自分でよくわかっておるつもりだが俺は惰性な人間である。
「イカンイカンなおさな」と思うこと山の如しではあるが、ハタと考えてみる。
仕事はやい。頼まれたことはキッチリやる。奴に場を任せたらまず間違いない。
そんな完璧な人間に俺はなりたいと思ってはいないのである。
そんな人間性を感じさせるやつが周りに何人かいたりするけど、まあだいたいそんな奴とは仲良くならない。
俺の敬愛する土佐高の連中がわりと惰性だからか?
まあ俺含めそんな奴らは社会出てから苦労することが約束されている。
愛してるぜお前ら。
したがって昨日(10/2)はドラクエ6をおそらく10時間くらい堪能したのだ。
ただいくら惰性が俺のアイデンティティだと謳ったところで他人に迷惑をかけては、これはイケナイ。
その制限条件のもと、何が最適解なのか。
これを肌で感じられるような能力が理想であるかもしれないかもしれない。
つまり
後悔はしたくない。
でも後悔してる人間に惹かれる部分がある。
後悔してる人生が楽しいとか思ってるところがある。
これらのどこで帳尻を合わすかという話である。
一昔前までは俺の中核を成していた「無駄の美学」に対して最近は懐疑的になっている。
どういうことかというと、確かにかつて経験した無駄のおかげで俺が形作られているのだが、その無駄がなければ今頃もっと良い俺が形成されているのではないかちゅう話だ。
このテーマは惰性と大きく関わる重要なテーマであるぞ!
「無駄の美学」とは「惰性の美学」とニアリーイコールであるからだ!
最近の流れとして、この惰性が他人へ迷惑かけとる程の酷さなので、少し考え直す必要があるかなと感じる次第であります。
本当はこんなことを書きたいのではなかった。
新日本人の話、ひいては俺とジャズの話をする。
山中が言っていたように、俺はジャズへのコンプレックスがあるのは間違いないのだ。
例えばバンドがないをやっているかのようにゴキゲンでジャズができたら、俺は大満足で大学を卒業できるのだ。
じゃあどうやったらそれが可能かという話なのだ。
プロの演奏聴いてたら「俺にもできそうだ」という気になる。
意外とこの感覚が大事なんではないのか!?
こういう俯瞰的にサウンドを見つめる/聴く感覚というものは、(俺の場合)楽器を持った瞬間に忘れてしまうものなのだ。これがイカン。
今度は楽器を持った瞬間にあえてそれを思い出そう。
バンドの逆金縛り状態だ!!!
ジャズが本来の意味で楽しめますように。
2007/10/04
二人きりじゃないけれど
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0:05
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