持論からしたら音楽好きとは到底言えない。
けいじさんという先輩はダークもやりつつカブトガニというロックバンドでもバリバリモリモリ叩いてて、その節操無さが好きだった。音楽に対して自然体な人だなあと思ったものだ。
また音楽の趣味自体はなかなか合わないことが多いが、福井も音楽に対してずいぶん自然体な奴である。俺と相性がいいのはそういうところかもしれない。
かと言って俺みたいにライブ前にならんとジャズを聴かないような奴はジャズをやる資格もない気が最近している。資格が無いというか、そんな奴はいつまでたってもジャズができない。
こういうと俺はジャズ嫌いみたいだが実際は逆で、演奏するなら俺にはジャズが一番おもろい。
昨日は音回廊というイベントを年甲斐もなく見に行った。
本当は年甲斐ないわけではないのだが(むしろ後輩思いの先輩である!)、どうも西畠という女のせいでそう思うようになってしまった。
某D軍コンマスが書いておられる自身のブログを偶然発見し、そこにまぁたいそうな事が書かれてあったのでこれは是非お手並み拝見といき、駄目出しの100個くらいはしてやろうかと鼻息荒く伺った次第であるまじろ。
ところが外で焼きそばを食っている間に本人の唯一のもち曲「Night Flight」が終わってしまったらしく、彼の演奏を見ることは全くできんかったがな。地獄に落ちた方が地球のためだな俺は。
岩波か福井かが木本うまかったと言っていたので、なら大丈夫でしょう。
ただベースという楽器は安定してるとかビートが出てる云々は分かりやすい一指標だが、プラス「他の楽器がノりやすいか」という視点も大事で、俺含めああいう性格の人間はそこの視点が抜けがちなのでそれが心配であ~る。「俺のベースかっちょええやろ!」だけじゃあかんのである。
そういう意味ではアホみたいにがっついて一人で練習すりゃいいという楽器ではなく、なんというか、コミュニケーションがとれるのかとか如何に他人というものを汲み取れるかという能力が必要になる。俺が一番ニガテなところだ。
なもんで俺はベースほど女に向いている楽器はないという持論を持っている。
女が持つ丁寧さとかへんな野心の無さは、ジャズベーシストがテクニックなんぞを得る手前に必要となる大事な能力だと思っている。ああ3年前の俺に言ってやりたい。
話しがそれた。
件のD軍はしげるとかさとまりとかバリトンの女の子が支えとるなあという印象があって「おおぅがんばっとるなあ」。さとまりが吹いているのみたらテンションあがるなあ。
山中がしきりに今年のD軍のサックス隊のことを心配しているが、素人の俺にはよくわからんかった。
毎年思うがFoobirdのソロってそんなに難しいのか?まともに吹けてる人間をここ数年一人も見ていないぞ。吹きやすいように自分でフレーズ変えたらいいのに。
リズム隊は管に比べて崩壊状態。
みっきーとかマーカスとか木本みたいなリズム隊をひっぱっていける人間をバランスよく曲に配置せなどうにもこうにも聞けへん。大雅気合いれんかいな。
ピアノは例年より上手い子が多いと思うが、哀しいかなピアノがうまくてもリズム隊がまとまるわけではない。そんな楽器じゃない。
でも全体的にレベルは高いと感じる。
でも「佛大より8万倍かっこいい」とか冗談でも言うな。
昨日はPAがどうも駄目すぎた。
音量があんなに小さけりゃフルバンならではの大迫力は望むべくも無い。
よく「昔のプレーヤーは大ホールを生音で演奏してたんだ」というおっさんの説教を聴くが、大学生ですよ僕ら。
ちなみに山田さんという軽音部では神みたいに扱われている(のか?)にいちゃんがいるが、俺はあの人がどうも好きなれない。
もうめんどくさくなったので続きは明日更新することにすることにすることにする。
大衆は残酷な出来事に感覚が鈍りはじめた
・身内(京都大学軽音学部ジャズ系)にまつわる音楽論を中心にした備忘録
・人物はできるだけ実名で表記
・できるだけ誹謗中傷は書かない
・他人に公開することを意識して更新
・他人に公開するかどうかは未定
・1ヵ月は続けましょう