思うに、自分の立ち位置を決定するものは「意志」及び「意志表示」である。
それは明確であればあるほど強いものとして機能する。
そして「意志」を生むのは「決定の連続」に他ならない。
さらに言うと「決定の連続」には思考回転とそのスピードによって決まる時間を要する。
奴がどんだけ時間をかけて達した結論かは知らないが、
去年の木本がある意味「わかりやすい存在」となっているのは
奴自身がD軍及びブログという媒体を通じて行った意志表示の結果による。
ちなみにここでは断じてキャラの話をしているのではない。
ところで、
決定を躊躇する人間はすなわち意志表示する手段を持たない。
しかし特にそれで生活が困らないというシステムに日本はなっている。
幸か不幸かは知らない。
しかし、来年から始まる社会人生活において、
意志表示だけは絶対に怠らないつもりだ。
それが社会におけるマネーとはまた違った意味での武器になるうると信じるし、
第一それが俺には快感だからだ。
さて、社会的責任を比較的負わなくてもかまわない若造のうちは
誤った意志表示をすることが許される。
しかし同時に、ちょうど俺らの世代は「分からない」「どないしましょ」という「意志表示以前」では
押し通せない年齢に差し掛かっていることも実感した。
つまり「最も挑戦的になりえる立場」に今いると言える。
社会人1年目から、長く見積もって5年目はこの期間に相当すると予想する。
その挑戦的になってもいい時期を有効に活用するには、数多くの意志表示をすることだ。
特に広告界を牛耳るフィクサーとかそんなビッグな人間になるつもりはさらさらないとは伝えたが、
意志表示をしていくつもりはある。
そしてそれが社会の空気を読めているものなら結果は勝手にあとからついてくるはずである。
その空気の読み方は、5年間でどれだけ意志表示を行えたか、「数」次第だと考えている。
俺は修論でそれを実践しなかった。
最後まで内容に興味を持てなかったからだと言えば逃げだろうか。
加えて思考回転スピードが決定的に遅いという欠点を持っていることも自覚している。
しかしだからこそ最も興味を持てる分野に就職した。
ここで駄目なら俺は何をやっても駄目だろう。
俺が修論を通して(その出来の悪いさの原因を今の段階で探って)感じたことと、
その合間に読んでいた「沈黙の艦隊」で気づいたことは、
上記の点で、つまり「意志表示が持つ意味」に関して一致した。
とにかく今日、卒業が確定した。
なのに明日がゼミとは、どういうことだ。
2008/02/07
僕は行くよ
時刻:
5:38
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