日課である「Youtubeブランキー動画巡り」にセイを出していると、
ひょんなことからthee Michelle Gun Elephantが最後のツアーで
磔磔に来たライブ動画に行き当たった。
「俺ここでライブしたことあるぞ」
と平川に自慢したい気分になった。
このライブの2週間後、2003年の10月11日にミッシェルは解散した。
場所は幕張メッセ。
土曜日だった。
2回生だった俺はD軍を休んでこのライブに行った。
正直俺は熱心なリスナーと呼べる者ではなかったわけで、
磔磔のライブも行かなかったし、このラストライブを前にしても
「あー解散するな」
くらいにしか思ってなかった。
解散ライブの当日になって、たしか夜中の12時半くらいだったと思うけど。
ブランキーのライブを生涯見ることができなかった。
という思い出すだけで血の涙を流す無念を、急に思い出して。
それから何をしたかと言えば、パソコンを開いてヤフオクに行ったのだな。
結局定価より500円高いだけでチケットが手に入って。
しかも複数枚買えるっぽかったんで、
ぱもじゃにミッシェル好きでしかもその日が誕生日だっていう
ミッシェル星雲から生まれてきたような橋本という女の子がいて、
「ミッシェルの今日のチケット、いる?」
ってメールした俺は人生で5番目くらいにかっこよかったと思う。
チケットだけではライブは見れぬ。
この体が幕張まで移動せねばならぬ。
ヨガテレポートという必殺技を持つわけでもない凡人の私は
どうしたら金を節約して行けるか、悩みに悩んだ。
そこで浪人中の知り合ったミッシェルおたくの満晃(@神戸)に1年ぶりに電話してみたら、
「今から車で東京行くとこや!!荷台やったら乗れんで!!」
という映画並みの展開。
水谷に「明日の合奏は怪我のため欠席します(注)」とメールを打って、
俺は京都を後にした。
それが夜中の3時くらいだったような。
注:
怪我してたというのは本当で、
その3日前くらいだったか、カッターで左手ひとさし指の肉をえぐってしまったもんで、
ウッベを弾けない状態ではあった。
ので、読者諸君、見損なわないで頂きたい。
車内には満晃とその友達が4人くらいいて、
連中のミッシェル談議にもついていけず、
ひとりずっと荷台で車酔いに耐えながら、結局新宿でおろしてもらうまで一睡もできなかった。
まあ連れてってもらうのだから寝る方が失礼と言えば失礼だ。
ヤフオクの取引相手とは渋谷で直接会い、現金でチケットを買うという手筈になっていた。
そいつがそこに来ないとか、
いきなり法外な値段をふかっけられるんじゃないかとか、
ナイフが出てくるんじゃないかとか、
拉致されるかもしれないとか、
ヨガテレポートを秘技伝授してくれるかもしれないとか、
いろいろ不安要素はあったが、なんか万事無事にチケットを貰ってしまった。
受付ではチケットと引き換えに、簡単なリストバンドを貰って、それを装備する。
ライブ会場に入場する際に、スタッフにそれを見せる。
見せる際、目立つように腕を上げるわけだ。
いまから会場に入ろうとする人間100人くらいの全員が腕を天に突き上げている様を
後ろから見た時は、体が震えた。
(中略)
ライブ終了後、偶然にも会場で水泳部の後輩であるチョンに会った。
俺の右手は血まみれになっていた。
怪我してたとは言えD軍の合奏休んで自分はライブ行ったという
後ろめたさも含めて、何と言うか、青春だったなあれは完全に。
(帰ってからしばらくはライブに行ったことは秘密にしていた)
あれから4年経ち、そろそろ時効なのではないだろうか。恐る恐る。
青春は、行動が生むものだと思う。
俺は「人生は青春してナンボだ!」などとは微塵も思っていないし、
そもそも「青春」という言葉が「少年の心」という言葉と同じくらい嫌いだ。
それは意識してしまった時点で自分から逃げていくものだからだ。
だから言葉として概念化してしまってるそれが嫌いだ。
そのかわり、行動することは大事だと思ってる。
行動した過去は、後々振り返ると「青春だっだなアリャ!」と思う。
それらの過去が俺の中ですごく大切なんだから、
これからも行動していたいのだ。
2008/01/20
軋んだ車を派手に花で飾るのはどうだ
時刻:
11:09
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