2007/12/04

芸術との離別

就活がんばってる系の典型的な部類に入る人たちのことをずっと胡散臭いと思ってきた。

win-winの関係が云々とおっしゃる人たちとか、
「出会いって大事だよね」を頻発する人たちとか、
商社行きたい願望を前面に押し出してる人たちとか。

いや、商社行きたい人や商社に務めている人をどうこう言ってるんではなくて、
俺がここで言いたい人がどういう人種かは就活を経験した人なら分かってくれるはず。


俺は人間の性質を表すひとつの2項対立として
「社会」と「芸術」
があると思っている。

社会と芸術が相反する概念だと言いたいのではないと、分かっておいて欲しい。
とりあえず無理やり言葉にしたというレベルである。


そんで上記の人たちはもちろん「社会」に属する人たち。
「社会」しか見てない人たち、といった方が適切か。

その人たちは独特の「軽さ」と「馴れ馴れしさ」を持っていて、
人とか思想に対する「壁」を持っていないことはまぁ尊敬に値することとは言え、
どうもそれが万人に共通であるかのように振る舞い、そうで無い人にも押し付けてくる傾向がある。
非常に価値観が一元的である。俺から見たら。

で、胡散臭い。

はっきり言ったら嫌いだ。






今日俺はバイトに入った。
そこで「いかにも芸術やってます」という格好をした男女2人組が隣のフランス人夫婦に
「友達の舞踏家が今度どこそこでイベントやって、それはなんちゃらとふんだらを融合した新しいほにゃほにゃで…」
とチラシを渡していた。


どう考えても胡散臭いのだ。



奇奇怪怪なビジュアルに異常に感動し、
自分がyesと言えば誰もつっこめない。
ある意味宗教ともとれるそれらの価値観はマクロで見ると無限発散的。

理由は「社会」的な人たちと全く逆だが、結論は同じ。



俺はずっと完全に「芸術」に属する人たちの考えを持ってきた。

それを西畠は「現実を見ていない」と言った。

そして半年間、就活という環境に身をおいて、俺は自分に「社会性」というキーワードを課した。
「芸術」に属する人たちの傾向に漏れず、俺は自分しか見てこなかったからだ。

ついに「芸術」を語る人間を胡散臭いと思う今の俺。


その瞬間、俺も考え方が変わったということを決定的に感じた。


それと同時に自分が理想とする立ち居地が鮮明に見えた。


「社会」と「芸術」のド真ん中に立ってやる。



6年前、理系と文系の真ん中だと建築学科を受験したように。



来年から働くのはデザイン会社だが、
そこの社長はデザインというものが社会でどう作用するか、どう作用させるか、
ということを考えている人である。
今の俺には、ベストじゃねえかこれ。



ウヒョー

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