2008/02/22

アウトプットとしての歌

これは何の理屈でもなく、「何かそう思う」くらいの話でしかないが、
絵を描く者として、デッサンは必ずできる必要があると思っている。
絵としての説得力みたいなもんを求めるなら、「ものを見たままに写実的に描ける」という能力が最低限必要なのではないだろうか。

それがCGのようにマウスを使った表現であっても
漫画のようにデフォルメされた表現であっても、そう思う。

たぶんあだち充はああ見えてたぶんデッサンが結構うまいんだろうと思う。
たぶん働きマンを描いている女は見た通りデッサンが下手糞なんだろうと思う。
完全に「気がする」レベルの話だが。
だからというわけではないが、働きマンは結構嫌いな部類に入る。


音楽の話に置き換えてみる。
ここでいうデッサン力は、歌うという行為に相当するだろうというのが俺の持論だ。

昔、山口さんが「聴けること以上のことは演奏できない」と言っていた。
プロの演奏を聴いてそこから微妙なノリとかニュアンスを感じられない人は、そのニュアンスを楽器で表現できないということだと理解している。
同感も同感。同感至極である。
これはインプットの話である。

ほんで、俺はそれを踏まえて次に「歌えること以上のことは演奏できない」と思う。
これはアウトプットの話である。
最も身近でお手軽な表現手段である「歌」は、その人がどれ程ニュアンスとノリを感受できているかという点で、完全にとは言わないがかなり近い形で表現していると思う。
昔ダーク2005でカラオケに行ったことがあるが、泰静の歌はやっぱり泰静のテナーだったし、ちゃっかの歌はやっぱりちゃっかのテナーだった。
上の2人がそうだという意味ではなく、演奏がグルーヴレス(この言葉使いたくないなあ)な奴は、そいつの歌練を聞いてもグルーヴレスなのである。
まあ歌練の場合は「照れ」という要素も関与しているだろうが。

もっと単純な話、曲に合わせて2-4で手を叩かせてもそいつがどんだけのことを感じているかが分かる。
やっぱり気の抜けた演奏をする奴は、気の抜けた手拍子をかましてくれる。

ちなみに、とりあえず自分のことは棚に上げている。


スイングのベースラインを歌う姿がよく気持ち悪いと言われる俺だが、
歌っているときは常に「いかに歌えばスイングっぽく歌えるか」ということを気にして歌っている。
ベースというアウトプット機器を使用した場合にそれが表現できるかどうかはまた別の練習が必要だが、アウトプットの第1段階として歌でそれを表現できるようになればこれは強いぞと思う。

これなら楽器もいらんし、イメージ力強化という点でもいいと思う。




しかし、となると、有名なジャズメンはみんな歌がうまいということになる。
なんかそれも違うような気がするから、ひょっとしたら俺だけに相当する話かもしれない。


ちなみに元ストレイキャッツのベーシストであるリー・ロッカーは
ブライアンセッツァーよりも歌がうまい。
ただしセッツァーにはあってロッカーには無いものがあった。
「華」だ。

悲しいのう。

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