バンドとしてまあある程度意思疎通ができてきた。
無理やり体裁を整えるのもできるようになってきた。
1回目や2回目のようなミスは少なくなってきた。
曲中にひと山やふた山はこさえられるようになってきた。
バンドとしては成長してきたと言える。
さて、新日本人は「古いジャズをやる」という山中の意向の下、集った4人である。
それがこのバンドが目指すカラーであるはずだ。
ジャズコンボとしては異例なほどのリハをこなし(というほどでもないか)、
「最低限」を少しずつクリアしていくことで、
次に見えてきたものは目指す山の遥かなる高さだった。
「古いジャズ」といっても山中と俺じゃその言葉に託す意味が微妙に異なるだろうが、
俺の場合、その言葉を表わしていると思う音源が二つある。
Kenny Dorham 「Lotus Blossam」
Cannonball Adderly 「Del Sasser」
ド派手なインタープレイがあるわけではない。
むしろバッキングを聴いて受ける印象は淡々としたものである。
フロント・ソリストも迸る情熱を楽器に注いで全力をつくすといった感じでもない。
でも、今はこういう音楽に一番興奮する。
「上手な音楽」ではなく、「いい音楽」だ。
それらの音楽を
恐らく平川は「味」と表現し、
バンさんは「その昔みんなが必死で探したもの」 と言った。
そしてそれを「見つける」ことは、
上で言った「目指す山の遥かなる高さ」を克服することに他ならない。
そこの先にあるのが「古いジャズ」である。
まだ表現が抽象的すぎると言われるようなら、
「普通」を「素晴らしく」演奏する(=「味」)。
こう言えば分って頂けるだろうか。
最近の若手がようやる「バーン」「ドーン」「おおーっ」というジャズもそれはそれで好きなのだが、
(棟さんとかさこくんとやるとこんな感じ)
あいにくこのバンドではそれを目標としていない。
そして恐らくだが、
そういったドゴーンジャズよりも、「古いジャズ」の方が幾分難しい。
「味」よりも、「テクニカル」の方がとっつきやすいからである。
発信者にも、受信者にも。
やっぱり国立みたいなフルバンが山野1位を採る今、
「味」で音楽的アンデンティティを築いた
Jaco PastoriusやJimi Hendrix、Miles Davisのような伝説はもう、これから先二度と生まれない。
そんな気がするのだ。
バンさんは「それが悪いこととは言えない」と言い、俺もたしかにそれはそう思うのだが、
少し、悲しい。
そこで俺はミゲルトリオを思い出す。
学生からセミプロと、いろんなライブを見てきたが、
「味」をバンドアイデンティティとしてあそこまで確立していたバンドは、他になかった。
さて、俺ら新日本人はあと半年で、「昔みんなが必死で探したもの」を見つけることができるのかしら。
話は変わるが
俺は毎度文章を公の場にさらす時、かなりの時間をかけて推敲するのだが、
それでもバンさんの文章には勝てる気がしないでよ。
2007/10/31
10/30:新日本人@京都ZAC BARAN
2007/10/28
10/28ダブルフォース@なんばパークス
なんばでライブの後、直接ダークOBバンドのリハのため京都に行くという
ロックスター並の強行スケジュールを素敵にこなしたいまさしさん。
いわば自分が1.2の順に時間を費やしたフルバン(といっても100:1くらいだが)を同じ日にこなし、
なんだか気付いたことがある。
俺はこの2つのバンドで、やってることが全く逆だった。
ダークはどスイングというある意味「脆い」音楽性もあってか、
「弾ける」「できる」ことを前提に、もう少し前のめりとか、もっともたった方がいいとか、
ビート感に随分腐心した。
なんというか、修行だった。
ダブルフォースではなんか速い曲とかドカーンていう曲の性質もあり、
管楽器も随分達者な人たちが揃い、ドラムのさこくんもバーンガーンドゴーンと叩くので、
俺はその猛者たちの影に隠れて、言ってしまえば適当に体裁を整えるだけでライブが成立してしまっている。というのが現状なのである。
かなり無責任にライブという「楽しみ」に参加させてもらっている。
毎回ラッパ隊とかドラムがすごいことやって、「うひょーい」とボンボン鳴らしていれば
「あー楽しかった」とおいしい酒が飲める。
これは素人がさらに素人になるプロセスである。
危険極まりない。
ダークやってた頃は、ライブ後にひっそり一人で泣いたりしたこともあったのに。
ダブルフォースでは、けいじさんがいなくなった今、
ビート感にまでつっこんで指摘してくれる人はいない。
みんな思ってて言わないだけかもしれんけど。
これでいいのかなと思ったが100年目!!
11/3のダブルフォースのライブはちゃんとすることにする。
幸い、今日はさこくんが結構話せる奴だとわかったので、
これからは彼と演奏することに緊張感が持てる。
あ、もうさこくんとはやらんのか。
誰とどこで演奏してても、けいじさんとかに見られているような気持ちで演奏するのだ。
p.s.
今日のリハで、4ビートでも一泊目が大事だと気付いた。
ごく簡単にマスコミの味方をしてみる
マスコミの味方をする人を見たことがない。
わが国ではだいたい叩かれる側になるというポジションがすっかり定着しているようだ。
外国はしらん。
俺はというと「うさんくさい」と思うくらいで、マスコミのことを目の仇にはあんましない。
というかテレビのスイッチを2ヶ月に1回しかつけないような男なのでマスコミの批判などしようがない。
マスコミのレベルが低下しとる。
金儲けばかり考えているからだ。
とかいう話を批判屋の口から聴く。
ちょい待て。
そのレベルの低い報道・放送に食いついているのは俺ら大衆でしょうがに。
マスコミ批判する前にだな、
レベルの高い放送・報道に大衆が食いついたらええんだな。
そしたらテレビ屋さんは金儲けができ、かつレベルが保たれる。
実に簡単な話だ。
やっぱり文化と名のつくものは、受信者が築いていくもんだって。
ゲームも。漫画も。
最近の亀田親子騒動の話を聞いてそう思ったなあ。なんでか。
2007/10/26
山崎
ドラムが山崎になると聞いて「おいおい!?」と思ったのが今年の1月だった。
俺は阿久津を押してたからである。
ところがあれよあれよという間に、山崎は京大屈指の強力スインガーになってしまった。
知らぬ間に彼が会得していた「古き良き」スイング感は
去年のいがっちょやその前の福井にはない、山崎最大の武器だ。
最近のジャズ系で一番の成長株かも。
たぶんつらかった時期が長かっただろうけど、
ピーナッツなんちゃらを叩いている時の山崎はなんだかかっこよすぎて、
見てるとなんだかめちゃくちゃ嬉しくなる。
阿久津は阿久津でダークやらんでよかったという気もするし、
偉そうなこと言っといて、俺の予測はてんでデタラメだなあ。
2007/10/25
他人の音楽に何という vol.2

第2回は同期の田原と福井が属すオリジナルロックバンド「ぶんちん」としよう。
といっても俺が聞いたことがるのはだいぶ昔に購入した1st「赤盤」収録の4曲と、
現在MySpaceで視聴可能な3曲だけなので随分局所的な意見になることを断っておくのであ~る。
写真はぶんちんのHPから勝手に拝借した。
無断転載がどうのこうの言う以前に、他人のアートワークを自分の発表の場に載せるという行為自体にいち表現者のプライドが自分に警笛を鳴らすのを禁じ得ないが、他に素材がないしそもそも全員知り合いだしまあいいかということにしておく。
俺とロックの関係として死んでも切り離すことができない存在としてBlankey Jet Cityがある。
俺が他のロックバンドにほとんど見向きもせず、ブランキーを絶対領域としている拠り所は、
まさにそのバンドが持つ唯一無二の「文学性」に他ならない。
詩だけではない。ギターソロ。ベースの音質。楽曲の構成。声の上ずり具合。
音楽を構成するすべての要素が「文学性」に多かれ少なかれ、寄与している。たぶん。
まあ解析的に話をすればそうなるだけの話で、
普段から「おっ!このバスドラのタイム感が文学性を向上させるのに一役かっているぜ」
なんて聞き方はしていない。
文学的な音楽は、
曲の周りを取り巻く環境を巻き込んで、
その時その時の心境に左右される色を持つ、
空気を運ぶ。
無理やり言うとこんな感じになってしまうが、ワケワカメでもこれが本音だ。
音楽は随分と曖昧で、ぱっと聞きで感じるものを誰も表現しきれない。
たぶん、だから僕らは楽器を持つのだ。
おっ かっこよくまとまったぜ。
俺がいまいちJazz、Funk、Fusionといった音楽を100%好きだと言い切れない理由は(でも95%くらいは好きだと言える)、「文学性」の感じるところ少ないからであると、おそらく説明できる。
おっと、Jazzから限りない文学性を感じる人を否定していない。
Jazzから限りない文学性を感受する人もいるだろう。
単純に俺の向き不向きの話である。
Hard RockやMetalと同じ。
アルバム一通り聞いて、同じ曲を10回聴いたような。
感じた色が全曲グレーだったとか。
そういう音楽でもごっつ好きな曲はある。
Skidrow「Sweet Little Sister」
Hoobustank「曲名忘れた」
American Hi-Fi「Flavor of the Week」
Van Halen「Hot For Teacher」
Slipknot「Wait and Bleed」「Left Behind」「People=Shit」
Metallica「Creeping Death」
などなど
でも、バンドとして好きにはならないなあ(Slipknotのみ例外)。
ぶんちんの「果実」「五月の風」「八月の路上で待つ」
俺がそれらの場所から感じたのは文学だった。
赤盤からの方向転換をかつて俺は嘆いたが、
さらなる文学性を楽曲に縫い付けるために必要だったと今では思う。
彼らは京都のアマバンでsexual Magnets、Potentz、カブトガニに続く傑作バンドである。そんな気がする。のであ~る。
褒めすぎたか。
にしても福井のスネアは録音で聞くと急に好きな音になるので不思議だ。
2007/10/24
素敵
やっさんを見つけてきたのは山中最大のファインプレーだったと言える。
ウッベを手にとってからというもの、数は少ないながらもいろいろなフロントとコンボをやってきて、
中にはまっとうなプロとか、巷でうまいと評判なプレーヤーとやってきたが、
その中でもやっさんが一番「いいなあ」と思う。
単純に好きなジャンルがかぶっているからというだけではない。
他メンバーの演奏を「聴く」-これが度合いがやっさんは深い。
そこに痺れるゥ!! 憧れるゥゥゥ!!!!
力技でドーンと弾きまくるピアニストはたくさんいるし、
そういう人とライブやるのは馬鹿盛り上がりできるので楽しい。
まあそういうプレーヤーも他メンバーの演奏を聴いてはいるんだろうけど、
出すぎず引きすぎずのやっさんのピアノは端的に言うと「素敵」だ。
逆に言えば自分の演奏が「聴かれている」とも言える。
これは言わば一番怖いお客さんがメンバー内にいるようでなかなか落ち着かない。
ようやくジャズの「当たり前の」醍醐味を味わえるようになったのは確かだが、
これはこれでハードルが上がっているので、
ガサツな演奏しかしてこなかった俺としては正念場なのである。
「素敵」なベーシストになれますように。
2007/10/23
10/21ライブその2-田原Fまさし
誤解を恐れずに言えば、俺は「天然は音楽ができない」という持論を持っている。
天然な連中は人が予期したこと(コール)を返信(レスポンス)しないからだ。
(ここで俺が研究室で天然と呼ばれていることはとりあえず無視しておく。)
ここでいう天然とはひどく限定的な意味で言っているので、
天然諸君が文字通りの意味に受け取ってフンガイしないことを祈る。
まあ天然は往々にして天然の自覚がないから大丈夫だろう。
ちなみに俺は天然ではない。
つまり、音楽-ここでは特にジャズという音楽を意識しているのが分かるだろう-をやる上で、
「自分および他人に対する期待」と「それに音で回答する力」が必要だろう、
ということを託したのが一文目の意図なのである。
なんかこういった至極当たり前の前書をつらつらと説明するのも最近アホらしいが、
巷でジャズの醍醐味であるともっぱらの噂であるインタープレイを実行するためには
こういう能力が必要になることをここで再確認しておいた。
じゃあインタープレイを行うにはどうしたらいいか。
田原Fまさしが抱える問題はまさにここにあるのだからどうしても稿を寄せる必要がある。
田原の随想をみていると
ハーモニーがどうとか理論がどうとか研究の余地が云々とかいう話が目につく。
あいつはまだ自分に足りてないものが分かっていないようだ。
どうも目的と手段が逆になっている感を受ける。
田原が奏でる音楽というものをどう構築していくか-
そういうものより先にしなければならないことがある。
音楽をやるという衝動をそのまま音に乗せることである。
局所的な話になるが、ここでの結論として
「自分の演奏で自分のテンションをあげられるか」
ということを考えたい。
自分でテンションあがらないソロを弾いて、他のメンバーのテンションが上がるわけがないのだ。
そんなソロを弾きたいと考えた時、理論の前にやることがあるはずだ。
バンドとしての最低限のテンションアップダウンができてから、
さらなる彩を加えるために理論の研究をすればよい。
それらの意識が共有できなければあと半年で田原Fまさしが生まれ変わることは
到底無理だろうと考えている。
田原に対して思うことを書き連ねたが、
程度、あるいはベクトルの差があるとはいえ、福井や俺にも同じ課題は当てはまる。
このバンドはまだまだ最低限のクオリティしかクリアしていない。
しかし全員が一皮むけたら加速度的にレベルアップするだろう。
それは同学年の3人が会話レベルの相性がいいからである。
俺は会話の相性はバンドのポテンシャルに直結すると信じているのだ。
期待しているからわざわざこんなことを書いているのだ俺は。
そういえば、
どうやら福井がブログを開始したが、読んでみるとまるでけーじさんの日記を見ているかのようだった。
2007/10/22
10/21ライブその1-バンドがない
いつしかの投稿で書いたとおり、ベースには女が向いていると思っている。
ベーシストには第一義として丁寧さが必要であるというのがその理由である。
そんなことを意識し始めてしばらくであるが、一向にそれが身につく気配がない。
やはり音楽(に限ったことではないが)、結局人の性格を体現するものであることをいつも実感する。
そういう人間は特にライブになると余計にガサツになるので幾分注意が必要である。
さらに言えばエレベで調子乗っている時の俺はもう最悪と言ってもいい。
内貴も似た問題点を抱えていると感じたのでそれを伝えた。
少しは先輩らしいことができた気になっているぜ。
俺とか内貴みたいな人間はなまじっか器用であるので派手な事が「できてしまう」。
素人が見るとそれが「うまい」と映るのだろうが、プロはそういうプレイヤーには着目しない。
ぱもじゃでは斉藤とか木村のようなプレイヤーが本当にうまいと言える。
そういえば丁寧さをだいぶ意識したライブがあった。
今年の新歓でのピストン。
あの時は恐らく録音を聞けば過去のライブでもかなりのベストテイクに入るんじゃないか。
しかし新入生の評判が全く芳しくなかった。のがくやしかったのだ。
地味なベースも見ろよ。
一時期俺のことをうまいという人間は全員「見る目ねえな」と思っちゃったりして、
今ではそこまで卑屈にはなっていないとはいえ、
まだまだ「賢いバカ」になるには程遠いのだ。
ただ意外とバンドがないの評判自体はよかったのでそれが救いであると思えなくもない。
東さんはピンでライブやるときほどのキレがないとは言え、
強引にオチを創るあの天才ぶりには感服する。
レギュラーバンドにしたいなあ。
2007/10/21
タイムトリミング理論
プロを始め写真をある一種の表現手段として捉えている人は
「絵」ではなく「シチュエーション」を撮ろうとしている。
従って被写体として特別性よりはむしろ一般性が選ばれることが多くなる。
それは一枚の紙切れであったり、街のおばあちゃんであったりする。
石垣島で見た超絶綺麗な夕日とかではない。
ふんで例えば紙切れ一枚をとってみてもこの物体にどれほどのシチュエーションを
見る者に想像させるかのさじ加減、バランス、が撮り手のセンスに委ねられる。
例えば紙切れ一枚が写った写真を出されて
「この紙切れは昔付き合っていた恋人と別れたときに手紙を焼いたが焼ききれずに残った部分でつまりこの写真は終わりを迎える恋を表現しています」
と説明されてもそれはあまりに遠すぎる。
見る者が想像できるシチュエーション、それは正解を用意しなくてもいい。
ただプロが見ても素人が見ても、その写真を見る者が自然と被写体のおかれた環境や、バックグランド、前後関係を想像してしまうような。
そんな写真が「いい写真」なんではないか。
と今は思っている。
2007/10/16
ふたり仲良しでいいよねと言われて
人付き合いについてもう一稿。
自分のお気に入りの人間を考えた時、
そいつのキャラがおもろいとか好きとかいう視点とは別に、もう2つの側面に気付く。
そいつの前で俺はおもろくなれるか。
そして、俺はそいつをよりおもろくさせているか。
この2点である。
あいにく俺は誰と接していても自分のキャラをいかんなく発揮できる男ではないし、
(人と接してて「何かうまくいかねえな俺」と思うことがしょっちゅうある。)
そもそも自分のことをおもろいとも思えないので、こんなことを考えてしまう。
ジャズ系でよくつるむ後輩とはすごく相性がいいのか、
気持ちよく付き合ってもらっているが(俺だけか?)、
こと女の子とか、微妙に知らない人間と話す時は全くもって上手くいかない。がちょーん
西畠と千葉はこの問題を(なんでか)クリアした俺にとっては数奇な例。
その点、福井、山中、白坂、前髪あたりはあんまり気負ってないよな。
自分を出すことに。
いつも飲み会で楽しそうだ。いいなあ。
恐らく意識的にか無意識的にか自信があるのでしょう。
本人達に言えばたぶん否定するが、はたから見ててそう感じるでよ。
一昨日のサックス飲み会に行った俺は最悪だった。
体調が悪すぎたのもあるが、話が続かないこと続かないこと山のごとしMAX!!
いまさしの男 泣 き !!
西畠と福井とやったダーク2005のリズム隊は俺にとってはほんまに最高だったな。
俺にとったら最高のパートナー達でした。
二人からしたら何を今更都合のいいことをと言われるかもしれんけど。
どうやったら福井と話している時のような感覚で他の人とも喋れるのでしょうか。
一番大事なのは、ビビらないこと。
これはわかってるんだが。
女にも下ネタが言えたらいいのに。言うけど。
ところで昨日まひょと電車で喋ったのは楽しかった。
最近、俺にもそんなバンドが組めた。
田原Fまさしは演奏力はまあともかく、バンドやるうえで一番大事にしたいことを勝手に共有できる3人である気がするのは俺だけか!?
全員がボケの応酬!!ヒャッハー!!
高校で組んだヒラリーズハズバンドが終わって7年経ち、
やっとバンドの神様にただいまを言えた気がするのだ。
これから半年、バンド生活がまた楽しくなるでよ。
2007/10/14
家具を担いで大阪へ
ようやくスメ35でましな写真が撮れはじめたワイ。
苦節現像140枚強…
くだらん写真に1万円以上かけてきたがそろそろ本領発揮といったところであ~る。

今日は起きたら頭痛がアホほど痛くてしかも修論進める予定だったから正直ダブルフォースリハには行く気がなかったのだが、行ったら行ったであのバンドで音出すのは最高におもろいし、帰りの電車ではまひょと一緒になれて至福の時間を過ごせたので行ってよかったワーイ。
Cherokieが弾けません。
話はうってかわって毎年NFにはあまりいい思い出が無い。
期待するだけしといて結局不完全燃焼で終わること山野如しであります。
あ、マスオでオオトリ務めた3回生の時はおもろかった。
自分らのライブであんなに人が盛り上がってくれるのは始めただったから。
ロック少年としては一つの夢を叶えたような気がする。
ジャズ系のNFではやりきった感など味わったことがない。
それはイベント自体が盛り上がらないというシステム上の問題が80%あるとしても、
そもそも「やりきろう」と思うバンドを組んでないのが20%はあるのかもしれない。
このバンドでがつんと一山あてたる!
と思うバンドは?
あ、ピストンがそうか。
4回生の時のピストン@定演は自分のライブのハイライトのうちの一つであります。
ただ4回生12月当時はジャズ系において精神的にあまりいい状態ではなかったので、
「イイ思い出」と単純に振り返るにはいかないところがある。
俺は何でこんなに焦っておるのだ。
ピストンももう活動してるとは言いがたい状態にあって、
やはり欲に支配されるのが人間か、あの興奮をもう一度体験したいのかもしれない。
学生最後のNF、ひいては定演。
結局「いまさしすげー」と言われたいのだな。わかりやす。
それは、昔より今のほうが絶対うまなってると自分で思うからこそなのであるなのである。
後輩がミゲルトリオやABTというレギュラーコンボを組みばりばり活躍している。
福井はベクトルズを始めた。
弾き語りでもやったろうか。
じゃなくて、俺には新日本人というコンボがある。
これをいかに「ザ・バンド」といえるまで昇華できるか。
毎度毎度言うが、これが学生最後の課題なのである。
バンドがないは俺の中でかなり期待したレギュラーバンドだったが、
東さんの都合であまり続けることはできないようだ。
俺はいっつも事後的に「こうすりゃよかった」が募る人間なので、
事前予測が極めて苦手な土佐っ子いまさし。そろそろ人間改革を果たすべき。
ジャズ系におけるいち演奏者として、後半年で「やりきった!」といえるにはどうしたらいいか。
というお話。
田原トリオしかり、新日本人しかり
しかしファンクもしたかったりする。ひえー
2007/10/12
ダブルfォー
組長さんがカッコよすぎて鼻血が出た。
youtubeにアップされてるロイホのライブ録画を見たんですが。
最近のダブルフォースはコンテンポラリーに手を出し始めて「んん~?」とか思っとったけど、いざライブを見るとかっこいいんで不思議だ。
あんなアレンジのNight in Tunisiaが組長さんによってアホほどかっこよくなるんまったく不思議だ。不思議至極。
まさかこれこそがバンドマジックだったか!!
ざわ…ざわ…
もう一度言うけど組長さんがカッコよすぎて鼻血が出た。
鳥肌もたったよサービスも実施中だぞなもし。
このバンドには無理やりにでも曲の収拾をつけられるような、「単純な楽器のうまさ」以外の「うまさ」を持つ猛者が揃ってるのがかっこよさの秘訣なんでしょうな。と言ってみたりする。
そのかっこよさは「単に素人が見てかっこいいだけの罠」に陥る危険性があるのだけれども。
このバンドを本多雅人レベルのプロが見たらどう思うのかはわからん。
俺は素人だからネー。
自己表現という視点で人の相性を考える
自己表現という言葉自体はなかなか嫌いな部類に入る。
理由は「自己表現をする」という至極当たり前の行為が巷ではあたかも特別であるかのように論じられるからだ。従って厳密には単語自体が嫌いなわけではない。
モテるからキムタクが嫌い、という動機と同じである。
まあ俺はキムタクがキャラとして嫌いだ。
さて嫌いとは言ったものの現在ほかに適当な言葉が思いつかないので今日はこの単語を使う。
最初に今日の議題の結論を言っておくと、「正確に自己表現できている人間同士の付き合いってハッピーだよね」ということである。
「なんとなくこいつとは同じ方向を向いているわ」と感じられると、仲良くなる動機として強い。
例えば俺はブランキー好きだが、他のブランキー好きとは何だかウマがあうことが多い。
ブランキー好きに共通する嗜好性というものが恐らく存在して、それを共有できるからである。
上の例はブランキーという象徴的な媒介があるのでわかりやすすぎる例になってしまったが、「仲良くなる」という現象には何かしら人間の方向性に関して共有するものがあるのだと思う。
じゃあその「こいつは同じ方向を向いているわ」と、人の何から判断しているか。
それを今回は広い意味での自己表現だと言っているのでR。
バンドマンなら自己表現として音楽を想像するだろうか。
例えばライブを見ていていれば言葉を交わさないまでもその人がどんなキャラか(どこを向いているか)分かってまうでしょう。
しかしそれは極めて特殊な例であって、言葉使いであるとかしぐさとか表情とか笑いのツボなどの人と接する際に必ず通過する行為だってこの意味での自己表現に含まれるのだ。
というか今回の議題においてはこっちの方が本当の自己表現と言える。
「自己表現というアウトプット」作業を一旦完了した形でしか、他人は自分を捉えられない。
そこで自己表現の「正確さ」が大事になってくる。
つまりライブや日常会話で発揮している自己は本当に自分を投影したものになっているか、である。
正確に自己表現できていると、恐らく自然に同じ方向を向いた仲間が周りに集まるだろう。
自己表現に正確さが無ければ、他人は自分を本来とは異なった見方で捉える。
そのような人は「どうもよく一緒につるむ友達はいるが、妙に気が合わない」と悩むこと甚だしい結果になってしまうこと甚だしい。
まあ、俺もちょっとそのケがある。
というか、正確には「あった」。
だから俺はこんなことをわざわざ考えているのだろう。
山中とかまるさんとか白坂とか見ていると、「こいつ一生こんなこと考えもせんやろな」と思う。
俺からしたらこういう人間はキヨーである。
逆にブキヨーな人間は我慢をするハメになる。
倉都とか木全とかはこういう部類じゃないだろうか。
勝手に言ってごめんやけど。
ブキヨーな人間はどうすればキヨーになれるか。
普段から自分の言動にシビアになる他ない。
「日常生活からそんなストイックに生きられへんわボケ!」と思う人はまあそれでもヨロシ。
俺はそういうストイックさが嫌いじゃない。
そしてそのストイックが板についてきたらちょっとずつ楽になってくる。
俺はこの2年間で楽になった。
俺ちゃんキヨーになってきぜ。へっへっへ。
2007/10/10
吾輩よ先輩たれ
ぱもじゃに鈴木太朗という先輩がいました。俺の2世代上の人です。
ジャズしか聴かないという俺からしたら理解できない人なのですが、彼の音楽に対する異常ともいえる真剣さは俺だけでなく周りのぱもじゃ連中に大きく勇気を与えたでしょう。
やると言い出したバンドを1週間後にやめたいと言い出す。
いきなりギターをやめてクラリネットを始める。
かと思ったらピアノを始める。
の裏ではしっかり12弦ギターを買ったりする。
いきなりそれを売ったりする。
研究室にアップライトベースを持ってくる(ていうか買ってる時点ですごい)。
ギターの岡本さんをして「プロになれる」と言わせたのに今では女子高生相手に先生をしておられる。
そんな奇天烈ぶりも魅力の一つである太朗さんに俺はジャズの手ほどきをしてもらいました。
この人がいなければジャズ系入っていないと言っても過言ではなかろうであります。
今までのバンド生活で感謝したい人間が3人いまして
澤良木詠一はバンドを教えてくれ
田中宏明は大学で安心してバンドをできる場所をくれ
鈴木太朗はジャズを教えてくれて
上の2人はまた別に稿を寄せるとして、太朗さんという人間は俺からしたら純度100%に尊敬と感謝してしまう珍しい存在であります。
一番印象に残っているのは大学3回生の時に真伊年とやったメセニーのバンド。
Bright Size Lifeをスタジオで50分くらいぶっ続けでやらされた。50コーラスくらい?もはや修行。
当時は文字通り涙目でしたが、こういう経験がよかったんだなと今になって思うのだ。
そこにあったのはやっぱり愛であったからなのだ。
俺に対するとか音楽に対するとかこのバンドに対するとか、いろいろな意味での。
そう考えたら太朗さんは音楽ももちろん人間も同じくらい好きだったのだ。
たぶん本人は否定するだろうが、どこからどう見たって、そうだ。
はて、自分が先輩としてそういう経験ができたのだろうか。
阿久津とか倉都とか、よくつるんだ後輩はいるが、音楽的に道を示せてないな。
ジャズ系の後輩は後輩で知らん間に勝手に俺より上手くなってるし、もしかしたら俺にそういう役目の必要はないのかもしれない。まあ、それも少しさみしい。
ダーク1年目が終わった瞬間、まっさきに感謝したのは太朗さんだった。
出口で本人を見つけて泣き崩れた。
この人以上に音楽好きを感じる人は一人もいない。
もちろん太朗さんより上手い人は京都にもいるが、
音楽の話をしだす時、ギターを弾いてる時、ストイックさ、普段のキャラといい俺の中で唯一無二のかっこよさで、ヒーローとして君臨している。ずっと。
あと半年。
俺はジャズ系の誰かに対して、そういう先輩になれるかなあ。
2007/10/07
スライダー写経
どうも後輩とちゃんとしたコミュニケーションがとれてないんでねえのかということが一個下の学年とうちの学年で問題になった時期があった。
後輩の音楽に対する姿勢が年々「薄く」なっているような「気がしていた」時期である。
2.3年前のことだと思う。
当時いた美濃部さんは「先輩から働きかけるべきだ」と言っておられた。
まあ自分の印象を悪くするようなこと言っとくと俺は当時「着いてきたい奴が着いて来い」なんて思っちゃったりしていたので、上記のアドバイスを「あー確かにそうかもねえ」と思いつつ実際には何の態度も変えない男であった。
そこにはちょっと「先輩としての」、プラス「人付き合いに対する」プライドが見え隠れしていたのが事実である。
わかりやすく言えば「こっちから働きかけるより向こうから働きかけられる方がカッコイイ(モテてる)」。
まあ一見上の態度は理論的には正しくて、現実的には正しくない。
「向こうから働きかけられる人間は すでにこっちから働きかけている」からだ。
白坂とかちゃっかとか山中とかけいじさんを見てるとどうも世の中はそのようになっている。
例外は超美女くらいだな。千葉など。
ルーキーズという漫画に「信頼されたければ信じろ」というセリフがあって、立ち読みながら感動した覚えがある。当時の俺の悩みに直撃していたからである。
今はそれを発展解消して考えられる。
「信頼されたければ」という前提もいらないのである。
そんな下心を隠して人と触れ合うでなしに、素直にみんなと明るく接しよう。
ただこの半年、それを忘れていた。
妙に今年に入ってからどうもモテなかったのである。女にという意味ではないよ。
なんというか、いろいろ人と接することにいちいち意味が無いような気がしていた気がする気がする。
そんな下心を隠して人と触れ合うでなしに、素直にみんなと明るく接しよう。
俺のすごいところはそう思ったら完全にその気になってしまえるところである。
明日からそうなれる気がする。
どう考えても人間明るい方が楽なのである。
さっき帰ってきたM2キャンプでこのことを思い出した。
2007/10/05
他人の音楽に話をする vol.1

ido-est
Joe Brownn(照井利幸)
定期的に有名人の音楽に対してレビューをしてみるという試み。
記念すべき第一回目は上手いんだか下手なんだかわからんけど音楽に対するその度が過ぎるほどの実直さと天然キャラが極めて魅力的なベーシスト照井利幸氏(ex.Blankey Jet City)のソロプロジェクト第一弾。
人を使うのが下手な部類の人間がいる。
アウトプット下手とニアリーイコールであると言ってもよかろう。
恐らく一人好きの人間にこういう傾向があるんじゃないかと思っている。
まあ俺がそうなんだが。
恐らく照井氏もこの部類。
ブランキーをアホみたいに聴いてきたし、インタビューも出回ってるものはほぼ全て読んだ自信がある俺としては、照井ワールドを一聴衆としてだがわりと理解してるつもりなのだ。
このアルバムはそれの片鱗が見え隠れする。
しかし「片鱗」が「見え隠れ」しかしてない。
演奏を聴くと「照井氏はほんとはこうしたかったんだろうなあ」という想像が頭をよぎること山の如し。
サイドメンバーが照井氏の志向性を理解できてない様子がわかるし、
事実照井氏がインタビューでそういっとる。
ただよくよく聴くとベンジーとか達也のソロよりも「ちゃんと」創りこんであり(まあ前者2人はそういう志向性がもともと無いのだが、ともすればベンジーはそれが「適当さ」に走ってまうので安心して聴けない(特にここ最近のソロ))、そこはだいぶ好印象。
ボーカルのきしょささえなければ、照井氏のメルヘンサイドが存分に発揮された秀作になっていたと思うのであるまじろ。
冒頭を飾る「悪い予感」はこの1曲だけでアルバム買った価値があったと思うほど好きなんやけどなあ。
なもんでインタビューで自分で「今回はアカンかった」みたいなこと言わんといてや 泣
俺って大体自身のバンドつくってもうまいこと盛り上がらんので、
そろそろカリスマ性の無さに気付くべきかもしれない。
照井氏はこの8年後RAVENという形でこのアルバムのミスを乗り越えたが
俺もはやいとこそうならんとなあ。
2007/10/04
二人きりじゃないけれど
自分でよくわかっておるつもりだが俺は惰性な人間である。
「イカンイカンなおさな」と思うこと山の如しではあるが、ハタと考えてみる。
仕事はやい。頼まれたことはキッチリやる。奴に場を任せたらまず間違いない。
そんな完璧な人間に俺はなりたいと思ってはいないのである。
そんな人間性を感じさせるやつが周りに何人かいたりするけど、まあだいたいそんな奴とは仲良くならない。
俺の敬愛する土佐高の連中がわりと惰性だからか?
まあ俺含めそんな奴らは社会出てから苦労することが約束されている。
愛してるぜお前ら。
したがって昨日(10/2)はドラクエ6をおそらく10時間くらい堪能したのだ。
ただいくら惰性が俺のアイデンティティだと謳ったところで他人に迷惑をかけては、これはイケナイ。
その制限条件のもと、何が最適解なのか。
これを肌で感じられるような能力が理想であるかもしれないかもしれない。
つまり
後悔はしたくない。
でも後悔してる人間に惹かれる部分がある。
後悔してる人生が楽しいとか思ってるところがある。
これらのどこで帳尻を合わすかという話である。
一昔前までは俺の中核を成していた「無駄の美学」に対して最近は懐疑的になっている。
どういうことかというと、確かにかつて経験した無駄のおかげで俺が形作られているのだが、その無駄がなければ今頃もっと良い俺が形成されているのではないかちゅう話だ。
このテーマは惰性と大きく関わる重要なテーマであるぞ!
「無駄の美学」とは「惰性の美学」とニアリーイコールであるからだ!
最近の流れとして、この惰性が他人へ迷惑かけとる程の酷さなので、少し考え直す必要があるかなと感じる次第であります。
本当はこんなことを書きたいのではなかった。
新日本人の話、ひいては俺とジャズの話をする。
山中が言っていたように、俺はジャズへのコンプレックスがあるのは間違いないのだ。
例えばバンドがないをやっているかのようにゴキゲンでジャズができたら、俺は大満足で大学を卒業できるのだ。
じゃあどうやったらそれが可能かという話なのだ。
プロの演奏聴いてたら「俺にもできそうだ」という気になる。
意外とこの感覚が大事なんではないのか!?
こういう俯瞰的にサウンドを見つめる/聴く感覚というものは、(俺の場合)楽器を持った瞬間に忘れてしまうものなのだ。これがイカン。
今度は楽器を持った瞬間にあえてそれを思い出そう。
バンドの逆金縛り状態だ!!!
ジャズが本来の意味で楽しめますように。
2007/10/02
新日本人@RAG
そもそも論やべき論を使うべきとことそうでないとこを見極める必要があったのだ。
どうも俺はこのバンドの他のメンバーに対して押し付けがましい気持ちを持っていたようだ。
そもそも論から逸脱したところにバンド固有のカラーが出るのではないか。
あえて言うなれば、ジャズという音楽は「そもそも」そもそも論を必要としない自由な音楽であるはずだ。
ライブ後の話し合いでそのことに気付けてよかった。
俺がベースとして存在しているからにはその上で気持ちよく演奏してもらいたいのであーる。
やっさんのように人を感動させるプレーヤーになるためにはどうしたらいいか。
たしかに今の俺は楽器を練習する時間がまったくと言って良いほど無い。
とは言うもののなんというか、気の持ちようだけで演奏は相当変わる気がするのだ。
自分ができることを確実にやる、これだけで音楽はカッコよくなるはずなのだ。
多分。
ダークやって以来、自分は他人の演奏を邪魔しているようで忍びない。
録音聞くと、バラードの俺は最悪だった。
もっと自由に。
p.s.
ライブ後に来てくれた後輩と楽しく話ができた。
壁は少しずつだが姿を消しつつあるのかもしれない。
2007/10/01
音回廊03
飲み会編
人付き合いにおいて、「壁」には2種類ある。
しかもこれには2パターンあって、それは人と接しても心の奥までは見せないという「心の壁タイプ」と、知らぬ人との接触を恐れる「接触の壁タイプ」で候。
俺は後者であった。というか未だにそんなところがある。
しかももっと細かいこと言うと、全く知らない人に対しては全然壁なんてないのに(例えば町の通行人とか楽勝で声かけれる)、同じサークル内でビミョ~に知っているくらいの関係の人間とはなかなかコミュニケーションとれないというタチのものである。
一度気さくに話し会える間柄になれば俺ほど心開く人間はいないくらいの自信はあるのだが(というかそれ以外の人付き合いが無理)、そこまでに達する道のりが高く、険しい。
俺は最初から人を「嫌い」から入るところがある。
聞けば松本人志もそうだと言う。
そんで「こいつこんなええとこあるんか」という経験をつむことで信頼関係を事後的に築いていく。そんな付き合い方をしていたなここ最近。
まあつまりビビっているのである。皆に。
さらに外見からかしらんがどうも後輩から怖がられる傾向があるので(甚だ不本意である)、お互い接することなく今まで来てしまった後輩も多いのでしょう。
それは少し寂しい。
俺がなんでビビっているのかと言えば「やっぱ男としてその場を盛り上げてナンボ」みたいな気負いが強いからである。
なんでそんな気負いがあるかと言えばその能力に自信がないからである。
これはもうどうもこうも変えられない性質のようでして、例え福井とか山中とかちゃっかとか阿久津とかの普段から絡みのある連中と喋っていてもこの気負いはとれない。
俺は常にキンチョーしているのだと思う。意識はしてないが。
じゃあ「別にそんなキャラ目指さんくてええやん」という話になるが、どうも去年発揮しすぎた説教先輩キャラには戻りたくない、というか俺が後輩だったらこんな先輩やだ、という理由で却下。
どうも話を哲学・思想論的な方向に持っていく癖があり、まあ本音ではこの癖は俺の武器になっているとは思っているが、あえて封印して他の武器を鍛えましょうという選択。
人間の幅を広げるのでR。
別にそうなろうと意図したわけではなくて、気付いたらこうなっていた自分の心境の変化をこう説明できたってだけ。
しかしどう考えても去年・一昨年の方がモテとった気がするのが実情。
今が一番中途半端な時期なのかもしれない。今は耐える時期である。
そういう意味では今の山中はジャズ系で一番バランスがいい。
人間の器であいつには勝てる気がしない。
人付き合いという面でこいつには勝てんと思う人はジャズ系では3人おって、一人は上記の山中。あとは丸さんとけーじさん(もはやジャズ系ではない)。
「他人に対してホンマに壁を作ってないな」と思うこと山の如し。
周りの人間が彼らを信頼しているのが第3者として見るとよくわかる。
最近はさっき言ったような気負いを無くせればいいなと思う。
絶対そんなものが無い方がおもろいことも喋れるはず。
でもこの人と仲良くなりたい!という人に限って気負ってしまうのが人間の性である。
俺昔はそういうこと無かったんやけどなあ。
社会は複雑である。
でも9月の夏合宿の時に、丸さんを見てようやくそこら辺のことに気付いた。
そんで、俺は自分で思っていたほど実際は他人に対して壁をつくっていないことに気付いた。
壁をつくった気になっていたようだ。
なもんで昨日の飲み会はどうも楽しかった。
壁を意識せずにいろんな人と喋れた。
稲吉くんと喋ったのが収穫だった。
やっぱり人間シンプルな方がいい。
もうモテたいとか言うのはやめる。しょうもないから。
そういえば、今はもっとロック系の連中と仲良くなればよかったと思う。
音回廊02
つづき
ダークは山崎のクラッシュ空振りが一番の見所だった。
全体的に目新しさが無くなってきた気がするのでここらでロッキンをやるというのはどうだろう。冗談。
塩見がだいぶリードっぽくなってきて嬉しかった。音か飛んで聴こえてきた。
こまいぬの社長スタイルの座り方はいつみてもグっとくるものがある。
ピーナッツなんとかっていう曲をやってる時の山崎+岩波のスイング感は秀逸だなあ。俺にはできんわ。
瓶覗きは煮え切らない感じ。曇天の影響か。
バカ盛り上がりでもいいので一山欲しかったが、ひょっとするとそういう路線を狙っているのかもしれないので偉そうなことは言えない。
新日本人とか田原トリオやってても思うが、しかけるフロント+呼応するバッキング、この流れがなかなか難しいもんじゃ。キーマンは木全と阿久津。
阿久津がめちゃうまなってたようなことを福井が言っていたが、そこには共感できなかった。
スネアの音はだいぶ好みだったが全体的に落ち着きがない。ぴょこぴょこした感じ。
ただ、たまーに「おおっ!」と思えるオカズを入れたりして、そういうとこを見ると期待したくなる。
木全はテーマ弾くときはすごい雰囲気出ているが、ソロになったらようわからん感じになるのでもったいない。流れを意識しながら「これなら盛り上がる!客も涙する!」みたいなフレーズをここぞという時にバシッドカッボコッガツーン!とキめれたら見所をつくれるかもしれない。
マーカスはライブ毎に上手っ!と思うときと下手っ!と思うときがあって得体の知れない奴だ。
武田なつきは相変わらず天然だった。
なんにせよテントが低すぎてマーカスのこめかみまでしか表示されてなかったのが非常によかった。
音楽やるでもなんでも遊び心が大事と俺は思っていて、特にファンクなんていう音楽はそういうのを盛り込みやすい音楽なんだから(と思うけど)、一回アホにでもなっておっしゃあ!バーン!って音出したらおもろくなるんちゃうか。あんな辛気臭え顔してやらんでもええがな。
ここでアホと言っているが一直線でアホを目指すとZ-Z合格「ウ」みたいになるので(あれはあれでああいう音楽の良さがあるのでしょうから一概にそれが悪いわけではないが、まあ俺には全くわからん)、ここはひとつアホの前に「賢い」を通過せねばならぬ。
つまり「賢いアホ」になりましょう、ということでR。
それはTD’sやってる時にメイシオ聞いて感じたことだ。
「このおっさんめちゃめちゃハッスルしとるけど、ちゃんと木だけでなく森も見とるな」という感じであります。
バンドの流れとか音を俯瞰的に見つつ、その中でアホを演じているのだと俺は感じたのであります。
つまりここでいう賢さとは、「余裕」とニアリ~イコ~ルなのであります。
じゃあその賢さはどうやって得るか。練習であります。
そして練習で「慣れ」を会得しましょう。そして「余裕」を得ましょう。そして「賢さ」を身につけましょう。
そうしたら「アホ」を演じましょう。
これは現在の俺の課題でもあります。
福井の所属するベクトルズはとても良かった。
恐らく本調子が出たライブではないだろうが、雰囲気勝ち。
俺がああいう音楽がめっちゃ好きというわけではないが、なんというかああいうバンドが出来たら幸せやろなと思う。福井が羨ましいぜ。
残りの学生生活で俺にとってのそういうバンドを作りたいなあ。8ビートね。
最近ぱもじゃではじめた井上陽水バンドがそうなるかもしれない。
素人のボーカリストで俺が感銘を受けたのがぱもじゃの岩佐さん、東さん、ジャズ系の白坂で、そのうちの東さんの歌の演奏をできるだけで感無量なのだ。
と思ったら木村と内貴がまたやたら上手い。
木村の上手さは性格によるなあれは。誠実。不必要なことしない。
俺はこの性格のせいで結構いろんなこと遠回りしたと思っているが、そういう道草をくわずにここまで来たような男だ。詳しくはしらんけど。
16をやらせたらまいねとかいがっちょよりもシャープで切れ味がすごい。
一緒にやってて勉強になるわこら。
できればNFとか焼け跡ライブとかで出てジャズ系の人にもお披露目したい。
久しぶりにバンドやってて単純に「うわー楽しー」と思えた。
たぶんダークやって以来こんな感覚は無かった気がする。
新日本人は足引っ張りまくってる感があってなかなかつらい部分もあるし、やってて「やっぱ俺下手糞やな」としか思えない。不勉強、鍛錬不足が祟る。
これをどう「単純に楽しいバンド」に昇華できるか。学生生活最後の目標なのである。
根性を見せねばならない。
そして外タレがニカ~と笑いながらジャズをする。ああいう状態になりたい。
音回廊飲み会編につづく