2008/03/04

クソアホどもが 夢の跡

ジャズ系の免許ブームのさきがけとして実は昨年11月より単車の教習に通いはじめていたワタクシであるが、先日デルタのおっさんからこんな話を聞いた。

自転車が車道を通ることを義務づけるという議題が国会で挙がっているらしい。
現道路交通法では一応規則としてはそう決まっているのだが、
じゃあチャリが歩道を通っていることをわざわざつまみあげて何かしらの
罰則を加えるとういことは現在行われていない。

それを今度からしっかり罰金を課すようにしましょう、というお話。

何で連中が今更こんな議題をぶち上げているのかというと、
近年、歩行者-チャリ間の事故が多発しているからだと。


なんと情けない話であろうか。


普通にチャリ乗ってて、警察沙汰になるような事故がそんなにしょちゅう起こるもんだろうか。
俺は知人からそんな話を聞いたこともない。

自転車乗りとしてのマナーが最低限備わってさえいれば、
あんな単純な乗り物は人を殺す凶器にはなり得ないと思う。

「何か危険だッ」と感じればスピードを緩める、
あるいは一旦停止する くらいの注意力で事故なんてよっぽど運が悪くないと起こらないもんである。

そんなマナーの備わっていないクソアホどもが日本中を跋扈している事実。


ああ情けない。


なんでそういうクソアホのために非クソアホの行為が限定されなければならないのか。
情けなさすぎて乳首がうずく。

原チャライダーにはおわかりかと思うが、
車道を通っているチャリははっきり言ってクソ邪魔である。
メッセンジャーのようなスピードで運転する猛者であっても、はっきり言ってクソ邪魔である。

そんな法律がまかり通るとバイクとチャリの事故が極端に増加することかもしれない。

ああ恐ろしい。






同じ問題構造は京都の川床の話にも言える。

これは確か西畠から聞いた話だが、
京都鴨川名物の川床の高さ、色がすべての店で統一させられるという。

理由は、現行の規制を破る店が多発したからだと。

ここにも
クソアホのせいで、非クソアホまでもが規制を受ける
という構図が発生している。

しかしこの場合は、全ての川床の高さ、色がビターっと揃ったのも
それはそれで景観として綺麗かもしれないという予想もしている。

だから、結果としてはどう転ぶかわからないのだが、
とりあえずクソアホの存在に非当事者ではあるが憤りを覚える。





まだある。

先日、新居契約のために仙頭氏に40万という金を振り込む必要があった。

郵便局に行って話をすると、10万円ずつでしか振り込みができないという。
しかたなく4回に分け、手数料という何の実態もない対象に280円×4回の金をつぎ込み、
後ろで待っている人を過度にイライラさせながら(余談だが、俺は相当イライラ症患者であり、レジとかATMでとろくさい奴を見るとスパナで頭を割りたくなる衝動にかられる。なので、逆に俺がレジやATMに際したときは絶対に後ろの人をイライラさせないように、最大限迅速に用を済ませるようにしている。この4回連続振り込みはそういう意味で極めて屈辱的だった)、ようやく振り込みを終えた。

なにをどう考えてもオレオレ詐欺の影響であることは明確で、
これもつまりは
クソアホどものせいで非クソアホどもが(以下略)
という構造に問題の根底がある。

もちろんだが、ここでいうクソアホと言っているのは引っ掛かる方ではなく、
こんなしょうもなさすぎる手口で金儲けしようと企んだ引っ掛ける方のことである。

なんでこんなクソアホのせいで善良な市民である非クソアホにどちらかといえば属する
俺の行為が規制されなければならないのか。


悲しくなるほど情けない。





法や規律とは、人間のマナーを補完するものだと俺は思っている。

その法が細分化・肥大化していることは、建築基準法、道路交通法、ネット関係の規制、
どれを見ても近年の傾向として当てはまると考えてよいだろう。

ひょっとしたら有史以来、法はその傾向を常に保持してきたのかもしれない。
これに関してはよくわからん。


人間のマナーを現行の規律で補いきれなくなった場合に新たな規律を追加する、
というのがマナーと法の関係なら、最近の法の傾向は人間のマナーの陳腐化を示すものだ。

これすらも
その時代の価値観として片付けるというのか。




ああ情けない。

乳首がかゆくてたまらん。

0 件のコメント: