2007/10/31

10/30:新日本人@京都ZAC BARAN

バンドとしてまあある程度意思疎通ができてきた。
無理やり体裁を整えるのもできるようになってきた。
1回目や2回目のようなミスは少なくなってきた。
曲中にひと山やふた山はこさえられるようになってきた。

バンドとしては成長してきたと言える。

さて、新日本人は「古いジャズをやる」という山中の意向の下、集った4人である。
それがこのバンドが目指すカラーであるはずだ。

ジャズコンボとしては異例なほどのリハをこなし(というほどでもないか)、
「最低限」を少しずつクリアしていくことで、
次に見えてきたものは目指す山の遥かなる高さだった。


「古いジャズ」といっても山中と俺じゃその言葉に託す意味が微妙に異なるだろうが、
俺の場合、その言葉を表わしていると思う音源が二つある。
 Kenny Dorham 「Lotus Blossam」
 Cannonball Adderly 「Del Sasser」

ド派手なインタープレイがあるわけではない。
むしろバッキングを聴いて受ける印象は淡々としたものである。
フロント・ソリストも迸る情熱を楽器に注いで全力をつくすといった感じでもない。

でも、今はこういう音楽に一番興奮する。
「上手な音楽」ではなく、「いい音楽」だ。

それらの音楽を
恐らく平川は「味」と表現し、
バンさんは「その昔みんなが必死で探したもの」 と言った。

そしてそれを「見つける」ことは、
上で言った「目指す山の遥かなる高さ」を克服することに他ならない。

そこの先にあるのが「古いジャズ」である。


まだ表現が抽象的すぎると言われるようなら、

「普通」を「素晴らしく」演奏する(=「味」)。

こう言えば分って頂けるだろうか。


最近の若手がようやる「バーン」「ドーン」「おおーっ」というジャズもそれはそれで好きなのだが、
(棟さんとかさこくんとやるとこんな感じ)
あいにくこのバンドではそれを目標としていない。

そして恐らくだが、
そういったドゴーンジャズよりも、「古いジャズ」の方が幾分難しい。

「味」よりも、「テクニカル」の方がとっつきやすいからである。
発信者にも、受信者にも。


やっぱり国立みたいなフルバンが山野1位を採る今、
「味」で音楽的アンデンティティを築いた
Jaco PastoriusやJimi Hendrix、Miles Davisのような伝説はもう、これから先二度と生まれない。
そんな気がするのだ。


バンさんは「それが悪いこととは言えない」と言い、俺もたしかにそれはそう思うのだが、

少し、悲しい。



そこで俺はミゲルトリオを思い出す。
学生からセミプロと、いろんなライブを見てきたが、
「味」をバンドアイデンティティとしてあそこまで確立していたバンドは、他になかった。




さて、俺ら新日本人はあと半年で、「昔みんなが必死で探したもの」を見つけることができるのかしら。





話は変わるが
俺は毎度文章を公の場にさらす時、かなりの時間をかけて推敲するのだが、
それでもバンさんの文章には勝てる気がしないでよ。

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