わりと「理屈屋」と言われることが多い。
東京出てからはなんだかロジックという言葉が流行っているみたいで(ちなみにロジックという言葉は大嫌いである)、「あいつはロジック立てて話をする」みたいな言われ方をする。
甚だ心外である。
俺は自分の意見が正しいと思っている場合に、その理由を説明する。
もちろん、他の意見に自分の意見を聞いてもらいたいからだ。
そして、人の意見や行動の裏には、100%の確率で明文化できる「理由」が横たわっている、
とは「理由その1」で書いた。
意識しているかしていないかの差はあるにせよ、人は誰もが論拠を説明しながら会話をしているはずである。
「トモヨちゃんは花が好きだから、今度のデートでは百合をプレゼントしよう」
これは立派なロジックだが、世間ではロジックとは呼ばない(意識しない)だろう。
俺が言ってることは、要するに上記例文みたいなことを言っているだけ(のつもり)なのだが、
この場合は何故かロジックと呼ばれる。
甚だ心外であるとは冒頭で書いたが、
他人が俺のことを指してそう思っているのであれば、事実なのである。
これはもうどうあがいてもしょうがない。
要するに、どこかで「理由」と「理屈」の境があるわけで、
俺はその線を越えてしまってものを喋ってしまっている、ということになる。
ちょっと時間があれば、その境界線を見極めたいと思っている。
ひょっとしたら、その場その場でのものの言い方の差だけなのかもしれないけど。
2009/06/03
理由その3
時刻:
5:12
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