「あいつは影響されやすいやつだ」
と俺らが誰かを指して言うとき、
そこには少し否定的な意味が含まれる。
その一方で、俺は
「影響されなければ何かに接触する意味がない」
と思っている。
セッションに行ってぼんやり演奏して、
はい4時間経ちました。
誠に時間の無駄である。
せっかく時間と金をかけるのならば、
何かを摂取して自分の糧にしなければ至極もったいない。
俺は結構好き嫌いが激しい方で、
もちろん身近な人間の中にも嫌いな人間はいるが、
絶対そいつの中に、一つは自分に無いプラスの側面を探す。
まぁといってもそれで嫌いが治るわけではないが、
少なくともそういう癖が一つ身につけただけで、
随分謙虚に人と接することができるようになった。
そして素直に接することができるようになった。
気がする。
よくよく思い直せば俺は結構影響されやすい人間で、
一時期イニシャルDにはまっていた時は桂坂を原チャでいかに高速で下りきるかに挑戦していたし、
ゴルゴ13にはまっていた時は「俺は人に背を見せない・・・」とかほざいて壁を背に人と話していた。
ジョジョにはまっていた時は無理矢理自分のベースをスタンドにしていた。
まぁこれらの例は単純に笑い話である。
高松伸という世界に名だたる建築家が京大建築学科で教鞭を振るっているが、その人が
「オリジナリティは模倣から生まれる」
と言っていた。
強く印象に残っている。
俺の場合はそれを聞いた2年後ぐらいに、音楽を通して実感した。
模倣と影響がイコールとは言わないが、
ある程度パラレルな関係である。
芸術というもの(俺は建築は芸術とは思わないが、便宜上ここで建築の芸術的側面を指してこう表記しておく)を実践する者にとってオリジナリティが武器になるという観点が、そのまま人生というものに適用できるとは思わないが、両者に共通する「発展」という要素に対する示唆として伸ちゃんの言葉をこの場での解釈に合わせることができる。
影響されることは良いことだと思う。
しかしその方法にひとつポイントがある。
ただ何もかにも影響されまくっているとそれはそれで
「あいつには自分がない」
という話になる。
恐らく冒頭の文が否定するのはそういう側面である。
じゃあどうすればいいか。
上記の状態を回避するために重要なのはバランスではなく、信念だと思う。
自分の哲学とか信念に乗っかかる形で、
それらを一歩先に発展させるような影響を与えてくれる要素を
積極的に発見し、自分の生き血としていくのが「影響」の正解なんではないだろか。
「影響されなければ何かに接触する意味がない」
と上で書いたが、正確には
「何かに接触するなら、影響される要素を探しださないと意味がない」
なのである。
自分を発展させるために、と言う意味でこの結論を考えたが、
そもそもそんな難しいことを考えなくても、こうした方が間違いなく人生楽しいのである。
2008/03/05
僕らが発展する手法として
時刻:
23:04
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