2007/10/23

10/21ライブその2-田原Fまさし

誤解を恐れずに言えば、俺は「天然は音楽ができない」という持論を持っている。

天然な連中は人が予期したこと(コール)を返信(レスポンス)しないからだ。
(ここで俺が研究室で天然と呼ばれていることはとりあえず無視しておく。)

ここでいう天然とはひどく限定的な意味で言っているので、
天然諸君が文字通りの意味に受け取ってフンガイしないことを祈る。

まあ天然は往々にして天然の自覚がないから大丈夫だろう。
ちなみに俺は天然ではない。


つまり、音楽-ここでは特にジャズという音楽を意識しているのが分かるだろう-をやる上で、
「自分および他人に対する期待」と「それに音で回答する力」が必要だろう、
ということを託したのが一文目の意図なのである。


なんかこういった至極当たり前の前書をつらつらと説明するのも最近アホらしいが、
巷でジャズの醍醐味であるともっぱらの噂であるインタープレイを実行するためには
こういう能力が必要になることをここで再確認しておいた。


じゃあインタープレイを行うにはどうしたらいいか。
田原Fまさしが抱える問題はまさにここにあるのだからどうしても稿を寄せる必要がある。

田原の随想をみていると
ハーモニーがどうとか理論がどうとか研究の余地が云々とかいう話が目につく。
あいつはまだ自分に足りてないものが分かっていないようだ。
どうも目的と手段が逆になっている感を受ける。

田原が奏でる音楽というものをどう構築していくか-
そういうものより先にしなければならないことがある。
音楽をやるという衝動をそのまま音に乗せることである。

局所的な話になるが、ここでの結論として
「自分の演奏で自分のテンションをあげられるか」
ということを考えたい。

自分でテンションあがらないソロを弾いて、他のメンバーのテンションが上がるわけがないのだ。

そんなソロを弾きたいと考えた時、理論の前にやることがあるはずだ。

バンドとしての最低限のテンションアップダウンができてから、
さらなる彩を加えるために理論の研究をすればよい。

それらの意識が共有できなければあと半年で田原Fまさしが生まれ変わることは
到底無理だろうと考えている。

田原に対して思うことを書き連ねたが、
程度、あるいはベクトルの差があるとはいえ、福井や俺にも同じ課題は当てはまる。


このバンドはまだまだ最低限のクオリティしかクリアしていない。


しかし全員が一皮むけたら加速度的にレベルアップするだろう。

それは同学年の3人が会話レベルの相性がいいからである。
俺は会話の相性はバンドのポテンシャルに直結すると信じているのだ。


期待しているからわざわざこんなことを書いているのだ俺は。



そういえば、
どうやら福井がブログを開始したが、読んでみるとまるでけーじさんの日記を見ているかのようだった。

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