親という存在は、少なくとも我々が社会に出るまでは子にとって無償の関係である。
その存在とどう付き合ってきたか。
これがそいつにとって人との付き合い方に如実に表れるのではないかと思う。
智子とか西畠とかを見てると、親といい関係だったことが容易に想像できるし、
事実両方とも親のことが好きだと言いまくっている。
ところで、うちの父親の教育方針は
「何でも自分で考える子」
というものであったらしいことはいつか述べた。
いまさし少年はその意向通りにすくすくと育ち、
たしかに自分で考える子にはなったものの、
どこか自分という存在を家族と切り離して捉えるようになった。
物心ついた頃から両親が喧嘩しまくっているという、
ともすれば子が非行少年に走ってしまう可能性を秘めに秘めまくっていた家庭環境にありながらも、
悪いことと言えば万引きくらいしかせず受験シーズンにはせっせと勉強して
1浪はしたものの京都大学という大学に入学したのは、
家族の状況にかなり無頓着だった性格が幸いしたのかもしれない。
他人事に非常に鈍感なのである。
最も身近である両親をして他人事と言いきっている時点で相当感覚がずれているのかもしれない。
まぁ、こういう性格なのである。
しょうがない。
ということで俺は他人に興味があんまり、というかほとんど無い。
それでも最近はけっこうマシになってきた。
きっかけはダークである。
俺はあの場で他人を信用するということを微かではあるが覚えた。
この感覚は今後しっかり育てていきたいものだ。
・・・・・・・・・・・・・以上前置き・・・・・・・・・・・・・・・・・
話は変わるが、
俺が反抗期を迎えたのは一般人と比べ随分遅く、大学1~2年くらいの頃である。
最近になってその理由がわかった。
俺が高校生の時に両親の前で反抗期などになっていたら、
楽勝で家庭が崩壊していたからだ。
高校生の俺は家族の中にあって今にも切れそうな家族同士の細い糸を
なんとかつなぎ合わせようとしている存在だった。
現在のボケ癖はそのころ身に付いたものかもしれない。
でも、俺とハマー(※天才の弟)が同時に大学に入学した日に、親父は家を出て行った。
おかんは急にひとりぼっちになった。
そこに反抗期となった俺が電話越しに喧嘩を売りまくるのである。
ただでさえ人一倍寂しがり屋のおかんである。
たまったもんじゃなかっただろう。
未だにあの頃を振り返ると胸が痛む。
おかんは一人でも食っていけるように、看護師の学校に行き始めた。
齢50にしてまさかの学生生活である。
おかんはもうちょっと信じられないくらいの若作りではあるとはいえ、(大学入学手続きのため京大に来ていたおかんはサークルの勧誘に会ったほど。ただし後ろ姿からである)あの歳での制服姿は少し犯罪である気もした。
いつのまにか反抗期を脱出した俺は仲良くおかんと接し始めた。
幸いなことにおかんは同僚に恵まれ、4人の仲良しおばさんグループでどこどこに遊びに行ったとかそういう話を帰省の度に聞かされ、随分楽しそうで安心した。
このおばさんグループは下は35から上はおかんの54の4人組なのだが、
全員死ぬほど若作りで、実際の歳より10歳以上は若く見える。いやまじで。
勉学に遊びに、おかんはずっとこのグループと行動を共にしたみたいだ。
50過ぎてるくせに、仲間にパソコンの使い方を教えていたらしい。
ある日おかんは「一生学校続けたいよぉ」と言った。
毎日家事に明け暮れ、 喋る相手といえば道で会う近所のおばさんか男だらけの家族だったおかんが新しい人付き合いを見つけたことが単純に嬉しかったし、 この歳になっても人生を楽しむ気質をおかんが持っていたことに感動した。
そんなおかんは4年間の学校生活を今日、卒業した。
親父からの援助もないため(この理由もようわからん)金を稼ぐために夜はバイト、
昼は学校という体に鞭を打ちまくる生活。
歳を重ねて言うことを聞かなくなる脳味噌と身体。
それらに耐えながら自分より20歳も下の先生のもと、
10代のピチピチのライバル達に打ち勝ち
学年(83人中)で4位という成績を残して卒業するおかんは、
どこの誰がどのように見ても立派すぎた。
ローマ法王だっておかんを尊敬すべきだ。
何か変な話だが、俺は父兄としておかんの卒業式に参加した。
おかんの名前が呼ばれ「はい」と言って起立した瞬間、涙が流れた。
おめでとう。
頼むから、長生きしてくれ。
2008/03/07
親愛なる母へ
時刻:
1:35
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