ワタクシは日本語というものが大好きでして、
いかに日本語が素晴らしいかについては別に稿を寄せるとしましても
とりあえずワタクシは日本語ロックが大好きであります。
そして同時に邦楽に誇りを持っています。
あんまり洋楽邦楽という分け方もそれどうなんという気が致しますが、
そんな事を言いだすとじゃあジャズとかロックとかユーロビートとかパラパラとかいう言葉の存在も危うくなり、そんな事では音楽の話が到底成り立たない。
「ジャンル分けなどナンセンスだ」などと鼻息荒くのたまう輩を(主に)オンライン上で見かけますが、
じゃあジャンル分けという思考を人間が持たないとすると、
「先輩、ジョンコルトレーンてどんな音楽する人なんですか?」
「まず本人はサックスを吹くんだ。そしてバンドメンバーはウッドベース、ドラム、ピアノという編成が多いかな。ドラムはチーチッチチーチッチというリズムを刻み、べースは4分音符を1小節に4回弾くんだが、これでコード感を出すんだ。ピアノはイントロを弾いたりして曲に色をつける感じかな。そしてここからが大事なんだが、曲は基本12小節とか32小節とかで1サイクルするんだ。これを1コーラスと言うね。曲毎にコード進行が決まっていて、最初と最後にその曲特有のメロディーを演奏するんだが、その間は各プレーヤーがコードにのっとった思い思いの演奏を繰り広げる。そしてバッキングがそれに呼応する形で手を変え品を変え追随するんだ。だからテイク毎に全く違った演奏になるんだ。ところで君かわいいね」
みたいな会話を毎回しないといけないので舌が8枚くらい必要になってくる。
かのデューク屋のエリントンヌさんは
「この世にあるのは良い音楽と悪い音楽だけだ」
などとさも名言らしいことをおっしゃっており、わざわざこの場でその真意について、はたまたこれが「あなたにとってジャズは何ですか?」という質問に対する答えとして適切かということについては言及しないとしても、いや、俺もそれは100%同感やしもし飲み屋でエリントンヌさんと一緒に飲んでて急にそんなこと言われるともうその場で立ち上がって
「そう! そうやねん!! いやァ話が分かるでオッサン!!」
と言ってしまうくらいの勢いですが、
ですが!!
たかお「いまさしってどんな音楽好きなん?」
いまさし「良い音楽」
こんな事では僕らは一生バンド仲間を見つけられません。
従って今頃ダークブルーニューサウンズオーケストラも存在しません。
音楽的情報を円滑に共有するために「ジャンル」を非音楽的な言語で表すことは恐らく必要なのであって、そこを否定してしまっては同じ音楽活動をするにしても何倍もの時間をかけないといけなくなる。
話がSUPER逸れた。
冒頭で何でわざわざ敢えて邦楽に誇りを持っていると言ったかというと、
どうも「邦楽聴いてる方がかっこいい」という風潮を(大昔から)感じるからなのでありますのですが、
昔のクラス名簿である女の子が「趣味」の欄に
「洋楽を聴くこと」
と書いてあって、
「な、な、な、な、な、な、な、な、な、ナタデココ!!」
といまさしさん(当時ティーンエイジャー)は大いにフンガイしたものであります。
まあ今になって思えばその子が洋楽>邦楽という意識で書いたのかは定かでなく、ひょっとしたら一様に音楽を聴いてきたけどたまたま好きで残ったのが洋楽ばっかりだったのかもしれない。
当時は俺も若かった。
まあとにかく世間一般(主に音楽をしてない人たち)では日本人というだけで外国人よりもレベル低いみたいな捉え方がされている気がしておりまして、なら俺がここで「邦楽も捨てたもんじゃないよという意味で」邦楽好きですと宣言してもバチはあたらんだろうというつもりです。
なのに!!
なのに!!
同じフォークソングをやらせても、
サイモン&ガーファンクルはとてもかっこよくて
南こうせつはちょっと笑ってしまうのは、
なぜでおじゃる!!
2007/11/29
ミイラ盗りがミイラになる話
2007/11/27
ゼロになるために
なんなんだここ2日間のアクセス数は。
当初は誰も見ていないことをいいことに
「好きなこと書いたれ~い (ノ-_-)ノ 」
と始動した当ブログも、ま、ま、ま、まさか1日に60アクセスを誇る一大アミューズメントパークにまで成長するなんてよ…
ジャズ系の連中でここの存在を教えたのは福井と倉都だけだったような。
先日の泊まり込みで、みさっきーがこれ見てることが発覚した。
「つ、ついに現れたか!! ガガーン!! ( ̄ ̄ロ ̄ ̄;;)」
じゃあたぶんtakaoも見てるだろう。イーヒッヒッヒ!!
皆さん異論反論コメントしてくれていいんですよ。
いやぁ自動的に成長するもんですな。ビバITワールド。
閲覧者の増加の伴い執筆内容も制限を受けるかという思いもあってほぼ宣伝活動を行ってこなかったのだが、せっかく己の思想を紹介しているのだがら多くの人に見てもらいたいという気持ちもあって、ちょっと複雑ではあるが、実際は結構肯定的に捉えられている。
さてmixiでもお伝えした通り、本日Fotologueユーザーになり申した。
いや~いいすねこの本気Flash感。かっちょええし。
職人気質を見せつけられました。
ダーク2005の写真を公開しようという軽い気持ちでひょいひょいと門を開けたつもりだったが、
なんと中にいたのは虎の群れだった!!
他のユーザーが本気過ぎて、なにかしら「作品的な写真」をアップロードしないと
いけない雰囲気を感じてビビるいまさしさん
(″ロ゛) ウボァー
とりあえずたまたま研究室のPCに入っていた波照間島の海辺(いちおう自信作)をアップして
体裁だけでも整えておく。
写真の勉強なんて全くしたことないし、それで食べていくでもない。
でもビジュアルと呼ばれる分野には昔から人一倍敏感であることは気付いていた。
昔から身内には妙に褒められてきた経験が積もり積もって、
絵とか写真に関しては「人よりちょっと得意だけどねフフン」程度には思っていたのだけれど。
世の中、すごい才能がゴロゴロしとるもんである。
Fotologueを見て痛感したぞバカヤロー。( ̄△ ̄)/
ちょい時間ができたらこのツールに本気で取り組みたいですな。
結局俺は、赤の他人が俺の写真を見てどう思うかなんてまだ全然知らないのだ。
俺の本気を世の中に問う。
そこでようやく「ゼロ歩目」。
俺は哲夫んちでワイン片手にこの「ゼロ歩目」を踏みだすことがいかに重要かを説いた。
ゼロ歩目に立たないと、自分の才能が分からないからだ。
「お前は俺みたいなドジを踏むな」
俺は完全にこういうつもりで話していた。
西畠にはよく言われてたのによ、結局俺は何もしなかった。
ただ、俺だってまだ遅くない。
最後に火花を散らせるのであ~る。
関白宣言(修正版)
背景を変えたぜコノヤロウ。
が、新背景にもう飽きかけていることには目をつぶっておこう。マル。丸さん。
ジャズ系内に浮いた話が出まくっている(眼球5割出るくらいのハイペースぶりはなんだコラ!!)
ついでにオラも人付き合いについて一考。
俺は人を「人間」として見るようになりたい、と常々思っている。
どういうことか。
「彼女」「彼氏」「友達」「親友」「幼馴染」「元カレ」「浮気相手」「上司」「同期」「小学校の友達」「中学校の友達」「高校の友達」「大学の友達」「サークルの後輩」「サークルの先輩」「女友達」「ヒーロー」「憧れ」「敵」「うんこ」
俺らは人に対してラベル貼った上でそいつと相対する。
誰しも「俺高校の友達とおる時とジャズ系にいる時でキャラが違う」などということに気付く瞬間がある。
まあそういうことである。
そういうラベルを全て「人間」の一本に還元したいと、俺は願っているのだ。
要するに、「誰と接していても、いつも同じ俺でいたい」と思っている。
※感情レベルじゃなくて、キャラレベルの話をしているということに注意されたい。
俺はその願望を恋人関係にまで持ち込むから話がややこしくなる。
どうも恋人という人たちは
「あの人は私にだけ優しいのウフフ」
というステイタスがある意味絆を感じさせる一つのバロメーターとして存在している。
俺は逆の道を辿っていることになる。
西畠と付き合っていた時の話。
もちろん奴も恋人と呼ばれる人たちの例に漏れることなく
相対する人間が、俺か俺以外かで態度が違っていた(もちろん俺に対する態度の方が「良い」ものであった)。
普通ならそこで男性諸君なら「付き合っている」実感を味わい舌なめずりの一つでもするところだろうが、俺にはその態度の差が奇妙でしょうがなく、たまには腹立つことさえあった。
いや、誰も共感してくれないことは分かってるんだけども。
話を元に戻して。
俺の願いは、確固たる自分を持つこととほとんど同義である。
仙ちゃんはかなり該当している。
ジャズ系では山中や丸さんあたりが結構該当している。
彼らに共通しているのは恐れが無いことだ。
俺には恐ればっかりだ。
最近大好きな漫画、井上雄彦の「REAL」。
劇中の野宮というヤンキーが、俺はたまらなく好きなんだけど。
こいつが今俺が言ってることとピッタリ当てはまるんだわね。
こいつ見てると純粋で純粋で、ちょっと泣きたくなる。
是非あそこまでの境地に行きたい。
2007/11/25
NFを振り返ってみるvol.3
3日目。
朝10時ぱもじゃ集合、ライブ開始は夕方4時というスケジュールに自己破壊欲望を覚える。
いろいろあって他人のライブを見るつもりにもなれず、家にも帰れないときたよコリャ。
昼、木全のジャズ系はカスですねメールに一同騒然となる。
じゃあほぼ同じバンドで2つコマとってる自分はなんなんだ。
ライブはすべてぱもじゃだった。
JAZZ DAYなのに。
ついてない。ファックって言わせろ。
ライブその5
バンドがない
井上陽水カバーバンド。
今回のテーマは「ジャズ」
東さんに足りないものは「ゴリ押し感」だと思った。
木村に足りないものは「大げさ感」だと思った。
内貴に足りないものは「誠実さ」だと思った。
俺に足りないものは「筋力」だと思う。
ライブその6
田原Fまさし
正直一日目の野外ライブが終わった瞬間にこのバンドを辞することを考えたが(実は福井もそうだったらしい)、それを払拭するには十分なライブができた気がする(この点も福井は一緒らしい。デキてるのか俺たちは)。
俺は田原に足りないものは「ジャズ慣れ」だと思っていたが、どうも違うのではないか。
あいつを見ているとライブをちゃんとした形で披露するという意識に欠けているようだ。
しこしこと毎日理論の練習していたら
バラバラのパズルのピースがいつか一瞬で形になるとでも思っているのか。
ライブという一つ一つの機会に、絵がわかっているところだけでいいから、ピースを繋げていくしかないのだ。
俺が思うに、フロントが最初に必要とするものはテーマを完璧に演奏することだ。
完璧と言っても譜面を一寸の狂い無くという意味ではなく、自分なりの「完璧」に従えばいい。
ソロ中に、全く同じフレーズを演奏しても、
テーマを感情豊かに弾ける人間と、しどろもどろな人間では全く違ったものに聴こえると思わないか。
一つ収穫があった。
俺が初めてジャズバンドで披露したオリジナル「白滝の海」が以外に好評だった。
vol.4に続く。
以後はNFで見た緒バンドの印象および泊り込み、果てはNF総括へと進む。
NFを振り返ってみるvol.2
今気付いたら今年のNFは1日目2日目3日目に2つづつの出演となっていた。
これだけみるとだいぶバランスが良いように見えるが、実際はそうではなく
毎日毎日「朝来ては夜までいる」必要があり、その間の時間のつぶし方に苦慮した。
特に西院から来ている俺としては家にも帰ることもできず、なんだかしんどかった。
2日目。
ライブその3
倉都宅から出発。伏見トリオのデビューを果たす。
メンバーは倉都(As)今橋(Ba)阿久津(Dr)
コンセプト「ウッベでファンク」
といいながら結局エレベも使ってしまうところが実に俺らしい。ィヤッホーイ
倉都が教えてくれたCorduroyというなかなかかっこいいバンドのコピーを2曲。
なかなか調子よく弾けた。
加えて最後の練習で急遽やることが決まったオリジナルを3曲目に披露。
このオリジナル、倉都と俺は「恥ずかしい」と思って演奏をためらっていたが、
やたら評判が良かった。
その時、
人は皆、恥ずかしい部分は多かれ少なかれ絶対持っている
ということに気付く。
聴いて無い人は損したぜバカヤロー
昼ということで客が破滅的に少ない状況に絶望感を抱くが、
武田なつきが演奏直後の転換時にかっこよかったと言ってくれて、それがだいぶ嬉しかった。
阿久津と久しぶりに音合わせた時に奴のあまりの成長してないぶりにかなり焦燥感を覚え(よく考えたらまだ2回生か)、前日の祇園スパンキーズを見てさらに不安を覚えていたが、
曲に慣れてきたせいか演奏中は気にならず。録音聞いたらどんなんかワカンナイけど。
倉都は何でも任せたらカコイイことやってくれるので、安心安心。
山口組を聴いたが、あいつの演奏を聴くと、
「ああ、こいつめっちゃ音楽に真剣やな」
と思う。
上手い下手とはまた別のところで「良さ」がある。
いがっちょも言っていたあいつのピアノがやたらいいのはそう部分の現れだろう。
本人はアルトを褒めてくれと言うが。
総練習時間4時間強のこのバンドだが
今振り返っても一番のベストテイクを残したと言える。
本当はもっと身内に聴いてもらいたかった。
M2の俺がいるのに、なんなんだこの出演時間は。ファック。
ライブその4.
夜に新日本人の演奏を終える。
俺の大好きはDel Sasserは直前に決めたキメが全くキまらず、テーマは崩壊状態。
もうソロ中は記憶にない。
長いソロスペースを頂いた2曲目Tell Me Your BedTime Storyでは
結構納得のソロが取れた。
Aトレはどうもいがっちょと山中のテンションがうまく合わず、もうめちゃくちゃだった。
総じてぐだぐだなライブを終えることになる。
ただただやっさんに申し訳ない。
以下録音を聞いての感想。
あれ、悪くねえじゃねえか。
特にTell Meはかなりの好テイクだぜこりゃ。
vol.3につづく。
2007/11/24
NFを振り返ってみるvol.1
出たライブのレポートは必ず書くという掟に従い、書く。
1日目
ライブその1
NF初陣となった田原Fまさしの吉田南野外ライブ。
極寒を極めた気候(指が地蔵のように動かない)、
ドラムが遠くて音量小さいわ(テンションが鬼神のように上がらない)
やたら雨は降るわ(福井のギャグのように指がスベる)
という、「ライブをしたくない環境アンケート全世界版」をとれば
まあ絶対ワースト1.2.3位をぶっちぎりで独占するでしょうという環境で、
結果、ここ数年でも記憶にないくらい最悪のライブを迎えた。
環境に左右されないくらいの実力が欲しい。
ジョニーに「そんな悪くなかったで」と言われたのがせめてもの救い。
ライブその2
Piston白坂&The赤飯ズ@西部講堂
このバンド、自分で言うのもあれだが、かっこいいバンドやと思うんだが、どうなんだろう。
トリ2ということで1日目の中ではお客さんは一番いるという時間だが、
それでも少ない。
はじまる前に白坂と「客少ないな」と言った。
NFとはそういうもんだ。
なんだかなあ。
で、いちおうラストライブらしい。
Sir Dukeやってる時にマジで泣きかけた。
白坂からソウルを教えてもらって、自分の演奏が変わった。
それはソウルを演奏する時だけでなく、ジャズの時も。
ビバ音楽的的。
このバンドやって、よかった。
俺はダークやって2年目でようやく「音楽できる耳」を持つことができたが、
それをなんだか最初から持ってる奴もいるのだ。
白坂は俺が気付かないようなことを指摘するし、
青木は高校の時からプロ音楽家の上手い下手を評価していた。
あいつらのの耳のよさは、なんなんだ。
晩に白坂とちゃっかとママとキャサリンといがっちょと飲みに行った@さえずり。
女2人の前で下ネタ連発というリスクを乗り越えSUPER楽しい時間を過ごす。
ママってすごい気配りできる人間やなと気付く。
ちゃっかの彼女を見た。
vol.2につづく。
2007/11/21
2007/11/19
明治大学京都大学その05
飲み会編
あんまり実情は知らないとは言え、人から伝え聞いた話でいろいろと腹立つというかもはや腕が3本に生えるくらい呆れてしまうことが明治との対バン打ち上げの裏でまかり通っていたらしいのでそれに対して稿を寄せる。というか寄せなければならない。
そしてこの記事を書くことによって沸き起こった怒りを
明日のゼミへの原動力にするとしよう。
ワタクシメは後輩に相手されないというリスク(寂しさ)と本能的に遊びたいという欲求の板挟みに合い、飲み会行こうか行くまいか散々迷いまくっておったのですが
話を聞けばD軍ほとんど帰っただと!!
しかも2回生が!!
(`Δ´)ナンダトー!
相手は「東京」から来ているのだ。
車で8時間とかの距離ダヨ!!?
ほふく前進で行ったら何日かかるかわからないアル!!
打ち上げが楽しそうとか、楽しくなさそうとか、そういう問題以前に、
最低限相手する(つまり出席する)のが筋ではないのか!!
それとももはや時代が変わったのか!!?
苦悩するいまさしさん!!
(・_・) ん? ←アホ
リズム隊はさっさと帰るを決めこんで京都で身内で打ち上げ。
しかも事前に予約してたとかしてないとか。
どんだけ用意周到やねん!!
( ̄△ ̄#)ぬぬぬー
そら丸さんもキれるわ!!
こういう時に大雅みたいな奴はちゃんとしてるんだわ。
一昨年の井本とかもそうだった。
そういう奴らのために俺は泣くぜ!! うおおお!! (T△T)
木本も打ち上げに挨拶もせずに帰っただと!!
あいつは音楽指導をするだけがコンマスだと思っているのか。フンガー!!
(ノ`´)ノミ┻┻ がしゃーん
なんかあいつ見てると「音楽に関わること以外興味ねえっす」みたいな態度を感じるぜ。
実際はどうかしらんけど!!(だからこそアンケートに「今度話しよう」と書いた)
それは仮装やめるとか言い出すところにも表れているような気がするのだが、
なんというか、仮装とかそういう課外活動をやりながらも、きっちり音楽に筋を通す、
ていう考え方はないのか!?
やってみたけど無理だったのか!?
正直仮装やめるならやめるで引き換えに音楽的になにか進歩がないと
(もちろん個々人が、ではなくバンド単位で)
D軍としてかなりカッコ悪いぞ!!大丈夫か!?
(゜ε゜) ブー
…と顔文字を交えるとマイルドになるかなと思って書いてきたが、
これじゃマイルドを通り超えてもはやマイケルなので
俺の真意というか本心というか怒りが伝わらないではないか。
以下まじめ
わざわざ東京から来た相手をそこまで徹底して相手するつもりがハナからないなら
ライブになんか出るな。辞退しろ。
あんまり人をなめるんじゃねえ。
以上まじめ
と、このブログを見ているD軍の人(たぶん何人かはいるでしょう)、
俺以外にもお怒りの先輩方はいらっしゃいますぞ!!
というか
こういうことはダークが言っていくもんなんじゃないのか!?
俺この歳にもなってこんな下らんことで説教するの嫌だぜ!!
( ;; ̄3 ̄) イヤダー
それとも冒頭の通り、本当に時代が変わってしまったのか。
苦悩のあまり、今日は寝れないぜ!
明日ゼミだからもともと寝ないんだが。
まあしかしそのおかげで俺は2回生5人くらいと京都で飲むことができたのも事実。
たしか丸さんとザンギとアラジンとまっきーとぱんちゃんがいた。
後輩と飲むなんて滅多にない機会だからとても楽しかったです…です…ですが!!
やっぱり駄目ですよ打ち上げ行かないと。
こう見えても後輩と飲むのは大好きなので、
(こんな時にアピールくらいしとかないと毎回誤解される)
是非「打ち上げのない日に」お誘いください。
アラジンめっちゃいい子やった。阿久津は果報者であるな。
2007/11/18
行くぜ相棒よ その2
ということで前号ではベースという楽器と俺の関係を実にロマンチックな回想で暴き出したが、
現在でもたまに思うことがある。
本当にベースが天職だったのか。
俺はたまにドラムに嫉妬する。
高校時代に200曲以上の作曲をした俺だが、
今聴いてもベースよりドラムパターンの方がかっこいい。
これは音楽やる上での志向性の向き不向きを暗示しているとも取れる。
セッションでたまに遊びでドラムを叩いて他の連中と音を合わせることがある。
ベース弾いているときより周りの音がよく聴こえる。
楽器自体の特性もあろうが、
その経験がより「ドラムだったら…」と思う機会を増やした。
けいじさんが家に来たとき、
癖で空手ドラムをやっていたのを見て、ドラマーみたいと言われた。
いつのまにか身につけていた、目立ちたがりという性格は、
特にビッグバンドでは歯がゆい思いをさせられた。
今までベースに使ってきた時間をドラムに割いていたら、
今の俺よりもっと上のレベルまでいけてたかもしれない。
という念はいつまでたっても消せないままだ。
ドラマー諸君には失礼。
たしか中学の時、俺はバンドやりたいと家族に言っていた時期だった。
テレビで演奏するTOKIOを見て親父が言った。
「ドラムはどうな」
「あんな地味な楽器、嫌や」
何を考えていたんだ俺は。
スラムダンク山王戦の三井の4点プレイの時、
ベンチの名前も知らない眼鏡がもらした
「湘北に入ってよかった」
一番好きな場面。
「でよかった。」
俺はこの言葉にその過程全てを肯定できる力があると思ったからだ。
俺はベーシストでよかったと思っている。
でも、こんな風に感じてしまうのは、なんでだ。
な~んてことを考える暇があったらさっさと練習して
京都のザ☆ベーシストになればいいのである。
明日も相棒を抱えて練習に行くぜ俺はよ。
敢えて挙げる今日の1曲
Duke Ellington 「Skin Deep」
2007/11/17
行くぜ相棒よ
高知市立泉野小学校の音楽室にはちょっと特殊な楽器があった。
一応鍵盤楽器で、外見はエレクトーン。ただ、40鍵くらいしかない。
試しに指を乗せると「ヴォ~~~」っていうやたらブーミーな低音が発生。
名を「バスマスター」という。
マスターしているのかどうかは超あやしいが
とりあえずバスの要素はある。
参考までにバスマスターの写真を2つ掲載する。

大学入って誰に言ってもわかってもらえないことから
随分マイナーな楽器なんだなとは認識していたが、
天下のwikipediaにもページがないと知った時にはケツが16個に割れるほどショックでした。
言いすぎた。
まあマイナーにしろメジャーにしろその楽器は年に一度の合奏コンクールにて
200人のアンサンブルの中、たった2台で低音パートを一手に引き受けておったのです。
俺は6回の出演機会のうち、4回この楽器を担当した。
「まだよちよち歩きの頃からCMソングを聴けばベースパートを唄うような子だったよ雅史は」
なんていう有名人っぽい伝説など全く聞いたことがない。
先生A「まあまあピアノが弾けるけどもっと上手い子は他にもおるき、そういう子らは本職のピアノかエレクトーンに回して、こいつはバスマスターでも担当させたらええろう」
先生B「御意に」
いまさし「(鼻をほじっている)」
小学生が自ら志願して担当させてもらうにはちょっと渋すぎるポジションのこの楽器を、
かなりの頻度で担当したのは恐らくこういう経緯に違いない。
そんで俺も中学生にもなるともれなくバンドしたいしたい病にかかり、
盟友の澤良木らとバンドを組んだ。
その時の俺はギターを弾いていた。
練習の休憩時間、ギターでひたすらベースラインを弾いている俺(アホか)を見て
澤良木はそれまで彼が担当していたベースと、俺のギターの役割を交換することを提案した。
その後10年間にわたってベースという楽器を相棒としてきた今になって思う。
小学校のバスマスター
あの楽器と、妙に付き合いが多かったことが俺の原石なんだぜきっと。
衝撃の展開が繰り広げられるその2につづく。
見渡す限りグランブルー
緩和休憩。
今日は大変お日柄もよろしく、
こんな日に研究室なんかに来てパソコン様と睨めっこしてると
「人生無駄にしてる感山の如し」
という気分におじゃるまる。
中村達也が
「俺が総理大臣になったら晴れの日は法律を無くす」
と言ったのは10年前のロンドンだった。
こんな日にはやっぱりドライブしたくなるのが人間の性というもんである。
そうでない人は人間やめて下さい。
というわけで先日より単車(中型)の教習に通い始めたいまさしさん。
まだ発進と、小さいトラックをぐるぐる回る(10kmくらいで)しかしてないのに、
うひゃうひゃひゃひゃ!!
と声が漏れるくらい楽しいぜウヒョー
(゚Д゚)ウヒョー
晴れというだけでこんなに人の気分が変わるということに改めて気づくと、
天気だけでなくて、
例えば近くに好きな人がいるとか、
おしゃれなパン屋にいるとか
そういった「環境」によって支配される自分のコンディションというのはかなり大きいんじゃないかと思います。
だって実際、こんないい天気の日には
蹴られたくらいのことじゃ怒る気がしないでありますものオホホ。
「自分が置かれた環境をどう知覚するか」
これを意識することは自分のコンディションの調節に結構な効果があるような気が致します。
俺はとりあえず研究室を好きになることから始めないといけないのだZE☆
2007/11/16
明治大学京都大学その04
そういえば昨日思い出したけどフルートの子がめっちゃうまかった。びっくらこいた。
D軍について書きすぎた。
BSは高橋をやっぱり見てしまう。
あいつが一人いるだけでフルバンとしては相当安心できるやろうなあ。偉大。
Transformのソロは山野の時より感動した。
のくせに外資系に就職して金持ちになりたいとか言ってるのがあいつらしいと言えばあいつらしい。
誰しもがそうなのかもしれないが、
演奏者に対して「身内感」を持ってしまうと同じ音を聞いても聴き方が全く変わってくる。
つまりキャラを知ったという条件の下で音を判断してしまうようになる。
好きなキャラの演奏はやっぱり何割増しかでいいように聞こえてしまうし、
好きなじゃない奴の演奏はなんぼ上手くてもあんまり好きになれん。
純粋な音で判断できなくなっていると言ってしまえばこれは悪影響であるが、
まあ、ショウガナイ。
俺は今年のBSを見て
「うまいんだが、もうちょっと上手さ以外のところが欲しい(2年まえのBSにはあった、という意味で)」
という印象を受けたが、
山中は「相当良かった」みたいなことを言っていたし、
2年前に引退した俺と去年までBSと付き合いのあった山中とでは
BSに対する身内感が違うだけかもしれん。
リズム隊の弱さがすこし気になったが、
まあ誰が見てもすごいバンドではあるのは確かなのでそれはやっぱりすごい。
ダークはまた上手くなっとった。
山野まで心配させるだけさせといて、
後期に入ったら恐ろしいほどのレベルアップを達成するというのがパターンなのか。
去年もそうだった。
いやいや、
恐れ入りました。ヽ(ー_ー )ノ マイッタ
毎年毎年、前年のレベルを更新していってると思います。
・清水のリードとしての存在感が8割増しで向上していました。
BSの榎本がそのことに山野の時点で気付いていたのはやっぱりプロたる所以か。
ただ、全部バラードっぽく唄ってしまう癖があるようなので(本人もバラードのが好きだと言っていた)、
ノリノリ!!ウハウハ!!なスイングには少々不釣り合いな吹き方をしているようです。
その感じが出せるようになるとバンドの持つノリの幅がぐっと広がる気がします。
とりあえずもっと明るい奴になればいいと思います。性格が。
茶髪+グラサンで練習するというアイデアはどうでしょうか。
・きよちゃんのアタック感が8割増しで向上していました。興奮したぜ。
次はタッチを研究すると「ぽく」なるでしょう。
たぶんエリントンのビデオを見るのが吉。
・山崎はタテノリ系のドラマーじゃないのに、
岩波がバキバキのタテノリ系であるアンバランスが8割増しで気になる。
曲によって使い分ける必要がある。
2005年はふとしがよく曲ごとのノリの違いを強調していた。
平山はそこまで言及しているのか疑問を持つ。
・うりくらのAトレのソロが8割増しで神がかっていました。
京大の歴史に残る名ラッパーになってくれれば嬉しいです。
・みさっきーも来年には8割増しの相当なラッパーになっていることでしょう(今でもすごいが)。
超期待。
・ソリストはPAのせいかほとんど何やってるか細かいとこまでは聞き取れませんでした。
けどとりあえず大川と田中里奈のソロはもっと頑張ってほしいと思いました。
・マンショもうちょい落ち着け。
・MCを聴いて平山はひょっとして天然かと疑惑を持つようになりました。
長年不思議でしょうがなく、8割増しで夜も眠れないことがあるのですが、
なんで京大にはここまで劣等感を抱える少年少女ばっかりが集まるのでしょうか。
ダークを見て一番思ったことは、
「うわこいつら力はいっとるなあ」
でした。
見てるこっちが肩こってしまうような。
正直、BSとの実力差はそこまで感じませんでした。
阪大とかBSのライブ見れば毎回思う。
「こいつらみたいにもっとリラックスすりゃ、ライブでも100%に近い力を発揮できるようになるんじゃないか。」
まあ、そのガチガチさが京大の味であると言えばそうである。
バンさんならそう言うかもしれない。
その05につづく。
ちょっと最近のジャズ系で腹立つことを書く予定。
明治大学京都大学その03
管楽器について包括的に一考。
D軍はソリスト見てて思うんだが、なんでコピーしかしないのか。
プロがやってるソロだから難しいのは当たり前。
全部アドリブでやれと言ってるんではなく、「ここは到底無理だグハァ」みたいな部分があれば自分のオハコフレーズに置き換えるのは有効な手段だろうと思います。
D軍のライブ見てて、「しっかりソロを吹ききったぜグヘェ」みたいなプレイヤーを見たことがない。
書き譜でいいので、自分がやりやすい演奏をすりゃいいのに。
「自分ができる範囲のことを、しっかり確実に」やれば、随分とかっこよくなる。
ジャズはそういう音楽だと俺は思います。
これは行き過ぎた例だが、去年の阪大のトロンボーンが山野でカマしたソロ。
ブルースの上で2~3コーラスくらいD♭だけで吹ききったやつ。CDにも入っている。
山野でこれをやる度胸についてはここでは議論しないとして、
アレでも(アレだからこそというのもあるが)客は沸くのであ~る。
そんでその変換バージョンが完璧に出来てから、
もうちょっと難しいバージョンへ移行してったらいいと思います。
やたら難しいソロを1年かけて練習して「結局間に合わなかったぜゲボォ」となるより
ずっと上達が早いと思います。
と偉そうに言っといて自分のベーソロのあの体たらくぶりはなんだ>山野2005CD
アンサンブルに関しては素人なのでよくわかりません。
その04につづく。
2007/11/14
明治大学京都大学その02
新日本人のパンフ仮原稿制作に手間取り、遅刻。
D軍の1.2曲目は見れず。
結論としては音回廊の時感じた印象とカワンナイ。
まるさんはスイング感に乏しくほぼロックなのに、なんだかかっこいいから卑怯だ。
みっきーは腹でも壊していたのか知らんが、合宿の時に見せたキレが全く無かった。
二人はタイプこそ正反対だがこれから必要なものは一緒で、
それは「ぽさ」なんだけど、
とりあえず自分の録音とプロのCDを聴き比べることを延々とやればいいと思います。
そのうち「あっこれか」と思える時が来ると、しめたものです。
みっきーはファンクをやればいいかもしれない。
ファンクでビート感というもののありがたさを「ありがたや~」と実感した上でそれをスイングに活かせれば、結構話はわかりやすくなるのではないでしょうか。
例年になくピアノにはカツーン!!というアタッキーなプレイヤーが揃っていて(特に2回生)、
フルバンやる以上、メリハリが効いてて安心できる。
武田なは見れなかったからわからないが、たぶん相変わらず天然だっただろう。
きよちゃんとあゆみちゃんはあんなにはっきりしたタッチの持ち主だったか?だいぶ良かったぜ。
が、やっぱりだからといってリズム隊が安定するわけではないのが悲しい。
てつおとその彼女は両方ともやたら力んでいて、見ているこっちまで肩がすくんでしまう思いだ。
ジャズやる上でいろいろなタイプの人がいるが、
ことギターに限っては
「うおおおおおお!!ジャカジャカジャカ!!」
みたいな力技プレーヤーを見たことがない。
メセニーにしてもジョーパスにしてもB.B.King(ジャズじゃない)にしても、
手元はなんだか、滑らかだ。
特に右手。
ミッシェル好きのてつおにしたら、むしろヘッドバングしながら弾きたいところかもしれないが、
そこをぐっと堪えてリラックスに努めてみるのはいかがでしょう。
ベースは結構粒がそろってるイメージがあるが、
どうもそれがバンドの中でうまく機能してない気がします。
智子も見れなかったが、相変わらず食べまくっていたのだろう。
大雅はようやくタイト感の兆しが見え始めた。
こういう実直に努力してきた男が成長する片鱗を見せる時に一番興奮するなあ。
マーカスは相変わらずよくわからなかった。
木本はまるで3年前の俺を見ているようだった。
自己顕示欲というのは非常に大事ですが、
ベース始めたての男ベーシストが自己顕示欲を持ってしまうと大抵がロクなことにならない。
フルバンにおいてベースという楽器はびっくりするくらい自由で、
その過大な自由さの中で、自己顕示的な男はバンドサウンドという視点よりは
自分サウンドという視点に偏りがちだから、
というのが俺の見解。
というか俺がそうだった。
マーカスと木本はわりとこの罠にかかりやすいタイプではないかと思います。
自己顕示欲が「バンド顕示欲」になるといいんですが。
だってベースは屋台骨ですから。
なんかベースの話になると毎回こういうこと書いている気がするな。
その03につづく。
2007/11/13
明治大学京都大学その01
「自分が演奏したライブと見に行ったライブは絶対レポートを書く」と決めている。
いちバンドマンとしてその音楽的体験はライブに最も顕著に現れると思うからである。
ひどく忘れっぽい俺はライブでの学習を適宜メモを取ることで無駄な遠回りを避けようとする試み。
またライブの度にこういった場で無理やりにでも思うことを捻り出すことで、感受性を高めようとも考える。
D軍にはその組織体質が原因でストレスを感じる人間もいることは毎年のことだ。
「俺はちゃんと練習してる。やる気もある」
と自分で思っている人間は、そうでない(という風に見える)人間の存在を不満に思う。
俺はD軍時代にけいじさんに聞いたことがある。
「周りの人間にもっとやる気出せと口でやかましく言うのはタブーですかね?」
タブーだろうと返事をしたけいじさん、やっぱりそうかと思った俺の思惑たぶん一緒だった。
京都大学軽音楽部ジャズ系という団体に新しく入団する人間が、
実質的に他の選択の余地無く所属することを半義務的に強制される団体がD軍だからだ。
そこに集まる人間は様々な意図があって然るべきである。
本気で音楽したい人間、楽器と戯れることが好きな人間、友達を作りに来ている人間、暇つぶしに来ている人間。
そんな連中のごった煮であるD軍にそれらのうちのただ一つの価値観を押し付けることが
果たして認められていいのかというある意味謙虚さが僕らの答えだった。
木本はそのタブーを孤軍奮闘して(という風に見える)破壊してきた。
俺は95%部外者であるが、D軍を先輩から後輩へ引き継いだという意味で、退団して3年半たった今でも5%くらいは関係があるとして、木本のやり方には正直、腹がたった。
ただ、10日の明治と京大の対バンを見て、
かすかに「あー、一概にそうでもないかな」と思ったのである。
各メンバーの技術向上はちらほら見てとれるとは言え
ライブの出来や問題点自体は音回廊からほぼ変わっていない。
でも、例年以上のメンバーのギラつき具合を見て、
あ、これはひょっとすると木本効果かもな
と、こう思ったのだ。
音回廊の時も書いたけど、全体のレベルはやっぱり高いのである。
そんでそれが嬉しかったりする。
泰静とかとの間で一時期、
「後輩にガッツが感じられん」
という話が興った。
そこで俺らが出した結論は
「態度だけを示す以外に、やっぱり口でも言っていかなあかん」
というものだったはずだ。
ちょうど2年前に、
明治BSとの打ち上げでその話をしたのは、ただの偶然だろうか。
木本は俺らが結局やらなかったことをやろうとしているのだ
ともとれる。
しかし、それがいいか悪いかはわからない。
自分が作ったバンドならともかく、奴は「D軍」のコンマスだからだ。
そこに対する苛立ちは、やっぱり感じるのだ。
ちょうど1年後くらいに、
木本が壊してきた伝統が、木本が作ったスタイルが、
後輩にどのように伝えられていったか、どのような形となって現れるか、
それを見ないとなんとも言えないことなんだな。
俺はその時にはもう東京都区民なので、
結局奴の評価はできないことになってしまうのだけれど。
その02につづく。
2007/11/09
唄える音楽をするために
以前、みんな大好きmixiで
Blankey Jet CityとDuke Ellingtonをはじめとする各種ジャズ音楽とslipknotとユニコーンとゲーム音楽とトライセラとIan O'BrienとファンクとBrian Setzer Orchestraとスピッツ
が俺の頭の中で並列しているのはなんでや(:: ̄ェ ̄)
みたいなことをつらつらと書いたりしたりしたりしたりした。
実はもっとスマートな答があった。
わかりやすい曲が好きだ。
要するに、「唄える曲」だ。
実にスマート。実にシンプル。
絶対こっちの方が本音であ~る。
だからなんとかマルサリスとか後期コルトレーンとかは全然聞く気にならないし、
キャノンボールのDel Sasserはアホほど繰り返し聞く。
エリントンの書き譜ソロも大好き。特にRockin' In Rhythmのボーンとクラのソロは一向に飽きナイス。
ただ、
コードの知識のなさを敢えて誇示しているかのようなアウト感満載のソロ、
エレベを持てばのデタラメを弾きまくる
そんな俺を見た人が俺のことをそんな人間だと思うだろうか。
いや、思わない(反語)。
自分の表現目標が達成できない理由はただ一つ、練習不足だでよ。
家でエレベ弾いてもそういう練習はできるはず。
これからは練習の指向性を変えよう。
唄える音楽をするために。
ただ、修論とNF用の練習とドラクエに追われる俺にそんな時間的余地があるのか?
いや、ない(反語)。
つっこむところ→ドラクエ
話は変わるが今日はガラにもなく(あんま好きじゃないから)チックコリアのアコースティックバンドの動画を2つみた。
91年のOn Green Dolphin Streetと03年のHumpy Dumpty。
彼らの演奏にももちろん驚いたが、それよりも
チックコリア←→パティトゥッチ間の体脂肪の移動に10年という時間の重みを思い知らされた。
ガリガリのゾンビ版オタクだったチックコリアはマイホーム大好きトロピカル親父に姿を変え、
プクプクだったパティトゥッチはイタリア男優に変身を遂げていた。
デイブウェックルは髪を切っていた。
彼らの音楽は各自のソロがわかりにくくてあんまり好きじゃないが、
ただ「曲の流れ」自体はわかりやすくて、俺がたま~に見てしまう理由はそこでアロー。
演奏聴いてると、チックコリアが要所要所「どりゃー」と力技で無理やり作っているのんだな。
「曲の流れ」を。
そこが見ていて気持ち良かったりする。
そんで、そういう力技が必要なんだな。
今の新日本人には。
みんなそれについていく力はあるんだから。
ジャズなんて、もっとリラックスして、自由にやればいいと思います。
2007/11/08
ライブという度胸
俺が3回の時か4回の時か、はたまた2回の時だったか。
NFで遠藤さんが田中宏明氏とBlues Brothersのコピバンをやってて。
たしかSoul ManとかEverybody needs Somebodyとかをやってた。
遠藤さん田中さんという
「この人に任せておけば間違いない」というぱもじゃ2大カリスマがフロントを務めた
それこそライブショウと呼べるパフォーマンスは
なんだかもう最高だった。
今まで見たアマバンで好きだったライブベスト3に入るね。
そんなことをふと思い出した。
ジャズ系のライブは総じてエンターテイメント性は希薄だなあ。
そもそもそういう志向性のある音楽やってないからだと思うけど、大事だとは思うんだけどね。
かといって俺が何かできるわけでもない。
2007/11/07
ダブフォライブ録音を聴いてみる
先日、ダブフォ(なんかみんなこう略するので俺も倣ってみる)の先月28日の
なんばパークスでのライブ録音を聴いていまさしは思った。
「うむ~俺もようやくこれほどの境地に至ったか。長い道のりであった…」
ウッドベースというものを弾き始めて4年間、ずっと悩まされてきた音質の問題。
長年付き合ってきた超問題児、underwoodに換えて、中路さんに優等生のrealistを拝借。
さらにアンプが良かったのか録音環境が良かったのか、随分と好みの音に録れていて、ご満悦。
音質の向上によってかよらないでか、ビート感もグー。さらにGO☆MA☆N☆E☆TSU。
今日、ダブフォの今月3日に行われた伊丹空港でのライブ録音を聴いていまさしは思った。
「(  ̄д ̄;)!!? 」
聴けたもんではないこと山の如しLv99!!
iTuneの停止ボタンにカーソルを向ける右手を左手で必死に押さえつけ、
卒業までの半年の間に「立派なジャズベーシストになるよ兄ちゃん」という
高い志をハートに抱くいまさしさんは一曲一曲噛みしめながら聴きました。
血の涙を流しながら。
これは非常にマズイです。エマージェンシィです。
ボク、ウッドベース初めて1年ですアルヨ~レベルである。
いや岩波なら1年でこれくらいできてたかもしれん。
ベーシストのくせにリズム感が極めて弱いとは認識していたが、まさかここまでとは…
特にNight In TunisiaのリフとMoanin Mamboの後半のウォーキングの酷さは無期懲役17年に値するかも。
俺の悪い癖として認識しているのは、
個人練-バンド練-ライブ
これらの間に意識-「自分の音をどれくらい大事に聴くか」-の乖離があること。
今の俺が目標としていることは、
ベースのビート感が持つ「海」に「潜る」ことなのだ。
「潜る」-かなり主観的なイメージ表現だがこれが一番しっくりくるからしょうがない。
「弾いたら勝手にグルーブ感溢れちゃうのワタシ」というほど達者でも器用でもない俺は
「潜る」ために自分の音をしっかり聴かないといけない。
ろくでもないライブをする度に
「個人練ではできてたのに…」
と涙していた経験が4年経っても全く役に立っていない事実に
我ながら呆れるを通り越して感心してしまうぜヘッヘッ。
棟さんやりにくかっただろな…
2007/11/06
誤解という名の罪
完徹明けで内定式のため恵比寿に行った。
ボケが95%流されました。
か、悲しい…
くだらないことは「くだらねー」と言ってくれたいいのに、
そのうち「この人本気でくだらない」と思われるハメになりそうだ。
TOKYOはかくも恐ろしき街ナリか…!!(コロスケ)
ざわ… ざわ…
ボケがわかりにくいともっぱらの評判のいまさしさんは
関西ですらカンチガイされていることが多いので、このまま行くと
社会人3年目くらいで村八分にされる恐れがあります。
嫌われててもいいからとにかく自分の正当な評価を知りたいと思う人間なので、
(無理やり例を出すと、ごっつ点数低いと分かっていて、これを見せたら親に死ぬほど怒られるのが確実なテストでもとりあえず返却してほしいと思う気持ち)
俺にとって人生で一番恐怖することは「誤解される」ことである。
たとえ「お前は実にくだらない」と言われようが「お前は無限大にしょぼい」と言われようが、
(それが誤解でないと言いきれるのなら)
俺はそれを意見として頭に入れる。
そしてそれを解決するするために努力するのだ。
そんくらいの自負(≒自信)は手に入れた土佐男いまさしさん。
さて、どうやら忘年会にも呼ばれてしまうらしいので、
それまでに相手の得手不得手にしっかりと対応したコミュニケーション技術を身につけ、
一躍スターの座を獲得することにしよう。マル。
2007/11/05
期待の矛先
先日、俺らみたいな人間を一言で「実は自信ないくせに自意識過剰」とぶった切ったが、
俺がそうだったのはまぁ結構昔の話である。
2005年の9月~10月くらいまではこの状態だった。
自意識過剰とはつまり他人を過剰に意識するということと同義である。
よく言われるように他人を意識することではじめて自分を意識することができるからである。
なんか理屈っぽい説明だが、自分のことを少しでも自意識過剰のケがあると思う人は、
このことを感覚で理解して頂けると思う。
そしてさらに自信がないときた。
そういう人間の心理は決まってくる。期待の矛先を他人に向けるのである。
他人の手によって(喝采を送られるだとか愛されるだとか)、自分の自信を確立したいと望み始める。
ただ、このテの人間は往々にして空気が読めない傾向があるので、
期待が裏切られることが多い。
周知の通り、周囲は空気が読めない人間に賛辞は贈らないからである。
これでは自分は自信がつくはずもなく、
さらにタチが悪いことに周囲への不信感となって自分と周囲を襲う。
周りの人間からしたらいい迷惑である。
俺は物心ついた時からこのケがあった。
そして自分に賛同しない人間を「まああいつの言うことは気にしなくていいや」と切り捨てられるほど自分に満ち足りては無かった。
バンマスをやっていた2004年を振り返ると随分威圧的だったなあと思うが、
その気持ちの裏返しだったのだ。
2005の3月くらいには不信感がたまりまくって、
あるひとつの究極である「もはや誰にも期待しない」というスタイルを身につけるまでに至った。
期待しなければ何が起こっても気が楽だろうという話である。
なもんで同時期にあった春合宿などではもはや積極的に人との関わり合いを断ち、
最終日の打ち上げでは最初の「儀式」が済んだら即自分の部屋に鍵をかけて寝るという今考えると信じられない暴挙に及ぶ。
一人で天井を見ながら「ぐわー楽だこりゃー」と小さく漏らしたのを覚えている。
ただこの状態は思ったより遙かに壮絶で、たしか2週間くらいしかもたなかった。
シンジくんくらい耐性があるとこれでも生きていけるのかもしれないが、
人が元来もつ「寂しがり」という感情を人並に持ち合わせる俺の精神力では全く耐えきれなかった。
嘘でもいいから周りに人が欲しかったのである。
俺は未だに合宿と聞くと嫌なイメージが払拭できていない。
結局他人に期待するループに戻って山野を迎えることになる。
こんな状態でダークをやり続けた。これはもはや罪を犯していたのと同義だ。
2004と2005のメンバー全員に、特にリズム隊の福井と西畠両氏には土下座して許しを請いたい。
そんなこんなでダークやってた時期は相当苦しい思いをしたものだが、
なにがきっかけか2005の後半になってから次第に気が変わってきた。
たぶん、自分のライフワークであるベースの評判が次第に良くなってきたからだと、今では思う。
「あ、俺、自分に期待していいのかもしれんな」
と思い始めた。
自分に期待できるようになると、うまく自分で自分をノせられる術が身についてくる。
皮肉な話だが、自分に期待できるからこそ、全部「自分のせい」だと思えるようになるのだ。
これは画期的。
「他人のせい」だと思わないからだ。
今までたまりまくった周囲への不信感は、姿を消せる。
その時ようやくジャズ系の連中が怖くなくなった。
1回生のころけーじさんと
「お前人間嫌いだろ」「はいそうなんです」という会話を交わした人間は、
ようやくグルービンさんに
「間違いなく人間好き」と言われるようになった。
俺がこうなったのは、どんな状況だろうがベースに対する努力は絶対に続け、
それが認められたのがきっかけだった。
こういう経験があるから、何か一つのことに努力することは大事なんだと思う。
さて、今は自分にめちゃめちゃ期待している。
かと言って自信過剰でもなく、程よい謙虚さを持ち合わせている。
いまや自分も他人も嫌いじゃない。
けっこう気分いい状態が続いているのだ。
なんだか無敵感も漂うが、しかしちょっと行き過ぎている感もある。
他人に期待しなくなってしまったからだ。
「なんでも自分で解決していくぜ」と思ってしまっている。
今はまだ過渡期なのだ。
本当は「自分にも期待しかつ他人にも期待する状態」がいい。
他人に期待しないのも結局孤独だからね。
そして、これは勘だが、その比率は7:3くらいがいい気がする。
来年から社会人になる。
一人で仕事はできない。他人に期待する必要も必ず出てくる。
1年、5年、10年と仕事を通して社会と接し続けた結果、
その時その時、俺が何に「期待」しているか。
今から楽しみである。
2007/11/04
疑うことで自分を確立したと考えてみる
自分が誰にも負けないと思うところ。
就活中に見いだせなかった答えに今さら到達した。
「疑う」ことである。
人からよく天の邪鬼と言われるいまさしさん(25)だが、甚だ不本意極まりない。
周りの人間が一斉に向いている方向があるとする。
高校の同期、平川がよく「メインストリーム」と呼んでいるアレである。
その方向を向く前に、俺はひとつふたつ「疑い」をかける。
そしてそれに流される妥当な理由を見つけられなかったら、
俺は遠慮なく逆行するよと、単にこういうことである。
人と食い違うことが多いのは、俺が人より多くのことを疑うからだ。
おっと、独善的な男だと思わないで頂きたい。
その疑いの結果、結局俺が間違っていたことなんてザラにあることは重々承知しているからだ。
結局何が言いたいかというと、
天の邪鬼という言葉通りに好き好んで人と違うことをしているわけじゃないのだ。
だってそんな奴、寂しいやんけ。
まあ自己中心的な男では、ある。
「何でもかんでも疑うってしまうこんな人間になんかなりたくないわボケ!」
とお思い方もいらっしゃることだろうが、俺は俺で俺のこういうところをわりと誇りに思っている。
仙ちゃんならこの感覚、わかってくれるだろう。
ここでちょと話が細かくなるのだが、
疑うと言ってもシステマティックに疑うタイプと、野生的に疑うタイプがいる。
大人的と子供的と言った方が適切か。
これ文章で違いを表現するのがかなり難しい。
大人的なのは、自分に降りかかる問題として対応を迫られた時に疑うタイプ。
子供的なのは、他人の言葉や立ち振る舞いに「どうしてそれ?」と純粋に聞いてくるタイプ。
俺は大人的タイプである。
子供的に疑う人として思い浮かぶのは、青木とけいじさん。
あの2人と話していると、自分がいかに脆い地盤の上に立って喋っているかが痛感させられる。
でも、だから大好きだ。
誰の影響か知らないが、まあずっとこんな人間であったので、
盲目的に信じられているものの代表格である「名言」と呼ばれるものにはいち早く疑問を持つ傾向がある。
例1:「ジャズに名曲なし、名演あり」
名曲を演奏することではなく、素晴らしい演奏をすることがジャズである。
恐らく発言者の意図はこういうことであると思う。
それは俺もそう思います。大賛成。
た だ 、 ジ ャ ズ に も 名 曲 は あ り ま す 。
つまり、「全然うまいこと言えてない」のである。
名言というよりは、ただのインパクト性だけで有名になっているだけなんじゃないすかねコレ。
素人をターゲットにしたジャズの説明でこの文よく見るけど、
そんなに引用するようなシロモノであるとは思えません。
例2
めんどくさくなったのでもうオシマイ。
11/03ダブルフォース@伊丹空港
ビッグバンドとはいえジャズである以上、
他の音楽よりは有機性(この言葉であってるのか?)が強いわけだ。
各演奏者がその時その時向いている方向が一致しないと、どうも煮え切らない。
ダブルフォースはドドーンと盛り上がるのが一種の持ち味である以上、なおさらだ。
今回はトラもいた(ていうか俺)し、
バンド自体リハでも一曲ごとに根詰めてやるスタイルでもないので(トラがえらそうなこと言うな)、
反応性の良さでもって有機性を音楽というある意味「形になったもの」として編み出していくのが即時的に必要とされる。
(ところでここで言う反応性のよさとは、ジャズでは「実力」と呼ばれるものだろうか。)
んなもんでただ一回の「ん?」が曲の展開をすっかり停滞させてしまう。
そんなことはとっくに分かっていたのに。
俺はただただ
棟さんが気持ちよく叩けるような、そんなベースを弾きたかったなあ。
ここはひとまずあの音環境のせいにしておこう。オーケー。
誰か、ソリスト聞こえへん状態でバッキングする方法を秘技伝授してくれ。
まあ「空港でライブした」という土産話はできた。
孫の代まで自慢してやろうかしらホホホ。
今日は空き時間も長かった。
その間、組長さんとか手塚さんとか金助さんのような今までほぼ全く口をきいたことのない人たちと、俺のような下賎の者が話の相手させてもらうという経験をした。
組長さんから喋りかけてきてくれたときはほんまに嬉しかったなあ。ヒャホー
ホモか俺は。
半年ぶりに呼ばれたかと思えばここ1ヶ月は頻繁に顔合わせてきたし、最近随分人見知りが治ってきた甲斐あってか、ようやくアウトサイダー感も無くなってきたなウフフと思った。
のに
またしばらくこのバンドで演奏できないなんて
神様はとっても悪戯好きだねマイハニー。
2007/11/03
世界はちょっと悲しかったりする
喜怒哀楽のうち、喜と楽さえあればいい
というのが近年の俺の考えだった。
ところがごくごく最近、
「感動」という心の動きの裏側には「悲しさ」という要素がチラリズム的に隠れていることに気付いてからというもの、哀という感情に注目するのがマイブームだ。
例えば今まで心動かされたゲームのエンディング
天地創造、Front Mission、クロノトリガーのエンディングの感動部分を支配しているのは
「悲しさ」だと気付く。
Blankey Jet City「悪い人たち」で詠っているのは「素晴らしい世界」だが、
その曲の始まりは「悲しさ」である。
ジャズ系の定演があんなに感動なのは、
3回生の時にみたアルスのリサイタルがあそこまで感動的だったのは
終わりを肌で感じる「悲しさ」によるものだと思う。
俺は立ちすくむような景色を見て素直に感動してしまう純粋な心をもったナイスガイだが、
自然の前に素直に「綺麗だなあ」と思うと同時に、何%かは「悲しさ」も感じる。
エトセトラ
こうも例を列挙するとなんか薄っぺらい話になるようで嫌だわ。
ということで哀に注目してみることも大切かもしれないという話ですが、
だからといって特に生き方が変わるわけではなさそうだ。
怒の効用についてはまだワカンナイ。
2007/11/02
僕らが通ってきた道
木本のブログを愛読してて、毎度毎度「うわこいつきっついこと書くなあ」と思いながら、
どうも敵視できないのは何でだろうと思ってたら、理由がわかった。
こいつ、昔俺が考えてたこととおんなじことを考えているのだ。
2年前入ってきた天パのサックス野郎とおんなじなのである。
つまり俺からしたら木本は倉都2世なのである。
俺含めこいつらの共通項はたぶん
「実は自信ないくせに自意識過剰」
とまとめることができるだろう。
うわー
めっちゃ親近感沸くわ。
ただ、
「ダーク嫌い」とか「山野って正直どうなん」とか考えてた俺も
今ではずいぶん丸くなった。
そんで自分自身ではこれで良かったと思っている。
倉都にとってもそっちの方がいいと思ったから、奴にはいろいろと言えることは言ってきた。
けど、木本にとっては丸くなることが、いいことか悪いことかは、まだわからない。
だから、もう少し見守ろうと思う。
とりあえず、今年のD軍を駆け抜けてほしい。
「考えているのは今年のことだけです」
合宿の2と3回生会議で奴が言った言葉は、ダークの話題を回避したという側面を差し引いても
本音だと思うから。