人の気持ちは移ろいやすく。
GT-R1が我が家に来てからというもの、音楽のこと、というかベースのことばかり考えている。
もう女がどうとかいうのはあっさりとどっか行ってしまった。
ベースの多重録音で世に出せる作品が生み出せないか、ということしかとにかく今は興味がない。
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俺には知識欲というものがあんまりない。
したがって知識というものもあんまりない。
エリントンを2年間やって、知ってる曲はだいたい自分がやった曲だけだ。
歴代のダーク経験者の中でも1位2位を争うほど曲を知らないかもしれない。
ベーシストもよく知らない。
山中の方が全然知っていると思う。
興味がないわけではない。
ただ俺の場合、興味が固有名詞じゃなくて、「いかに自分で消化するか」という方向に向かう。
これが他の人よりちょっと顕著なだけだ。たぶん。
今思えば、このブログも
自分の知識の無さを「頭の使いかた」でカバーするための練習場
としての意味合いが強かった。
で、そこから生まれた文章を後になって振り返るに、
なんてスマートさに欠ける文章かとあきれ果てる。
知識を得るとは、他人との共通言語を得るということでもある。
無理やり例を出すと、
「この場面は宇宙を背景にテロップが下から上にうんたらかんたら。壮大な感じであれやこれ」
↓
「この場面はスターウォースのエンディングみたいに行こう」
ということである。
いやあスマートである。
なーんてことを、超久しぶりに田原のブログを見て感じた。
こいつと木本の文章には勝てんわ。
本と映画を見よう。
2009/06/28
遠くの星を数えて
2009/06/22
アークは最後の夢を見た
なんだか最近、やたら女の事を考えている。
「女の子の事」というよりは「女とはどういうものか」ということを考えている、と言った方が近い。
もちろんそれは、映画や漫画のゲームの登場人物だったり、自分の周りにいる女の子のことを考えた延長線上に浮かび上がる像としてなのだが。
別にその問に対する明快な答えが欲しいから考えているわけではないし、
従ってこの場でそれを提供できるほど俺は何かを見つけ出したわけではもちろんない。
しかしどうしても抜け出せない感覚がある。
女のほうが男よりドラマチックな存在だということだ。
ちなみにドラマチックとはどういうことかと言うと、その対象が属している文脈に大きく影響力を持っている、という意味である。
自分はここ数年間、性としての男という意味では全く自分のことが信用ならんかったわけだが、上のように考えるとその気持ちの出所がわりとはっきり見えてくる。
世の大多数の男は女の事を(一緒にいて落ち着くとか、遊び相手として適任とか、セックスの相手としておーけーとかそういう話じゃなくて)自分の感情を揺さぶる対象として「愛している」と言う。
で、ライフイズビューティフルでロベルト・ベニーニが超絶かっこよかったのは、女にベタ惚れしながら、自身はドラマチックな存在を貫き通したからだ。と思う。
一番かっこいいのは、惚れた本人がドラマチックな存在になることである。
一番カッコ悪いのは、惚れた本人がドラマチックな存在にならないことである。
(蛇足だが、誰にも惚れてない奴がドラマチックな存在にならないことは当然で、
誰にも惚れていない奴がドラマチックな存在になるのはただずるいだけである。)
このエントリーを書いてて気づいたことは、自分は↑の2番目になろうとしているということだ。
うおお超かっこ悪い。
そういう文脈で見れば、さんざんデカい話に広がった末にそのエンディングにてボーイミーツガールという話に収束するという意味で一緒だと考えていた天地創造とクロノクロスは、惚れた本人がドラマチックな存在、つまり主役(キッドは設定上主役ではないが明らかにクロノクロスはキッドの物語である)であるという点でも一致をみる。
しかし両者で決定的に違う点がある。
前者が男が女に会いに行く話であるのに対し、後者は女が男に会いに行く話だったという点である。
この違いが大問題なのである。
両者から同じ感動(=こういう経験したいわぁ)を享受している時点で、俺はドラマ性というある意味責任と呼べるものを女に押し付けている「部分がある」ということになる。
男なら、この物語を全く逆の感動として捉えなければならない。
(男なら、と書いたがもし俺が女だったとしても一緒である。男と女をそのまま入れ替えればよい。)
要するに、これを解決しないといつまでも結婚できないヨという話である。
おしまい
2009/06/21
裸の腕を晒して
よくピアスが安全ピンだったことを突っ込まれた。
単純にかっこいいと思ったのと、あと安いってことで家に落ちていたやつを刺していただけでああった(消毒はもちろんした)。
で、それは俺にとっては全然突っ込み所ではなかった。
最近では、馬車の模様がループしているシャツを会社の各方面から突っ込まれた。
これも単純にかっこいいと思ったのと、あと安いということで(800円くらいだった)古着屋で買ったというだけのことであった。
で、それは俺にとっては全然突っ込み所ではなかった。
うーん。はっぱり社会との乖離を感じる。
服装のセンスが好きだと言ってくれる人が少数いるということは救いだ。
そういえば、浪人時代から大学2年くらいまではアクセサリを結構つけていた。
多分3回生くらいからだんだん減ってきて、ここ2~3年は多分アクセサリなんてひとつもつけていない。
唯一耳に刺さっていた安全ピンはあったが、これも社会人入ってやめた。
アクセサリはつけたほうがやっぱりかっこいいと思うし今でも好きだが、
自分としては「アクセサリをつけるよりも、ノーアクセのほうがかっこいい男」の方がかっこいいと思っているのは事実である。
もしかしたらめんどくさいから外しただけかもしれない。
思い出話。
4回生の時にホーチミンに行った際、クラブで地元のグループと仲良くなって夜まで遊んでいたら、その中で一番かわいい女の子が俺の白い腕輪を指して「くれ」と言う。
もちろんあげたけど「かわりにあんたの腕輪ちょうだいよ」と言ったほうが、なんか映画的なシチュエーションだったかもしれない。
きっとドラマチックな品が一つ増えていたはずだ。
まぁこんなことも、今となってはどうでもいい話である。
以上おしまい
なんだったんだこのエントリーは。
2009/06/19
知
会社に入ると思いのほか時間がなく、バンドも写真も絵も作曲もできないということで、自分が何か生み出すとすればそれは文章だなというのが手っ取り早い答えであった。
(仕事しながらでも目を盗んで書けるというメリットもある)
それでも時間がないので更新頻度は減少の一途をたどるが、何とか書き留めておきたいことが山ほどある。
ところで自分は今、3種類の場所で書きものをしている。
それぞれのテーマは簡単に言うと「人生」「遊び」「テーマ無し」である。
で、現在の生活のほとんどの時間を仕事に充てている今、当然のように言いたいことは仕事に集中する。
当ブログで書くのが果たして適当かみたいな葛藤があって、ずいぶんほったらかしにしていたが、そんな悩みはどうでもよくなったのでここで書いていくことにする。
なので、仕事に関するメモが増えていくはずである。
人前に出すに恥ずかしくないくらいの知見を得るまではここで実験的にメモしていく。
そうするには人生経験値が恐ろしく足りない。
社会人2年目が終わるころには、業界の著名人が書いているような内容を自分なりに発信していたい。
2009/06/06
人殺しの気持ち
一時期「有名な人が書いた本は読んでみよう」と思っていろいろ読んだ(といってもたかが知れてるが)時期があった。
で、一応ブクログもやってるので、評価を自分なりにしてみる。
で、たいてい他の人と逆をいってしまう。
まわりは★★★★とか★★★★★なのに、自分だけ★とか(逆もしかり)。
うーん。これは困ったものだ。
どうも批判的な内容の本は評価を低くつけられやすく、
礼賛的な本は評価を高くつけられやすいような、そんな傾向を感じる。
まったくもってナンセンスである。
特に世の中と自分の温度差を感じたという意味で印象深いのは、
梅津なんとかの「WEB進化論」と原研哉の「デザインのデザイン」だった。
原さんの本は結局自分の過去事例の紹介で実に世界が狭い本に留まっており、
(撮影のためにどこどこに行って晴天の夜明けを待った、とかほんまどうでもええねん)
WEB進化論に至ってはどこがどうすごい本なのか全くわからなかった。
俺がただ単に鈍感なだけなのか?と思うこともあるが、
ただ、この2人と自分が決定的に違うところがある。
原さんはデザインというもの(それは「自分の」という意味が強いが)を信じ切っているし、
梅津なんとかはWEBの未来というものを信じ切っている。
という風に見える。
自分には、それが視野の狭さとして感じてしまう。
俺は信じ切るということができない人間なので、というか信じ切ることは危険だと思っているので、
(信じ切ることが危険ということは信じ切っているが)
そもそものスタンスとしてこの2人とは同じ視点ではものを見れない。
そういう意味で、2ちゃんの管理人が書いた本(「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか」)は、久々のヒットだった。
WEBであんだけ儲けてる人間がWEBの未来を信じていないところが、うーんイカス。
最近、マクロな自分の価値観と、ミクロな自分の好みが一致していることに気づくことが多く、
(なんでこれが好き / 嫌いなのか、を考えると、それはメタレベルの価値観に行きつく)
それに気づいた瞬間は非常に気持ちがいい。
こんなことをメモしていくだけで、自分がどういう価値観を大切にしているかが、
随分はっきりしていくはずである。
最近、「Blankey Jet City」「天地創造」「クロノクロス」「初恋」になぜ自分が共感するか、という答えが見つかったが、またいつかメモするかも。
2009/06/03
理由その3
わりと「理屈屋」と言われることが多い。
東京出てからはなんだかロジックという言葉が流行っているみたいで(ちなみにロジックという言葉は大嫌いである)、「あいつはロジック立てて話をする」みたいな言われ方をする。
甚だ心外である。
俺は自分の意見が正しいと思っている場合に、その理由を説明する。
もちろん、他の意見に自分の意見を聞いてもらいたいからだ。
そして、人の意見や行動の裏には、100%の確率で明文化できる「理由」が横たわっている、
とは「理由その1」で書いた。
意識しているかしていないかの差はあるにせよ、人は誰もが論拠を説明しながら会話をしているはずである。
「トモヨちゃんは花が好きだから、今度のデートでは百合をプレゼントしよう」
これは立派なロジックだが、世間ではロジックとは呼ばない(意識しない)だろう。
俺が言ってることは、要するに上記例文みたいなことを言っているだけ(のつもり)なのだが、
この場合は何故かロジックと呼ばれる。
甚だ心外であるとは冒頭で書いたが、
他人が俺のことを指してそう思っているのであれば、事実なのである。
これはもうどうあがいてもしょうがない。
要するに、どこかで「理由」と「理屈」の境があるわけで、
俺はその線を越えてしまってものを喋ってしまっている、ということになる。
ちょっと時間があれば、その境界線を見極めたいと思っている。
ひょっとしたら、その場その場でのものの言い方の差だけなのかもしれないけど。
2009/06/02
沖縄の女 その3
本当にどうでもいい話だが。
自分が25歳になる誕生日の前後5日間、研究室の連中には黙って沖縄にふらっと一人で行ってきた。
沖縄というか石垣島に行ってきた。
今思えばあんだけ修論やばいとか言っといて、なかなかリスキーなことをしたものである。
季節としては珍しい曇天続きの空のせいかもしれないし、
5日間ほとんど一人で過ごしたからかもしれないし、
24歳最後の日に見た夕焼けが泣けるほど奇麗だったからかもしれないし、
人が住む島としては日本最南端にあたる波照間島の薄暗い民宿で25歳の瞬間を迎えたからか、
その夜にジャズバーに行ってみたりしたからか、
そのマスターが奥のスタジオにあるウッドベースを弾かせてくれたからか、
撮りまくった写真がカメラの故障でほとんど使い物にならなかったからか、
数キロあるビーチを延々と歩いたからか、
死ぬほど楽しみにしていたモーターパラグライダーが強風のためキャンセルになったからか、
初めてのスキューバダイビングでアホみたいに船酔いして吐きまくったからか、
まぁよく分からないが、
俺は沖縄と聞くとヒジョ~にセンチメンタルな気分になる。
30歳前後で、もう一回石垣島に行こうかと思っている。ひとりで。
その時、空は前みたいにまた曇っていてほしい。
そして、沖縄と聞くとキョ~レツに思い出す女の子がいる。
以上おしまい。
2009/06/01
沖縄の女 その2
ちょうど24時間前に書いた先ほどの文章も、当初は3エントリくらいの連載になる超大論文になるはずだったのだが、如何せん書き始めに酒が入っていたからかどうしても話の着地点を思い出せない。
要するに、「今のことしか分からないが、まぁそれでええんちゃうか」ということである。
冒頭の過去-現在-未来がうんちゃらという話に被せるなら、
過去は、現在を確認するための材料として手にいれるもので、
現在は、瞬間的に消費してだけど全力で消費するもので、
未来は、可能性として手の内にあるはずがあんまりそれを意識しないもので、
まぁ自分としてはこんな感じに捉えている、ということだ。
「あなたの夢は」と聞かれてハタと答えに詰まってしまう自分にちょっと危機感を感じてはいたが、
(それは例えば面接の場などで、という意味でだが)
それはこの場所でくどくど書いたように、未来に対してかなりのノープランな人間だからある程度しょうがない。
しかし人生哲学と銘打ったように、今を全力で消費するのが大事と言ったのは、もちろん「将来にわたってもそうありたい」という未来的な話題も含んでいる。
だから、それが自動的に自分の夢に当たることになる。
ただし、自分の人生の責任が今のところ自分にしかないからこんなことが言えてるわけで、
自分にも家庭ができたらもっとスマートな生き方が求められるだろう。
30歳とか40歳になっても俺がこんなこと言い続けてたら、多分俺はそのころまだ独身だと思う。
それはやっぱりその時考えればいいことなのだろうか。
よくわからん。
とりあえず、ちょうど自分の名前に今という漢字も入っていることだし、当分はこんな感じで生きていこうと思っている。
ちゃんちゃん