
第2回は同期の田原と福井が属すオリジナルロックバンド「ぶんちん」としよう。
といっても俺が聞いたことがるのはだいぶ昔に購入した1st「赤盤」収録の4曲と、
現在MySpaceで視聴可能な3曲だけなので随分局所的な意見になることを断っておくのであ~る。
写真はぶんちんのHPから勝手に拝借した。
無断転載がどうのこうの言う以前に、他人のアートワークを自分の発表の場に載せるという行為自体にいち表現者のプライドが自分に警笛を鳴らすのを禁じ得ないが、他に素材がないしそもそも全員知り合いだしまあいいかということにしておく。
俺とロックの関係として死んでも切り離すことができない存在としてBlankey Jet Cityがある。
俺が他のロックバンドにほとんど見向きもせず、ブランキーを絶対領域としている拠り所は、
まさにそのバンドが持つ唯一無二の「文学性」に他ならない。
詩だけではない。ギターソロ。ベースの音質。楽曲の構成。声の上ずり具合。
音楽を構成するすべての要素が「文学性」に多かれ少なかれ、寄与している。たぶん。
まあ解析的に話をすればそうなるだけの話で、
普段から「おっ!このバスドラのタイム感が文学性を向上させるのに一役かっているぜ」
なんて聞き方はしていない。
文学的な音楽は、
曲の周りを取り巻く環境を巻き込んで、
その時その時の心境に左右される色を持つ、
空気を運ぶ。
無理やり言うとこんな感じになってしまうが、ワケワカメでもこれが本音だ。
音楽は随分と曖昧で、ぱっと聞きで感じるものを誰も表現しきれない。
たぶん、だから僕らは楽器を持つのだ。
おっ かっこよくまとまったぜ。
俺がいまいちJazz、Funk、Fusionといった音楽を100%好きだと言い切れない理由は(でも95%くらいは好きだと言える)、「文学性」の感じるところ少ないからであると、おそらく説明できる。
おっと、Jazzから限りない文学性を感じる人を否定していない。
Jazzから限りない文学性を感受する人もいるだろう。
単純に俺の向き不向きの話である。
Hard RockやMetalと同じ。
アルバム一通り聞いて、同じ曲を10回聴いたような。
感じた色が全曲グレーだったとか。
そういう音楽でもごっつ好きな曲はある。
Skidrow「Sweet Little Sister」
Hoobustank「曲名忘れた」
American Hi-Fi「Flavor of the Week」
Van Halen「Hot For Teacher」
Slipknot「Wait and Bleed」「Left Behind」「People=Shit」
Metallica「Creeping Death」
などなど
でも、バンドとして好きにはならないなあ(Slipknotのみ例外)。
ぶんちんの「果実」「五月の風」「八月の路上で待つ」
俺がそれらの場所から感じたのは文学だった。
赤盤からの方向転換をかつて俺は嘆いたが、
さらなる文学性を楽曲に縫い付けるために必要だったと今では思う。
彼らは京都のアマバンでsexual Magnets、Potentz、カブトガニに続く傑作バンドである。そんな気がする。のであ~る。
褒めすぎたか。
にしても福井のスネアは録音で聞くと急に好きな音になるので不思議だ。
2007/10/25
他人の音楽に何という vol.2
時刻:
1:18
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