ダークのラストライブに行き申した。
あんまり言いたくないのだが、残念なライブでゴザった。
今まで散々「今年のダークすごいすごい」と言い散らかして来たのですが、
今年初めてホール以外のハコでダークの演奏を聴いて、
バンさんが言ってたことがようやくワカタでゴザる。
「管楽器に関しては超素人」の俺が言うことだが、
リズムに対する認識が甘いという印象をぬぐいきれない。
というか、
そんな細かい話になる以前に、
「プレーヤーとして成長」した人間が破滅的に少なかった気がするでニンニン。
清水、こまいぬ、瓜倉、みさっきー、まんしょあたりは「おおっ」と思うところがあるんだが、
これらのメンバーとそうでないメンバーの差が激しすぎる気がするで早漏。
-以下ダークを例年見てきて思うこと ヽ( ´ー`)ノ -
ダークは他大学のフルバンより曲が多い。
今年はななななんと28曲ご奉仕出血大サービスだったらしい。
(参考:同志社-10曲…まあそれもバンドとしてどうかと思うが)
思うに、学生フルバンという1年の限られた時間という制限条件の下、
いたずらに曲数が多くても、全くロクなことがないぜ。
今年はそれがもろに「一曲一曲の詰めの甘さ」につながっている。
曲練に追われて、演奏技術を磨く暇が持てないメンバーが大半だ。
俺は「演奏技術」を2つに分けて考えている。
ひとつは「基礎技術」、もうひとつは「引き出し」である。
「基礎技術」は、いわゆる譜面通りに吹ける技術のことである。
例えばドンカマに合わせて「パッ パッ パッ パッ パッ パッ パンツ」と吹けるかどうか。
モタるとかハシるとかいう駄目だしはこの部分を意識したものである。
「引き出し」とは、いわゆる唄い方のことである。
バラードとミディアムでは必要とされる唄い方が全く違うのは周知の通りだし、
おなじミディアムでも曲によっては「軽快に」あるいは「2-4をタメて」とか「淡々と」、「感情豊かに」
というイメージの使い分けが必要とされる。
この「引き出し」を多く持つ人ほど音楽的に空気が読める。
そしてこの文を書きながら気付いたことだが、
「基礎技術」は「できること」に対応し、
「引き出し」は「したいこと」に対応する。
「したいこと」は「できること」を生み出し、「できること」は「したいこと」を可能にする。
鶏が先か卵が先かワカンナイという話と同じで、
この両者は相互作用しながらぐるぐると成長していく。
1年という限られた(そして短い!)時間の中で最大限成長するためには
どうしても「効率的に成長する」という視点が必要である。
場当たり的に曲数こなしたらそのうち上手くなるやろう-たしかにそういうプレーヤーもいるんだが、
あいにく16人全員をそんな人間で揃えるのはまぁ不可能だ。
なもんで、
「今バンドにとって、「できること」「したいこと」-どちらが優先的に必要か」
ということをしっかり認識して対処していくことが必要だと思う。
-以上前置き-
「基礎技術」「引き出し」の2者で表される「演奏技術」は結局何のためになるのかと言うと、
それはつまり「対応力」につながるのである。
曲数がいたずらに増えると、とりあえず形だけでも整えることが急務になり、
その場しのぎのテクニックだけが身につく。
本当はそのテクニックもプレーヤーの意識次第で「対応力」に昇華することが可能なんだが、
それに気づける人間ばかりではないらしく、
ダーク1年やって上手くなる人と、上手くならない人の差は、恐らくそこにある。
なんか今年は後者が多かったような気がするようなしないようなするような。
理想を言ってしまえば、前期の間に「対応力」を成熟させることができたら、
それ以後はどんな曲をやっても、くどくどパー練とか曲練しなくても、
勝手にカッコ良くなるはずでしょ、というお話。
…という話をけーじさんにすると
「そらそうやけど、学生じゃ無理やろう」
と言われたが、
まぁ学生レベルでできる範囲でそういう方向性で成長するのは有効だと思います。
以上が自身が2年間ダークの管楽器を見てきて、感じたことでアリマシて、
俺がダーク2008のコンマスやるとしたら、こういうことを意識するだろうな、
とそういう話でアーリマン。
後半に続く。
2007/12/11
They're D.B.N.S.O.2007 その1
時刻:
14:38
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