2008/03/28

お礼参りの記憶 vol.01 アホの貴船

とりあえず昨日の昼に西院の家から99%のものが無くなった。
3日間の長旅を経て白金台の家に到着するらしい。

東京に持っていかず、なおかつデカいものは家に置いといた。
わざわざいらんものを喜んで高い金出して発送するような趣味は俺には無いからだ。
ただ、処分するアテが全くなかったという、ところがいかにも俺らしい。
人生是アドリブである。

家にとり残されたものは、
・かっこよくてスタイリッシュな真っ黒のカラーボックス×数個
・結局ほぼ使わなった2口ガスコンロ
・京都に来て最初に買った楽器であるアコギ
・Legendというクソメーカーのエレベ(白プレベのシドビシャスモデル)
・2年間壁に立てかけていただけの縦2mくらいあるクソ重いただの木の板×2枚
・オーケストラとかで使う手持ちシンバル1セット
・ヤフオクで500円で落札し、900円の送料で手元に届いた紫のダウンジャケット


「どないしょ…」
と思っていると急に研究室の後輩の車を借りることができた。
人生とは何が起こるかわからない。

とりあえずジャズ系の人間から欲しいとの声が全く挙がらなかった真っ黒のカラーボックスと
2口のガスコンロを近くのリサイクルショップに売りに行く。
こういう時にアホ店員は女に口説かれたらイチコロだろうと思い、彼女を同伴させることにした。

昼飯代くらいにはなるだろうと思いきや、なんと0円だった。

腹いせにaudio-technicaのヘッドホンATH-AD500が
3000円で売っていたのでホクホク顔で購入してやった。





残るは
・京都に来て最初に買った楽器であるアコギ
・Legendというクソメーカーのエレベ(白プレベのシドビシャスモデル)
・縦2mくらいあるクソ重いただの木の板×2枚
・オーケストラとかで使う手持ちシンバル1セット
・ヤフオクで500円で落札し、900円の送料で手元に届いた紫のダウンジャケット
である。

「とりあえず西部講堂に持っていこう」
という無責任な話に華が咲き、それらを積んで車を東に向ける。
なんなら西部講堂の前に全部捨てりゃええやろと思っていたことは秘密である。

ハイセンスすぎて俺には到底着こなすことができなかったこのダウンジャケットが似合うのは
阿久津くらいなもんだろうと思っていたら彼女が後輩ベーシストのなにがしもいいんじゃないかと言う。
阿久津は昼電話した時に寝ていたのを起こしてしまったのでなんとなく連絡しにくいと
思っていたことからアホの貴船にメールすると
「欲しいです!!」
と全く期待通りの反応が返ってきたので宝が池のさらに北にある奴の実家に急遽向うことにした。

豪邸の前に車を止め、調子に乗って
「木の板いる?」
「アコギいる?」
「ベースいる?」
と聞いたら全部欲しいとか言いだす始末。さすがである。

おかげでシンバル以外全部一気に処分することができた。
貴船ハウス見学という特典付き。
しかもBill Evansともう一人なんとかってピアノの人のレコートを頂いた。

豪邸前で記念にパチリ。





シンバルは旧ボに置いて行った。
誰か拾ってあげてください。



アホの貴船は1回生の中で一番馴染みの深い奴だった。
20歳と25歳が同じレベルでアホ話している姿は少し異様かもしれないが、
もし俺がこいつと同学年だったら頻繁に遊んでいたに違いない。
最初山野ツアーで会った時は「なんなこいつ」程度に思っていたが、
こいつのおもろさにもう少し早く気付けばよかった。

宴会部長ぶりを見れないのが残念だが、森本以来の逸材だと思っている。

そのアホさを如何なく発揮し、
ベーシストとしても宴会部長としても大成してくれたらいいなあ。
だいぶ期待している。

2008/03/18

馬鹿親シリーズ1 傷を避けるガキ

知らぬ間にGoogleで「新日本人」で検索すると1ページ目に
某ジャズカルテットのHPが表示されるようになっていた。

Farewell Liveも近いということでトップページを変更した。
Farewellの綴りが間違っていた。慌ててなおした。
親父と先日飲んだとき「お前はツメが甘い」と言われたが、まあこういうことなんだろう。

・・・・・・・Live Information・・・・・・・
新日本人 Farewell Live!!!
3/20(木祝) @京都Blue Note
charge: ¥1000
open: 19:00/start: 20:00
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このライブをもって俺が京都で実行する「趣味の世界」は終了する。
残るは論文の手直しと、引っ越しだけだ。寂しい。





ところで、
昨日単車の教習を卒業したことは書いたが、あの記事を書いた後に
卒業式と名のついた事務手続きをしに教習所に再度足を運んだ。

その日の検定に合格した30人くらいが部屋に集まり、
名前が呼ばれた順に卒業証明書を受け取るという儀式の中、
いきなり部屋に入ってきたスタッフが3人の名前を呼んだ。

その3人の中に俺が入っていた。

30人くらいの視線を感じながら俺を含む3人はそのおっさんのもとに集まった。

なんてことはない、
検定終了時に書かされたアンケートに否定的な意見を書いた人間を集め、
「顧客満足度向上のため」具体的な意見と改善すべきと考えるポイントを
教えてくれ、ということだった。


1人目の男の主張はこうだった。
学科教習で先生に当てられて答えられなかった時
「ちゃんと勉強してんのか?お前」
と他の生徒の前で言われたのがショックだったのだと。
上から目線で接する教員がいるのはどうかと思う、という。


アホかこいつは。


見たところ俺よりは若いが二十歳は超えている立派な成人男性である。
そんなに恥をかかされるのが嫌だったら完璧に勉強しておくという発想ぐらい持っとけ。

それが無理だとしてもたしかに恥をかくということ自体、よほどのドMでない限り嫌なものである。
ただし、今までの人生で恥などそれこそ天文学的数字に及ぶほど経験してきたはずである。
恥との付き合い方などとっくに感覚的にわかっとけ。

それを今さら「ショックだった」とか「上から目線の教員だ」などと言って
言われる側は被害者だ的な発想なんぞで以て結局「傷つくからもっと優しくして」
とでも言いたいのだろうか。

かっこわるい。



と名も知らんこいつを責めてはいるが、これはどう考えても親という存在の問題であると感じる。

親というのはもちろん両親も含むし、特にこの場合はそれとは別に
親的な機能を果たす小中高の教師なども指して言っている。

同じことを言われて傷つくか傷つかないかなど人それぞれで程度の差がもちろんあるが、
じゃあ「傷つきやすい子にはソフトに言うように」と教える側が考慮する必要があるのだろうか。

幼いころになんらかのトラウマがあったとかで人には何かしらデリケートな部分があるとして
じゃあその部分は死ぬまでデリケートであればいいのか。
他人は一生それに気を遣わなくてはいけないのか。

そういう部分を逆に強くしていくのが親の役目ではないのか。

その過程で傷つくことは必然である。
しかしFF2では自分がダメージを受ければ受けるほど最大HPが上昇していくように、
傷つくことでタフガイとして成長していくのではないか。
同時に他人を傷つけることがどういうことかを感覚的に知っていくのではないか。

これは以前にも触れた「マナー」に関わることだと思う。
他人を傷つける(もちろん身体的な意味のみではない)ことに敏感になることで
マナーが守られるようになるからだ。


俺は今の日本の教育の現場など微塵も知らないが、どうも傷ついた経験が圧倒的に少ない奴、
あるいは傷ついた経験を野放しにしている奴が少ない気がしている。

その背景は恐らく、子供が傷つくことを「親が」避けているのである。
だからたまに教師が暴力をふるうとPTAが「マァとんでもない」とか言いだすのである。

アホか。

そうやって傷つくのをひたすら避けてきたガキがロクな大人になるなんぞ想像できない。
だからチャリンコでぶつかっただけでブチぎれるアホが大量発生するのである。



ともかく、こんな実にしょ~~もない話をうんうんなるほどと言いながらメモを取る某教習所のスタッフを見て、これは完璧にPTAの顔色にビビる小学校の教師という構図と同じだなと感じた。


以上は教習所で「そういう男がいた」という経験とか、たまに見る雑誌であるとか、バイト先おお客さんの話を聞いた経験とかを総合して「俺の推測できる範囲内での」論である。
この稿が今の日本の実際と当てはまるかどうかを判断する知識は現時点の俺にはない。


馬鹿親シリーズ2は「鬼が消えた」をテーマとしてお送りするつもりである。

2008/03/17

路上に立つ

昨日は朝まで(といっても3時くらい)飲んで
今日は昼から単車の検定というハイリスクなスケジューリングに翻弄される毎日である。
連日の睡眠不足のせいで今日は昼直前に起きてもあくびが鬼神のごとく出まくるこの眠気に打ち勝って見事合格を勝ち取ることができるだろうかという不安も、持ち前のポジティブさで
「こんなに眠かったらもう緊張もしないだろう」
という発想に転換することで気分を落ち着かせるものの、結局本番はスーパー緊張した。

でもとりあえず合格した。

女の子を後に乗せたいという夢を叶えるために取得に乗り出したこの免許だが(95%嘘)、
1週間でとれるはずのこの免許に4ヶ月という時間を費やした。
原因は憎き修論である。

金が無いのでバイクを買うアテは皆無だが、
いつか東京から京都にバイクで遊びに来たい。



ところで、
教習員という人間には独特の馴れ馴れしさがあってこれがかなり苦手という人もいるだろうが、
俺も正直言ってしまうと「こいつ知性足りてなさそうやな」と思う教習員はかなり多い。

その中にあって俺が通った某教習所には一人だけ心から尊敬してしまうおっさんがいた。

その人の何が俺にそう思わせたのか。
最初に印象は、落ち着いてるなあ、だった。
しかし落ち着いているだけだとただのくたびれたおっさんである。
そのおっさんの言葉は力強さも持っていた。
「落ち着いた思考」というベースの上に乗っかかかった「力強いアウトプット」というメリハリが、
そのおっさんの味だったのかもと思っている。
言葉の選び方、発声、身振り手振りの全てに知性が感じられるものだった。
他の教習員と比べると群を抜いた説得力で輝いていたそのおっさんなら
恐らくビジネスとかの世界に立ったとしてもかなりの地位にいけるのではないか。
とりあえず仕事できそうオーラがアホみたいに出ていた。


ガキっぽいおっさんになるのが俺の目標ではあったはずだが、
こういう落ち着いたおっさんが持つ説得力というのも捨てがたい。

うーん。

両立できないものだろうか。

2008/03/14

キングクリムゾン

両親とも働いていた時は小学校から帰ると誰もいないのでテレビをつけて母親の帰りを待っていると、
たいていドラゴンボールがやっているのだった。

紙ベースで読めば1話あたり5分程度で把握できる内容を
無理やり30分に引き伸ばしたアニメは幼心にそのテンポの悪さを強烈に印象付けた。
至極退屈この上なかった。

「アニメなんて見るもんじゃねえな」
と10歳になる前にいまさし少年は悟ったのである。
(※週一で放送される連載アニメに限る。)

というわけで俺は今日に至るまで連載アニメは全くと言っていいほど見てこなかった。
というかウルトラマンとか仮面ライダーとか、俺の世代の男なら誰もが通る道は全てすっぽかし、
いまさし少年はドラクエとFFに走ったのだった。


ところで、
さっき福井とのメッセンジャーのなかでカイジのアニメの話になったので
Youtubeでちらりと見てしまうとそれがもうあかんかった。

15年以上前に感じた間の悪さにイライラしながら結局2時間も見てしまう始末。

俺はこんな時間の遣い方が大嫌いだ。


その怒りはもちろん、
相変わらずだったアニメというものの間の悪さに対して、
加えて、自制心の無い自分に対してに感じるものだ。

ああイライラする。


しかしアニメ版カイジはそこらへんのしょぼアニメに比べるとかなりしっかり創りこんであり、
制作者のプロ意識の高さが伺えた。

2008/03/09

素直

プロ野球関係の著名人をほとんど知らない俺だが、
野村克也氏のことはわりと好きだ。

高知に帰っているので京都では全く見ないテレビという奴を見ている。
昨日はNHKで野村さんの番組がやっていた。
そのインタビューを見た。

正直な人だな、と思った。

自分の言いたいことを言いまくるという類ではなく、
自分の気持ちに正直なんだなという印象だった。

その晩、風呂に入りながらふと
「正直な人ほどおもしろいのではないか」
という考えがぽこっとうかんだ。



例えばオリンピック決勝を目前に控えたウルグアイ出身の個人メドレーのニシイ・Dr・イガッチョ選手に「意気込みをお聞かせ下さい」とインタビュアーが聞いたとする。

「自分の泳ぎをするだけっす」
大半の場合ただの建前に聞こえてしまうこんな言葉を聞いても
特に何も期待しない。

これよりは
「絶対金メダルとりたいっす!!」
と言った方が何倍かおもろい。
明らかに本音だからだ。

さらに言えば
「確かに理想は金メダルですがソープがいるから無理なんで。まぁよくて銀メダルってとっこっかっな~」
とまで言ってくれた方が俺としてはおもろい。
いやぁ正直すぎる。




恋愛話が毎回何故か盛り上がるのは
そいつの本音が直球で問われているからなのではないか。

同様に、
福井とのチャットが毎回やけに長引くのは
2人とも完全に本音で喋っているからではないか。

本音と言っても真面目に話すことを意味しない。
ボケる際にも建前のボケと本音のボケは違う。


誰かと「おもろい関係」を築くためには、
自分が本音で語り、
相手に本音で語らせる
こういう関係を目指すといいのかもしれない。



恐らく、キーワードは「素直」である。

俺がダークを2年間やって得た一番の収穫は「素直さ」だった。

4月から世話になる社長に最終面接で何故か
「これからの時代、一番必要なのは何か」
という質問した。

社長は
「素直になることだね」
と言った。

俺はこの言葉で入社を決めたようなもんだ。

2008/03/07

親愛なる母へ

親という存在は、少なくとも我々が社会に出るまでは子にとって無償の関係である。

その存在とどう付き合ってきたか。
これがそいつにとって人との付き合い方に如実に表れるのではないかと思う。

智子とか西畠とかを見てると、親といい関係だったことが容易に想像できるし、
事実両方とも親のことが好きだと言いまくっている。

ところで、うちの父親の教育方針は
「何でも自分で考える子」
というものであったらしいことはいつか述べた。

いまさし少年はその意向通りにすくすくと育ち、
たしかに自分で考える子にはなったものの、
どこか自分という存在を家族と切り離して捉えるようになった。

物心ついた頃から両親が喧嘩しまくっているという、
ともすれば子が非行少年に走ってしまう可能性を秘めに秘めまくっていた家庭環境にありながらも、
悪いことと言えば万引きくらいしかせず受験シーズンにはせっせと勉強して
1浪はしたものの京都大学という大学に入学したのは、
家族の状況にかなり無頓着だった性格が幸いしたのかもしれない。

他人事に非常に鈍感なのである。
最も身近である両親をして他人事と言いきっている時点で相当感覚がずれているのかもしれない。

まぁ、こういう性格なのである。
しょうがない。

ということで俺は他人に興味があんまり、というかほとんど無い。

それでも最近はけっこうマシになってきた。
きっかけはダークである。
俺はあの場で他人を信用するということを微かではあるが覚えた。

この感覚は今後しっかり育てていきたいものだ。


・・・・・・・・・・・・・以上前置き・・・・・・・・・・・・・・・・・


話は変わるが、
俺が反抗期を迎えたのは一般人と比べ随分遅く、大学1~2年くらいの頃である。
最近になってその理由がわかった。

俺が高校生の時に両親の前で反抗期などになっていたら、
楽勝で家庭が崩壊していたからだ。

高校生の俺は家族の中にあって今にも切れそうな家族同士の細い糸を
なんとかつなぎ合わせようとしている存在だった。
現在のボケ癖はそのころ身に付いたものかもしれない。



でも、俺とハマー(※天才の弟)が同時に大学に入学した日に、親父は家を出て行った。

おかんは急にひとりぼっちになった。


そこに反抗期となった俺が電話越しに喧嘩を売りまくるのである。

ただでさえ人一倍寂しがり屋のおかんである。
たまったもんじゃなかっただろう。

未だにあの頃を振り返ると胸が痛む。



おかんは一人でも食っていけるように、看護師の学校に行き始めた。
齢50にしてまさかの学生生活である。

おかんはもうちょっと信じられないくらいの若作りではあるとはいえ、(大学入学手続きのため京大に来ていたおかんはサークルの勧誘に会ったほど。ただし後ろ姿からである)あの歳での制服姿は少し犯罪である気もした。

いつのまにか反抗期を脱出した俺は仲良くおかんと接し始めた。

幸いなことにおかんは同僚に恵まれ、4人の仲良しおばさんグループでどこどこに遊びに行ったとかそういう話を帰省の度に聞かされ、随分楽しそうで安心した。
このおばさんグループは下は35から上はおかんの54の4人組なのだが、
全員死ぬほど若作りで、実際の歳より10歳以上は若く見える。いやまじで。

勉学に遊びに、おかんはずっとこのグループと行動を共にしたみたいだ。
50過ぎてるくせに、仲間にパソコンの使い方を教えていたらしい。


ある日おかんは「一生学校続けたいよぉ」と言った。

毎日家事に明け暮れ、 喋る相手といえば道で会う近所のおばさんか男だらけの家族だったおかんが新しい人付き合いを見つけたことが単純に嬉しかったし、 この歳になっても人生を楽しむ気質をおかんが持っていたことに感動した。





そんなおかんは4年間の学校生活を今日、卒業した。

親父からの援助もないため(この理由もようわからん)金を稼ぐために夜はバイト、
昼は学校という体に鞭を打ちまくる生活。
歳を重ねて言うことを聞かなくなる脳味噌と身体。

それらに耐えながら自分より20歳も下の先生のもと、
10代のピチピチのライバル達に打ち勝ち
学年(83人中)で4位という成績を残して卒業するおかんは、
どこの誰がどのように見ても立派すぎた。
ローマ法王だっておかんを尊敬すべきだ。




何か変な話だが、俺は父兄としておかんの卒業式に参加した。

おかんの名前が呼ばれ「はい」と言って起立した瞬間、涙が流れた。


おめでとう。


頼むから、長生きしてくれ。

2008/03/05

僕らが発展する手法として

「あいつは影響されやすいやつだ」
と俺らが誰かを指して言うとき、
そこには少し否定的な意味が含まれる。


その一方で、俺は
「影響されなければ何かに接触する意味がない」
と思っている。

セッションに行ってぼんやり演奏して、
はい4時間経ちました。
誠に時間の無駄である。

せっかく時間と金をかけるのならば、
何かを摂取して自分の糧にしなければ至極もったいない。

俺は結構好き嫌いが激しい方で、
もちろん身近な人間の中にも嫌いな人間はいるが、
絶対そいつの中に、一つは自分に無いプラスの側面を探す。
まぁといってもそれで嫌いが治るわけではないが、
少なくともそういう癖が一つ身につけただけで、
随分謙虚に人と接することができるようになった。
そして素直に接することができるようになった。

気がする。

よくよく思い直せば俺は結構影響されやすい人間で、
一時期イニシャルDにはまっていた時は桂坂を原チャでいかに高速で下りきるかに挑戦していたし、
ゴルゴ13にはまっていた時は「俺は人に背を見せない・・・」とかほざいて壁を背に人と話していた。
ジョジョにはまっていた時は無理矢理自分のベースをスタンドにしていた。

まぁこれらの例は単純に笑い話である。




高松伸という世界に名だたる建築家が京大建築学科で教鞭を振るっているが、その人が
「オリジナリティは模倣から生まれる」
と言っていた。

強く印象に残っている。

俺の場合はそれを聞いた2年後ぐらいに、音楽を通して実感した。


模倣と影響がイコールとは言わないが、
ある程度パラレルな関係である。

芸術というもの(俺は建築は芸術とは思わないが、便宜上ここで建築の芸術的側面を指してこう表記しておく)を実践する者にとってオリジナリティが武器になるという観点が、そのまま人生というものに適用できるとは思わないが、両者に共通する「発展」という要素に対する示唆として伸ちゃんの言葉をこの場での解釈に合わせることができる。


影響されることは良いことだと思う。

しかしその方法にひとつポイントがある。

ただ何もかにも影響されまくっているとそれはそれで
「あいつには自分がない」
という話になる。
恐らく冒頭の文が否定するのはそういう側面である。

じゃあどうすればいいか。
上記の状態を回避するために重要なのはバランスではなく、信念だと思う。

自分の哲学とか信念に乗っかかる形で、
それらを一歩先に発展させるような影響を与えてくれる要素を
積極的に発見し、自分の生き血としていくのが「影響」の正解なんではないだろか。

「影響されなければ何かに接触する意味がない」
と上で書いたが、正確には
「何かに接触するなら、影響される要素を探しださないと意味がない」
なのである。


自分を発展させるために、と言う意味でこの結論を考えたが、
そもそもそんな難しいことを考えなくても、こうした方が間違いなく人生楽しいのである。

2008/03/04

クソアホどもが 夢の跡

ジャズ系の免許ブームのさきがけとして実は昨年11月より単車の教習に通いはじめていたワタクシであるが、先日デルタのおっさんからこんな話を聞いた。

自転車が車道を通ることを義務づけるという議題が国会で挙がっているらしい。
現道路交通法では一応規則としてはそう決まっているのだが、
じゃあチャリが歩道を通っていることをわざわざつまみあげて何かしらの
罰則を加えるとういことは現在行われていない。

それを今度からしっかり罰金を課すようにしましょう、というお話。

何で連中が今更こんな議題をぶち上げているのかというと、
近年、歩行者-チャリ間の事故が多発しているからだと。


なんと情けない話であろうか。


普通にチャリ乗ってて、警察沙汰になるような事故がそんなにしょちゅう起こるもんだろうか。
俺は知人からそんな話を聞いたこともない。

自転車乗りとしてのマナーが最低限備わってさえいれば、
あんな単純な乗り物は人を殺す凶器にはなり得ないと思う。

「何か危険だッ」と感じればスピードを緩める、
あるいは一旦停止する くらいの注意力で事故なんてよっぽど運が悪くないと起こらないもんである。

そんなマナーの備わっていないクソアホどもが日本中を跋扈している事実。


ああ情けない。


なんでそういうクソアホのために非クソアホの行為が限定されなければならないのか。
情けなさすぎて乳首がうずく。

原チャライダーにはおわかりかと思うが、
車道を通っているチャリははっきり言ってクソ邪魔である。
メッセンジャーのようなスピードで運転する猛者であっても、はっきり言ってクソ邪魔である。

そんな法律がまかり通るとバイクとチャリの事故が極端に増加することかもしれない。

ああ恐ろしい。






同じ問題構造は京都の川床の話にも言える。

これは確か西畠から聞いた話だが、
京都鴨川名物の川床の高さ、色がすべての店で統一させられるという。

理由は、現行の規制を破る店が多発したからだと。

ここにも
クソアホのせいで、非クソアホまでもが規制を受ける
という構図が発生している。

しかしこの場合は、全ての川床の高さ、色がビターっと揃ったのも
それはそれで景観として綺麗かもしれないという予想もしている。

だから、結果としてはどう転ぶかわからないのだが、
とりあえずクソアホの存在に非当事者ではあるが憤りを覚える。





まだある。

先日、新居契約のために仙頭氏に40万という金を振り込む必要があった。

郵便局に行って話をすると、10万円ずつでしか振り込みができないという。
しかたなく4回に分け、手数料という何の実態もない対象に280円×4回の金をつぎ込み、
後ろで待っている人を過度にイライラさせながら(余談だが、俺は相当イライラ症患者であり、レジとかATMでとろくさい奴を見るとスパナで頭を割りたくなる衝動にかられる。なので、逆に俺がレジやATMに際したときは絶対に後ろの人をイライラさせないように、最大限迅速に用を済ませるようにしている。この4回連続振り込みはそういう意味で極めて屈辱的だった)、ようやく振り込みを終えた。

なにをどう考えてもオレオレ詐欺の影響であることは明確で、
これもつまりは
クソアホどものせいで非クソアホどもが(以下略)
という構造に問題の根底がある。

もちろんだが、ここでいうクソアホと言っているのは引っ掛かる方ではなく、
こんなしょうもなさすぎる手口で金儲けしようと企んだ引っ掛ける方のことである。

なんでこんなクソアホのせいで善良な市民である非クソアホにどちらかといえば属する
俺の行為が規制されなければならないのか。


悲しくなるほど情けない。





法や規律とは、人間のマナーを補完するものだと俺は思っている。

その法が細分化・肥大化していることは、建築基準法、道路交通法、ネット関係の規制、
どれを見ても近年の傾向として当てはまると考えてよいだろう。

ひょっとしたら有史以来、法はその傾向を常に保持してきたのかもしれない。
これに関してはよくわからん。


人間のマナーを現行の規律で補いきれなくなった場合に新たな規律を追加する、
というのがマナーと法の関係なら、最近の法の傾向は人間のマナーの陳腐化を示すものだ。

これすらも
その時代の価値観として片付けるというのか。




ああ情けない。

乳首がかゆくてたまらん。

2008/03/03

「相性」をあえて難しく説明しただけ

こんな俺にも人並みに知人はいる。

そいつに何を求めて付き合っているのかは人それぞれである。
例えば俺が山中に求めるものと倉都に求めるものは全く違う。

そのうちの判断基準で最たるものは
おもろい/おもろくない
である。

意識はせずとも、大体の人が当てはまるのではないか。
誰かと話していると勝手に話が
「あいつはおもろい」
「あいつはおもろない」
という方向に行くのはその現われであると思う。


一口におもろい-おもろくないと言っても、
完全に主観でしか語れない問題であるし、
さらにそれを発信者と受信者のダブルフィルターにかけるという
恐らく宇宙の構造よりも解明が困難な話である。

どうしても定義どおりに主観で話するしかない。


俺の知人の中ではもちろん
「こ、こいつはおもろい!!」
と思えない人間もいる。

俺のあかんところは、
俺の目に見えてない、そいつのおもろさの可能性を予想しなかったことだ。


恋人の前ではおもろくなれる奴。
同姓の友達の前ではおもろくなれる奴。
異性といる時はおもろくなれる奴。
先輩の前ではおもろくなれる奴。
後輩の前でおもろさを発揮する奴。


M2となった今、俺がジャズ系の連中とつるむと、
そいつらは俺とは「後輩」という立場でしか接することはできない。

もしそいつが「先輩の前では何かおもろくなれない奴」だったら?


・・・・・



こんな話をしようとしたのではなかった。





今日は新井さんの結婚式2次会に行った。

はっきり言って今まで行った結婚式の中で一番良かった。
140人という過去最高レベルの人間を集め、
そんな数の人の中にあって、新井さんは一言で言えば「人気者」だった。

月並みだが、
「皆が新井さん(新婦の友人ももちろんいるが)のために集まった」
それを最も感じた結婚式だった。



たまに、
「誰の前でもおもろくなれる」
人がいる。



新井さんはそんな人だ。

新井さんのために集まった皆が、やたらおもろかった。

俺にはそんな特技はない。
かなり限定的な付き合いをしている人間である。

ちょっと羨ましかった。





京都に帰って、白坂と武田と3人で飲んだ。

あの2人も、そんな人間だ。



武田は階段で吐いた。