来年度よりの新居を探す旅に来ている。場所はTOKYO。
せっかくなので新宿のとあるゲーム会社で並みのリーマンよりも働いている
弟と飯を食った。
そこで俺は
「外交というものの裏は政治家としての嫉妬心で説明できる」
という論を展開すると、ものの見事にボコボコにされてしまった。
嫉妬とはどういうものだろうか。
恐らく、誰かある人物が自分の望むような立場にいることに憧れを抱きつつも、
立場上や何らかの要因でそれを肯定的に受け止めることができない心情
とでも言えるだろう。
多分誰もが思いつく内容である。
嫉妬を覚えた経験のある方なら誰でもおわかりになろうが、
この気持ちはどんな気持ちにも代え難いしんどさがある。
正直俺は大嫌いだ。
これは俺が思うに嫉妬心という心情自体が矛盾の上に成り立つものだからだ。
以下、もともと俺は嫉妬心というものの全てをここで語ろうとしているのではない
ということを了解した上で読み進めて欲しい。
何からの要因で他人を肯定的に受け止めることができないのは、プライドのせいである。
そこには自尊心が発生する。
自尊心とは価値判断を自分に任せる行為のうちの一つである。
しかしある特定の人を見て「この人の立場になりたい」と思っている時点で、
そいつは価値判断を自分の外に追いやっていると言える。
つまり嫉妬心を抱くということは、
価値判断を外と内に任せるというダブルアクションを同時に行うという意味で
矛盾なのである。
その整合性の欠如が、あの嫉妬心特有のしんどさの基なのではないだろうか。
俺はこの場所でも度々書いてきたとおり元来重度の嫉妬屋さんであり、
22か23くらいまではそれで随分悶々とした日々を送ってきた。
嫉妬が大嫌いだった俺はそれを「価値判断の完全内在化」という形で解決してしまった。
もう誰を見ても「ああなりたい」と思わなくなったし、
今現在自分が自分であることに絶対的な誇りを持つようになった。
おかげで自信が身についたし、
後輩から「キャラ変わりましたね」と言われるくらい誰とも素直な感じで接することができるようになった。
ただしそれはある意味「変化への諦め」を伴っていることが危険だ。
思えばダークをやっていたあの頃は嫉妬心との抗争の経緯として、
今でもドラマチックな青春として俺の大事な記憶となっている。
そこに変化があったからだ。
嫉妬心を捨てた俺はこれから変わることができるだろうか。
それを試す場としてもはや社会人しか残されていないということに危険は感じるが、
実際まぁどうでもええわというのが本音である。
2008/02/11
シットマン・ブルース
時刻:
0:31
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