2007/11/17

行くぜ相棒よ

高知市立泉野小学校の音楽室にはちょっと特殊な楽器があった。

一応鍵盤楽器で、外見はエレクトーン。ただ、40鍵くらいしかない。
試しに指を乗せると「ヴォ~~~」っていうやたらブーミーな低音が発生。

名を「バスマスター」という。

マスターしているのかどうかは超あやしいが
とりあえずバスの要素はある。

参考までにバスマスターの写真を2つ掲載する。






大学入って誰に言ってもわかってもらえないことから
随分マイナーな楽器なんだなとは認識していたが、
天下のwikipediaにもページがないと知った時にはケツが16個に割れるほどショックでした。



言いすぎた。

まあマイナーにしろメジャーにしろその楽器は年に一度の合奏コンクールにて
200人のアンサンブルの中、たった2台で低音パートを一手に引き受けておったのです。


俺は6回の出演機会のうち、4回この楽器を担当した。


「まだよちよち歩きの頃からCMソングを聴けばベースパートを唄うような子だったよ雅史は」
なんていう有名人っぽい伝説など全く聞いたことがない。

先生A「まあまあピアノが弾けるけどもっと上手い子は他にもおるき、そういう子らは本職のピアノかエレクトーンに回して、こいつはバスマスターでも担当させたらええろう」
先生B「御意に」
いまさし「(鼻をほじっている)」

小学生が自ら志願して担当させてもらうにはちょっと渋すぎるポジションのこの楽器を、
かなりの頻度で担当したのは恐らくこういう経緯に違いない。



そんで俺も中学生にもなるともれなくバンドしたいしたい病にかかり、
盟友の澤良木らとバンドを組んだ。
その時の俺はギターを弾いていた。

練習の休憩時間、ギターでひたすらベースラインを弾いている俺(アホか)を見て
澤良木はそれまで彼が担当していたベースと、俺のギターの役割を交換することを提案した。





その後10年間にわたってベースという楽器を相棒としてきた今になって思う。

小学校のバスマスター
あの楽器と、妙に付き合いが多かったことが俺の原石なんだぜきっと。




衝撃の展開が繰り広げられるその2につづく。

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