2008/01/31

せいか痛



ワタクシが2008年1月の95%を費やしたであろうスペース。
右手に見える青い椅子は桂の七不思議のうちのひとつ、
「座ったら修論書く気がおきなくなる椅子」だとかなんとか。


さすがに1週間以上研究室で寝泊まりしていると暇で暇でしょうがないので(←虚言癖)
一日を0時から24時までぴーっと紙切れに線を引いて
「何時から何時まで風呂行ってた」とか「飯食ってた」「zzz」ていうふうに
自分の行動を大雑把にメモるというささやかな習慣くらいしか楽しみがないのである 。

寝たくなったらすぐそこにあるソファで寝る。
ゼミ前日とかでやばいときは仮眠程度にする、
というほとんど指針に頼らない自由気ままな生活をしていた。

つもりだったが、その「いまちゃんメモ」を今振り返ると
24日の昼から、
 昼から4時間くらい寝る→24時間くらい起きる→16時間寝る→28時間くらい起きる
→昼から4時間くらい寝る→24時間くらい起きる→16時間寝る→28時間くらい起きる
→昼から4時間くらい寝る→20時間くらい起きてる→現在
というサイクルにきれ~になっていた。

となると、俺はあと4時間後くらいに16時間の睡眠に入ることになる。

起きたら修論提出〆切3時間くらい前ですな。


ぎゃぎゃー

2008/01/28

3流スイマー

誰の陰謀か知らんが我々人類が持つ性欲・食欲・睡眠欲を
総称して3大欲と呼ぶということが知らん間に勝手に決まっている。

このうち、時間という観点から考えるなら
睡眠欲だけは他の2欲とは比較にならないほど代償が大きい。

ちなみにここでは「前戯に8時間かけない男は男じゃない」とか言い出すフリーダムな女とか、「一度食べ始めると8時間止まらないですぅ~」とかおっしゃるソウルフルなお姉ちゃんとか「米はよく噛んで食べろ。最低8時間じゃ」とかのたまうハルマゲドンなおじいさんのことは考えないことにする。


そして、「何かを成し遂げるには、人生は短い」と気づいてしまった人たちは、
真っ先に睡眠欲を断つのだろう。


就活やってた時に足を運んだ広告セミナーで、箭内さんが「平均1時間しか寝てない」
と言っているのを聞いて、その時ふと
「ああ、何かしらビッグになる人は睡眠を削ってるんだなあ」
と思った。

その発言のうちの何割が誇張かということ話はとりあえずしないとして、
頭の奥底でうすうす思っていたことが、わりと形を持って
「あぁやっぱそうかあ」
と思ったのがこの時だった。

最近ほぼ毎日顔を合わせておるウチのセンセは
学部生の頃は一週間で計8時間の睡眠以外はひたすら論文を書きまくり、
現在も齢55くらいにして3時に寝て6時におきるという日本国首相並の生活を続けているらしい。

そら自分で「このテの研究に関したら日本、韓国、中国では俺が一番知ってる」とか言うわ。

バイト先でも研究室でも仕事が超できて上司から絶大の信頼を一手に引き受けつつ
おまけにイケメンという文句のつけようがない最強の先輩(バイト先の)も
2年まえの追いコンでは
「寝る間を惜しんで、勉強して、遊べ」
と言っていた。

これらの人たちはそれぞれの分野を成すために、
睡眠という犠牲をどりゃーと捨てたひとたちだ(性欲と食欲は知らんぜ俺は)。

さて、
ここで言わしてもらうが、
センセが研究に、箭内さんが広告に抱いているのと同じだけの
情熱でもって全力で俺は毎日睡眠というものと向き合っている。
俺が布団の中に忍び込むスピードは松坂のストレートを軽く凌ぐともっぱらの評判だ。

楽したいとかそういうんじゃなくて、
なんかもう哲学レベルでなにがなんでも1日8時間寝ないと気がすまない。

というのも眠気半分で日中の集中力が散漫になるあれ、
起きてるという気が全くしない。

起きてる時は全力で起きていたい。
バンド練習だって集中してやりたい。
だから十分寝らしてくれ。頼む!!この通りだ!!!!

子供のころに「俺、巨人の星になるよ!!」と宣言したとかそんな伝説も全く聞かないし、
もともとビッグになりたいとか何かを極めたいとか
そんなこと思ってない人間だから、よいではないか~

んー。
これから社会人(卒業できれば)。
大丈夫か。

や、もちろん将来誰に決まるかもわからんお嫁さんと
ドラムと空手をやらせる予定の子供(長女、二男の2人兄弟キボンヌ)を
食わせられるくらいは稼ぐつもりはまんまんである。

俺は生き急いでる人ってのがどうも価値観として苦手で、
(幸か不幸か俺の周りにはそんな奴一人もいない)
「もうちょいゆっくり生きてもいいことあるて。兄ちゃん。」
って言いたくなる。

苦手なんだけど、そういう人たちのことを尊敬してる面もあるから、
同じように俺のことも惰性とか言わずにひとつの生き方やと思ってみてくださらんかのう。


とか言って人間いつか変わるかもしれないのが人生の醍醐味であるとかないとか。

2008/01/27

抜歯

今日はおかんから電話があって

まさし「どうしたが?」

ひろこ「いや、用はなんちゃあないがやけど」

まさし「あそう…」

という出だしから始まって、
何故か5分後には「歯磨きは大事だ」ということについて激論を交わし、
結局二人の結論として

「ハマー(※天才の弟)にも歯を磨くようにしっかり言わなあかん」

ということなった。



ハマー(※天才の弟)は全くと言っていいほど歯を磨かない。

実家にいた頃からそうだったのだから、
俺を止める者は誰もいないぜ!!状態の一人暮らしとなった現在では、
ひょっとしたら敢えて歯に泥を塗るくらいの偉業はしているかもしれない。

おかんが「この子は将来ノーベル賞を受賞するに違いない」と信じきった弟だから
本当にやりかねん。

(ちなみに風呂にもほとんど入らない。)

本人談によると、遺伝かなんかしらんが虫歯に全くならんのだと。

羨ましい限りである。


しかし、
歯磨きの目的は虫歯予防もさることながら、
歯茎を鍛えることであり、健康な歯をできるだけ長い間保ちましょうNE☆
でないと年取ってからいらん金と時間を歯医者に投じることになるでござ~い

というのがおかんとの議論の結論だったわけで、

それをハマー(※天才の弟)に伝えるという有難い使命を頂き電話は終了した。


弟の下宿の汚さは何を隠そう日本ランキング3位タイなのである。

俺が土下座しようが靴を舐めようが
「絶対に掃除はせん」
と言い放った弟だが、

「汚い部屋におると肺ガンになる確率が高くなるらしいぞ」
と言ってやると
「ふむ…」
とか言って考えなおすもんだから、その経験を活かして
リスクを指摘するとあいつも話をすんなり聞くのではないだろうか。

ようちえんじの頃のハマー(※天才の弟)が家の階段で
しゃぼん玉容器を片手に鼻をほじっている写真が悶絶するくらいかわいいのに、
いつから雪の日でもサンダル一丁で外を歩く仙人みたいな奴になったのか皆目見当もつかない。

と涙をこらえながら、
メッセンジャーにピコーンとログインヌしたハマー(※天才の弟)に


まさし「おかんから電話があって、歯磨きがうんぬんかんぬん、というのもうんたらかんたら」


ハマー(※天才の弟)「要件はそれだけか」


まさし「はい…」



次回は色仕掛けで攻めてみることにする。

2008/01/23

得意不得意を超えた僕の答え

あと60日くらいで大学院という卒業する身分になって思うのは、
ここは会社と学生の中間とも言える場所だったなあということだ。


その研究室に所属する限り絶対的な上司とも言える教授との
メールのやりとりや言葉遣いなどの人としての付き合い方や、
修論という形で与えられる「仕事」をこなす上での自分の身の置き方。

これらは多分会社入ったら俺らが味わう環境そのものなんだろうと思う。

ところがそんな場所に俺らはわざわざ金を払って(実際に払うのは親だが)
居させてもらうわけで、その代り特に時間において会社的な拘束、というか義務がほとんどない。

これは学生の特権であると言える。


ということで、
この2年間は学生という形でバンドなんて道楽に身体の65%をどっぷり漬けつつ、
残りの35%で社会人としての立ち振る舞いを体験させてもらった。


学部生の頃にくらべると、
随分と明確な形で社会人というものが想像できるようになり、
もうすぐに迫ってきた社会人生活というものに対して不安なくスタートが切れる。
気がする。

これは就活を経験したことも結構でかいとは思うけど。




そしてこの2年間で、俺は自分が
「好きでないことは絶対できない」
類の人間であることを自覚した。

「できない」というのは、能力的に不可能という意味ではなくて(修論なんて誰でも書ける)、
自分がそれに向かっていこうという気になれないということである。

敢えて難しく言っているが、要するに全く「やる気」になれないというだけだ。


教授という素晴らしい上司に頂いた
「いついつまでにこれこれをやってこい」
という素敵なお仕事を、ある程度常識的な人なら全く興味の湧かないものであっても
それが教授に対する恐怖という形であれ何かの衝動(恐らくほとんどの場合が「責任感」だろう)に任せてそれなりにこなすもんだろうけど、
俺はほとんでできなかった。


要するに「俺は自分勝手な人間です」と高らかに宣言しているだけなんだが。


この責任感のなさというのは俺の悪癖のうちの一つだとは分かってるんだが、
これ、何歳まで続くのかしら。


まぁそういう意味で、
自分が好きだと思える職種に就いてよかったなあと本当に思った。
もちろんこれから俺が体験する仕事すべてが自分から進んでやりたいと思う仕事じゃないだろうけど、
修論よりはましなんじゃないか。まだわからんけど。
期待された仕事に自分から取り組むという姿勢で触れ合っていけたら、
そのうち責任感もついてくるかもしれない。

広告代理店とか建築関係にいっとったらと思うと冷や汗がでるぜまったくモウ。

まぁまだ就いてないんだが。
というか就けるかどうかわからんのだが。
そもそも卒業できるかわからんのだ。


大嫌いな修論をあと1週間でなんとか書き上げ、男を上げるとしよう。

2008/01/21

口は口ほどに物を言い

以前測ったところ普段の俺の地声の最低音はEだということが分かり、
これがベースの最低音と同じことは何をどうがんばっても運命的以外の何物でもない。


何を思ったか昔ラルクのHydeをwikiで調べていた時に、
同ページに成人男性一般の声域について触れられており、
その基準から言うと俺の声は何をどうがんばってもかなり低い部類だったはずだ。

その恩恵を全身で享受したおかげで、カラオケでは男の曲でも
キーを最低でも1音以上下げないと何をどうがんばっても全く唄えない。

それを山中は何をどうがんばっても邪道だと言っていた。
悪かったな。

これはてっきり「何をどうがんばっても俺は下げないでも唄えるんだ」
という自信の現れかと思っていたが、
奴のミスチルを聴く限り何をどうばんがってもそうでもなかった。


話は変わるが
Hydeみたいな顔に生まれてたかった
と言えば、完全な嘘になる。


話は変わるが、
我々が人間をやっている以上何をどうがんばっても寝起きは声が低くなることは避けられぬ。

この現象は一体何なんだと思い、
寝起き直後にベースをむんずと手に取り、ナニをどうがんばりながら
発声可能な最低音を調べたことがある。


結果はE♭だった。


俺、ベースを超えたよ。

しかし起床後30分経つとまたEまでしかでなくなるのだった。





ということを思い出して今調べ直したら、
何を勘違いしてたのか俺の最低音はCだった。


何の運命だったのだ。


というかこれより下のEなんぞが出る奴がいたら、
それこそ今大流行の超低音波とやらでマインドコントロールでもできるようになるかもしれん。
俺はヨガテレポートの方がいいけど。






ここで、話を変えてもいいと仮定しよう。


皆さんは夜布団に入って誰かのことを想像するときに、その人の何を思い浮かべますか?

顔とか服とかスタイルとか二の腕とか脚とか裸とかいろいろあると思いますが、


俺はその人の声です。


我々が他人に抱くキャライメージの大部分は声が担っているのではなかろうか。

逆に声を知らない人って、キャラのイメージが付きにくい。
雑誌インタビューを読んだことはあったけど、
テレビで喋ってるの見たら随分印象変わったという有名人はいままで沢山おるはずだ。

おらんなら人間やめてください。

ボーカルがロックバンドの顔と見られがちなのも、
絶対的フロントというポジションもさることながら、
歌声からその人の人間像みたいなものがなんとなく想像できるからかもしれぬ。


要するに、
自分が他人に与える印象は声質でコントロールできるのではないか
という事が言いたかったわけだが、
声なんて変えようがないので大人しく別の方法でも探しとけ。

30分勝負の面接とかなら効果あるかも。

2008/01/20

軋んだ車を派手に花で飾るのはどうだ

日課である「Youtubeブランキー動画巡り」にセイを出していると、
ひょんなことからthee Michelle Gun Elephantが最後のツアーで
磔磔に来たライブ動画に行き当たった。

「俺ここでライブしたことあるぞ」
と平川に自慢したい気分になった。

このライブの2週間後、2003年の10月11日にミッシェルは解散した。
場所は幕張メッセ。
土曜日だった。


2回生だった俺はD軍を休んでこのライブに行った。


正直俺は熱心なリスナーと呼べる者ではなかったわけで、
磔磔のライブも行かなかったし、このラストライブを前にしても
「あー解散するな」
くらいにしか思ってなかった。

解散ライブの当日になって、たしか夜中の12時半くらいだったと思うけど。

ブランキーのライブを生涯見ることができなかった。
という思い出すだけで血の涙を流す無念を、急に思い出して。

それから何をしたかと言えば、パソコンを開いてヤフオクに行ったのだな。

結局定価より500円高いだけでチケットが手に入って。
しかも複数枚買えるっぽかったんで、
ぱもじゃにミッシェル好きでしかもその日が誕生日だっていう
ミッシェル星雲から生まれてきたような橋本という女の子がいて、

「ミッシェルの今日のチケット、いる?」

ってメールした俺は人生で5番目くらいにかっこよかったと思う。


チケットだけではライブは見れぬ。
この体が幕張まで移動せねばならぬ。


ヨガテレポートという必殺技を持つわけでもない凡人の私は
どうしたら金を節約して行けるか、悩みに悩んだ。

そこで浪人中の知り合ったミッシェルおたくの満晃(@神戸)に1年ぶりに電話してみたら、
「今から車で東京行くとこや!!荷台やったら乗れんで!!」
という映画並みの展開。

水谷に「明日の合奏は怪我のため欠席します(注)」とメールを打って、
俺は京都を後にした。
それが夜中の3時くらいだったような。

注:
怪我してたというのは本当で、
その3日前くらいだったか、カッターで左手ひとさし指の肉をえぐってしまったもんで、
ウッベを弾けない状態ではあった。
ので、読者諸君、見損なわないで頂きたい。

車内には満晃とその友達が4人くらいいて、
連中のミッシェル談議にもついていけず、
ひとりずっと荷台で車酔いに耐えながら、結局新宿でおろしてもらうまで一睡もできなかった。

まあ連れてってもらうのだから寝る方が失礼と言えば失礼だ。



ヤフオクの取引相手とは渋谷で直接会い、現金でチケットを買うという手筈になっていた。

そいつがそこに来ないとか、
いきなり法外な値段をふかっけられるんじゃないかとか、
ナイフが出てくるんじゃないかとか、
拉致されるかもしれないとか、
ヨガテレポートを秘技伝授してくれるかもしれないとか、
いろいろ不安要素はあったが、なんか万事無事にチケットを貰ってしまった。




受付ではチケットと引き換えに、簡単なリストバンドを貰って、それを装備する。
ライブ会場に入場する際に、スタッフにそれを見せる。

見せる際、目立つように腕を上げるわけだ。

いまから会場に入ろうとする人間100人くらいの全員が腕を天に突き上げている様を
後ろから見た時は、体が震えた。




(中略)



















ライブ終了後、偶然にも会場で水泳部の後輩であるチョンに会った。

俺の右手は血まみれになっていた。











怪我してたとは言えD軍の合奏休んで自分はライブ行ったという
後ろめたさも含めて、何と言うか、青春だったなあれは完全に。
(帰ってからしばらくはライブに行ったことは秘密にしていた)

あれから4年経ち、そろそろ時効なのではないだろうか。恐る恐る。




青春は、行動が生むものだと思う。

俺は「人生は青春してナンボだ!」などとは微塵も思っていないし、
そもそも「青春」という言葉が「少年の心」という言葉と同じくらい嫌いだ。

それは意識してしまった時点で自分から逃げていくものだからだ。
だから言葉として概念化してしまってるそれが嫌いだ。

そのかわり、行動することは大事だと思ってる。

行動した過去は、後々振り返ると「青春だっだなアリャ!」と思う。

それらの過去が俺の中ですごく大切なんだから、
これからも行動していたいのだ。

2008/01/18

ソウルハッカーズ

mixiログイン数が頭打ちになってきた打開策のつもりかしらんが、
いろいろな機能が追加されてきておる昨今です。

その中のうちの一つ「mixiレビュー」だけは、どう考えても異質「なはず」である。

プロフィール、日記、写真、動画(ここで版権物をアップする連中は考慮に入れない)、ミュージック、コミュニティ、これらは言わば「自己紹介」のための機能であると考えられる。

対してレビューとは対象物を紹介するものである。
もうちょい正確に言うと、対象物の仕様はもちろんのこと、
(それが芸術的作品なら)作品が展開する「世界」を主観客観問わず記述するものである。

たぶん。

ところがそういった意味でレビューしてると思うのは俺の知人の中では
瓜倉、西畠、村下くらいだ。
まぁそもそもこの機能を利用してる人間自体が少ないんだが。

特に瓜倉のレビューはびっくりするくらい簡潔で、
それでいて作品世界をちゃんと垣間見せてくれるので、たまに感動する。
本能的に頭いいんだろうなと思う。
さすがバンさんの弟子である。


そういった例外を除けば、たいていのレビューが
「あぁ君はこの作品が好きなんだね」
ということが分かる程度のものだ。言っちゃ悪いが。

つまり、レビューが結局は自己紹介になっている。
会社側の意図に反してかどうかは知らんが、
他の自己紹介用機能と親和する形になってしまったわけだ。

別にそういうのを見て気分が悪くなるわけではござらん。

mixiは結局「日本全国を股にかける自己紹介の巨大集合体」と思ってるからだ。
そう捉えればレビューが自己紹介化しようとバッチリ無問題ノープロブレムいかすぜOKである。

mixiの由来が人(i)がmixするという話は有名だが、
そんな会社側の意図はあまり浸透していないと思う。
少なくとも俺が知る範囲では。

そしてむしろ、それでいいのだと思う。

日本人が口を揃えて
「ボ、ボ、ボクは人とmixするんだ!!」
とか言いながら毎晩何時間と言う時間をこんなツールに割き始めると、
恐らく国家が傾く。




人の日記を見ても、コメントを残すのは超ごく一部でしょ。

大部分のユーザーが誰かの日記に対して
「こいつこういう部分もあるのか。へー」程度に見てるはずだ。

オンライン上の「自己紹介」を見て、それが例えば哲夫だったら
実際に会っただけでは足りなかった「俺の中の哲夫像」を補完していってるわけだ。

哲夫が素敵な絵描きだって知ったのも、このツールのお陰だと言えばそうだ。

それを現実世界のコミュニケーションに巧く活かすことができたら、
もうそれでいいのではないかと思う。

ネットなんぞにそれ以上の期待をするのは危険な気がする。



しかし、mixi気持ち悪いって言う人多いねえ。
ユーザー人口何百万人と普及した現在、
イヤこれが気持ちいいんだよ!!と説明する方が無茶な気は、確かにするな。

そいつらが「mixi興味ない」って言うならまだしもなんだが。
まぁええわ。


特別mixiをアゲるつもりではないが、結構俺は救われたところがある気はしてるけど。







たかがmixiに何を真剣に語っているのか。
あーアホらし。おしまい。

2008/01/15

そしてかっこよさ255へ…

プロのサッカー選手のシュートフォームってカッコいいですよね。
そして彼らが放った弾丸は強くて速い。

俺はこのことが不思議で不思議でしょうがなかった。

強いシュートが撃てるという「優れた機能」と、
フォームの「美しさ」という別々に働くはずの要素が
何故「良い」というベクトルの先で一点に結びつくのか。

野球選手のスイングや水泳選手の泳法といい、その結実は実に世の中に多い。

逆に、
フォームは吐き気をもよおすほど不格好だがあいつのシュートはマラドーナを超えるぜ
な~んてことがあってもよさそうなもんだが、そんな例はほぼ思いつかない。

これはもう世の中で奇跡が起こりまくっているんじゃないかと
仙頭氏@西所沢に聞いてみたとさ。

そうじゃなくて、
「強いシュートを撃てるフォーム」というものが先に存在して、
我々はそういった「優れた機能を持つもの」を「美しい」と感じる
ようにできているのだと。心理学的に。

たしかこういう内容の返事を頂いた。




さて、今日はフォームについての話です。


俺は音楽やる上でフォームはヒジョーに大事だと思っている。
特に体の使い方が大きくプレイアビリティを左右するウッドベースとドラムでは一層意識しないといけないはずだ。

結論から先を言えば、
理由なんてつべこべ考えず、とりあえずプロの格好の真似をしとけこのボケ!!
という話であります。


プロのフォームのどこがどういいのかを科学的に説明するほどの知識は俺にはない。
ただ、プロのベーシストはそれぞれ個人差があるとは言え、
似たようなフォームをとっている。
右手のピッチカートも、左手の押弦も、数種のスタイルに誰もが収束しているのだ。
そして、それらのほとんどが、見た目としてカッコいい。
美しいんだな。やっぱり。
我思うに、この事実自体が結構大事なのだな。

「ライオンの牙は何故とがっているの?」
という疑問に「それは獲物を捕まえるためだよ」と答えるのは
牙の機能説明として妥当としても、事の実際は違う。
「牙のとがったライオンが現在まで生き残った」のだ。

同じことをベースで考える。
「プロベーシストのフォーム」というものが存在する事実は、
所謂「プロっぽい」フォームを選択したベーシストが上手くなっていく
ということに他ならない。と、考えられる。

逆に言うと「おかしいフォーム」を選択している以上、
その人は恐らくどこか演奏面でつまづいている点があるはずだ。
そしてそんな不格好なフォームのプロベーシストなんて俺は見たことないのだ。

というわけで、
俺は素人ベーシストを見るとまずフォームをみて
「こいつはこれから先、成長しそうかどうか」を予想する。
プロっぽいフォームのベーシストはこれから先も上手くなる余地があると思って安心する。

まぁ、フォームが悪い奴はある意味それを修正することで成長の余地があるとも言えるが。



昔の多喜はグワングワン動くベーシストだったが、最近あの癖はやはり姿を消しつつある。
(この点に関したら実は俺も人のことを言えないんだが、
そのことは今の3回生以下は知らないはずだから黙っておくぜヘッヘッヘ。大人は汚いぜ。)
グワングワン動くプロベーシストなんて見たことないのだから
(まぁ素人でも見たことないが)、
この癖が直ったことは何か演奏面で課題をひとつクリアしたことの表れなんだろうと思う。



まぁ、さっきD軍v.s.京都バーニング楽団のDVDを見終わったもんで
鼻息荒くこういうことを言ってる次第である。

とりあえず福井のテンションの低さにワロタ。

俺はというと、フォームが酷すぎて大いにワロタ。
じゃなくて全く笑えんかった。
左手は肘が下がりまくっていて、指も開いてないし。
右手に至っては「何かヘン」だ。

それ以外にも人間自体にそもそも妙に落ち着きがないし。
Skin Deepドラムソロ中ずっと福井を見ている(というか見つめている)俺は、なんかきもいし。
自分の演奏を見るたびに全く同じことを思うが、ここ3年改善されねえ。
しかも自分の笑顔がいつまでたっても好きになれんというオマケ付き。

さあ、存分に凹んでやったぜ。


ビデオで確認したわけではないが、岩波レイの右手はとてもプロっぽかった覚えがある。
あのアタック感はそこから生まれてくるんじゃねえだろうか。

特筆すべきは鈴木智子。
肉眼で見る限りあまり意識していなかったが、
今ビデオを見て、あいつのまるでお手本とでも言えるような
フォームの綺麗さにはまじでビビった。特に左手は唯一神。


まぁそんなこんなで自分の演奏を視覚的に見るというのは
結構大事なことなんではないだろうかと思っておる次第です。

細かいドラムの事情に関しては福井に聞いてください。俺は知りません。





そういえば、
うちのバンドの録画だが、「次のソリストを絶対知っているやろお前!!」
とつっこみたくなるカメラワークには鳥肌が立った。
カメラワークで鳥肌がたったのは生まれて初めてだ。

あれ撮ったん、誰やねん。

2008/01/14

カレージャズ

たしか俺がD軍やってた時だと思うが、スイングジャーナル誌に
「Lee Morganが自身のレコード「The Sidewinder」にてジャズロックという音楽を結実させた」
みたいな記事があって。

当時ジャズ系にいながら自分をロックンローラーだと信じて疑わなかった俺は
「うおおおお!!これこそ俺が理想とする音楽に違いない!!」
と意気込んで三条はJeujiaに向かったのだが、

そのCDから流れてくる音楽は何をどう聴いても
「8ビートでジャズをやりましたよ」というものであった。


俺は怒った。


皆さんは「カレーうどん」と聞いてカレーを想像するか。
否、うどんを想像するはずである。

「カレーうどん」が示すものはカレーという単語に修飾されたあくまで「うどん」である。
なぜって、日本語はそういう風にできている。

従って、食堂で「おばちゃん、カレーうどんお願いね」と頼むと
「カレーがかかったうどん」が出てくるはずだ。
断じて「うどんがかかったカレー」ではない。


前置きが長くなった。

ロックをフォーマットとして、そこにどうジャズ的要素が絡んでいくのか!?ワクワク。
非常に興味を持って聴いてみた音楽は、俺の期待を裏切り
まぁ一言で言えば結局ジャズだったのである。

つまり俺が言いたいのは
The Sidewinderはジャズロックではなくて、ロックジャズじゃねえか!!
ということである。





書いてるうちにだんだんどうでもよくなってきた。


まぁこのお話は、音楽のジャンル分け云々というよりはむしろ単なる日本語の話である。





話は変わるが、

俺はちょっとジャズとロックを二項対立的に捉えているところがあって、
ジャズ系にいながらも
「やっぱロックやって。ロック。」
なんてことを言い続けて来たもんで、なんて俺は天の邪鬼な男なんだとずっと思ってきたが、
じゃあロックやってる人間には
「やっぱジャズやって。ズージャー。」
と言って来たかと言えばそうでもないので、
やっぱり単にロック志向が強い男だったのかもしれない。

ただそれも過去の話であって、最近は
Helloweenの「Before The War」と
Count Basieの「Flight Of The Foo Birds」
を交互に聴きながら、
「ああ、俺ジャズもめっちゃ好きやん」
と気づいた瞬間があって。

なんだか嬉しくなった。


ここ半年でまたジャズが随分好きになった。つまり新日本人を始めてからである。
山中がやたらいい曲ばかり紹介してくれるもんで、
「うおー!!4ビートええがや!!」
となるのである。

そういえば昔似たような経験をしたことがあって。
ピストンやりはじめてからソウルを聴くようになったし。
ちゃっかからファンクも教えてもらった。



どこに着地するのだこの話は。




話は変わるが、
たしか山野ツアーの「福井&今橋カー」にて、
ジャズの話しかしない1回生そっちのけで俺と福井は上級生という特権を活かして
JourneyとかslipknotとかBen Folds Fiveとかブランキーとかレッチリとかをかけまくっていたんだが。

そしたら夏合宿の宴会でボロボロに泣きじゃくるみっきーに
「先輩の音楽の幅の広さに感動したんです」
みたなこと言われた。

まぁ確かに福井と2人で「何でこいつらジャズ以外の話せえへんねん。こわ」とは言っていたが、

結局そこが祟ってか俺はいまだに4ビートやってもジャズっぽくならないし、
ただ、(代わりにかどうか知らんが)遊び心みたいなものは身についた気がする。


どっちがいいのかなんてはっきり言うてわからん。




音楽について何かを書こうとしたとき、それが「ジャンル」について触れ始めると
とたんに「しょうもない話」みたいな空気になるのはなんでだろう。




そういえば山中は高校時代にエレベでハードロックをやっていたらしい。

2008/01/10

Dが終わる #03

研究室にいると暇なので(←駄目)、いまさらだが定演のD軍ライン録音を初めて聴いた。

あ、そういえば曲毎に分割&タグ付けしたので欲しい人は言ってください。
木本に「いる?」って聞いたら返事なかったけど。


録音を聴いて、
定演の打ち上げでバンさんと山中の3人で
「あのPAはどうにかならんのか」という激論を交わしたのを思い出した。


そもそもあのおっさんが俺は嫌いなわけだが、その点は差し引くとしても言いたいことがある。

録音がとにかく酷い。

ラインの時点でクラッシュとかタムがクリップしてるとか、呆れて鼻の穴が3つになってしまう。
(クリップ:ゲインをあげすぎて「バリッ」ってなるやつ。確か)

PAってまずクリップしないようにゲインを調整するのが最初の仕事じゃないのか?普通。
俺みたいな素人がPAしてもまずそこに気をつかうぜ。


ライン録音(=入力)であの程度ってことは、
スピーカーの出音(=出力)はそれよりも低下してるってことで。

ああ恐ろしい。


俺はPAについては「ぱもじゃで1年間機材係をやりましたよ」ていう程度のレベルの知識だから、曲中にEQをこれでもかというほどいじり倒していたというバンさんの証言とかを聞いてそれが京文という環境下、良いことか悪いことかなんて判断はできないが、少なくとも
「ハイこれライン録音です」
って渡されたMDが聴く気を殺ぐような程度のシロモノでもうガッカリだったという時点で
奴らが「プロ」という単語を使うたびに1回ずつ頭突きしてやろうかと思うほど腹が立つのだ。

こんなウデで学生から十万そこらの金をとるんじゃねえ。


ムカムカー




去年のNFで新日本人のライン録音してもらっていて、たぶんやってくれたのは山田さんだと思う。

これがねぇ、
びっくりして乳首が7つになるくらい素晴らしい出来で、
いやいやいやいや決して言い過ぎでなく、プロミュージシャンのライブCDみたいだった。

嘘だと思うなら、聴かせてやるから。

もう次からこの人らに頼んだ方がいいかもしれんぞ。まじで。

非卒業生の方は考慮に入れてみたらどうでしょう。




なんにせよ、
プロ意識が感じられない連中と言うのは、業種を問わず、見てて気分が悪くなる。

西院の家を探す時に行った不動産屋も以下略。





気分のいい話に変えよう。

ライン録音というのは我々素人ミュージシャンにとっては結構危険なものでして、
西部講堂とか京文みたいなホールでは神様仏様ナチュラルエコー様のおかげでごまかせていた部分がごっそりそぎ落とされて、 (あくまでテクニック面での)上手い下手がもうバッチリ赤裸々に分かってしまう。

な~んてことはライン録音を一度でもお聞きになったことがある人は知ってると思う。


というわけで、
ああいう場所ではブワブワ鳴ってることしか分からない超問題楽器であるウッドベースも
ライン録音だとその音像がくっきりはっきりさっぱりばっちりどっさりがっつり聴こえて、
特にD軍は曲毎にベーシストの性格がモロに表れているので聴いてて楽しいですな。

同じベースなのに音まで全然違うから、不思議だ。


-以下「いまさしの耳」というフィルターを通したD軍ベースの感想-

女ベーシストはまず丁寧さから入るというのが持論でして、
鈴木智子は特にHot Toddyの丁寧さがズバ抜けてすげえです。
ただもうちょいバンドのノリを引っ張っていく感じがあればいいかも。

木本は自分の世界に入って突っ走ってしまう感じがもはや俺と全く一緒で笑えた。


私感:鈴木智子と木本を足して2で割ったらかなりいいベーシストになりそうだ。



鈴木智子といえば、年末の忘年会の時に
 鈴「先輩が卒業するなんて寂しいです~~~~~~~~」  ←何故か表情は笑顔
 今「お前どうせみんなに言ってるんやろ」  ←今考えるとひどいな
 鈴「言ってます~~~~~でも寂しいです~~~~~~~~~」

こういう正直な生意気さが逆にかわいらしく見える子も中にはおるんだなあと感心した。



話が逸れに逸れた。

定演のNight Trainは鬼気迫るものがあった。
まあ丸さんがその80%を担当してたようなもんだが。
そもそも曲がかっこよすぎるものな。

丸さんとNight Trainしたかったぜ!!



Foobirdは俺がD軍入って最初に貰った曲で多分一番思い入れのあるフルバン曲で、
2003年の定演では「いっちょみんなを驚かしたるか」と意気込んで
入ってすぐのお決まりフレーズ(GD↑C↑B♭AC↑D↑D↓)を全然違うフレーズを弾いたのが
かなりの不評だったのもいい思い出だわ。

高速Foobirdしたかったぜ!!



ついでにBoogieもしたかったぜ!!




またアンコール前のザンギのMC聞いてじ~んときてしまった。

MCしたかったぜ!!


おっと冗談。





毎年思うが、
D軍に3か月しかいれなかったのが実に損した気分だ。

福井と千葉がよくD軍やりてぇ的なことを言ってるが、お前ら2年もやったんやから俺にやらせろ。




2月からフルバンやろうかな。確実にやる曲は
Rockin' in Rhythm
Chinoisire
Matumba
Dancing Men
Moanin' Mambo
Boogie Stop Shuffle
Mexicali Nose
Pick Up The Pieces
Flight of the Foobird(高速)
Hay Burner
The Heat's On
Trumpet Blues
Cruisin For A Bluesin
Reza
Like Thunder
ルパン三世のテーマ
いまさしアレンジによるゲーム音楽メドレー

です。

入団希望者はいまさしまで。



ただ、あのドラマ感は、D軍とかダークじゃないと出ないよなあ。

2008/01/05

新春に君に語りかける

正月はおかん&ハマーと店巡りをしました。

とりあえずRight-Onでパンツを買いました。これは毎年恒例のイベントです。
これがないと俺の正月が始まりません。

そしてコジマでこたつの足(を継ぎ足すやつ)を買いました。
我が家にこたつが導入されて5年ほどですが、
ようやく快適なこたつライフを迎えることができます。



そんな中、パソコン屋で見つけた至高の一品。


「フライングアラームクロック」




アラームが鳴ると同時に空へ放出される羽根を取って戻ってくるまで音が鳴り続ける
というとにかくセンス溢れる最高のマシン。

見かけた時は笑いがとまりませんでした。

社会人になって毎朝羽根を探す自分の姿を想像すると泣けるほど情けない。


なんでパソコンショップで売ってるのかが謎すぎた。


ヘリコプターのラジコンが抽選で1000円で買えるというキャンペーンもやってて
かなり欲しかったが抽選に行くのを忘れておりました。



上記の2品を買わなかったことが若干の後悔として残る高知も1時間後に出発します。
今日は高槻でぱもじゃの先輩ベーシスト林さんのケコーン式です。



帰省の荷造りの最中に何を思ったかエミュレーター用のコントローラーを鞄に入れてしまったのが
今回の最大の過ちでした。

年末年始の貴重な時間を聖剣伝説3のレベルアップにつぎ込んだ自分に正直ヒきます。
しかも4倍速プレイ…
ジョジョ第6部のC-Moonの世界さながらのスピードに順応してしまった俺は
この特技をもっと社会のために役立てる方法を考えねばなりません。


ということでコントローラーを京都に持って帰らないという英断を下しました。
つまるところこれは「しげるに勝つためのマリオカート個人練計画」を諦めたということに他ならない。
身が八つ裂きにされる想いですが、全ては修論のためです。

しげるで思い出したけど、帰省直前の先月29日におかんが
「北野天満宮に学業のお守りを買ってこい」とか言うもんだから
(おかんはわけあって看護師の国家試験を今年受けます)
北野天満宮に行ったら偶然にもしげるに会いました。

妹と家族にそれぞれお守りを買って帰るんだと。

う~ん、なんて家族想いなヤツ。

20年後にあいつが良きパパになってなかったら俺が人間やめてやる。





「と、いうわけで」
修論のせいですっかり「いまさしクエストM3」の魔界と化した京都に戻るわけですが、

1月は2回のバイトと9日のリズム飲み以外、全ての時間を


このブログに注ぎ込みます!!


間違えた。


修論に注ぎ込みます!!



なので、もし楽しそうなイベントがあっても俺の耳に入らないように慎重に情報を回してください。
mixiの日記なんぞには間違っても書かないでください。
書いた奴には報復措置として枕元にベースソロしに行きます。

でもやっぱり書いて下さい。

2008/01/04

Life

テクノロジーの発展・発達という現象に懐疑的であることには定評のあるいまさしさん。


便利になったのは間違いないが、
じゃあそれが幸せにつながるかという点でどうも腑に落ちない。

人生というスパンで見たときに大した価値観にならないような快楽が
安価にかつ手軽に手に入るようになり、
自分の人生を真剣に考えないままええ歳になった奴がニートなんぞになる。
そんなニートが大量発生する社会構図である。



1年前のいまさしさんはこんな問題を解決する画期的な方法を思いついた。


ノアの大洪水を起こして地球上からテクノロジーを一掃する。


「1万年前の地球が、今の地球より絶対に不幸だと言い切れますか?」
という考えに基づいている。

就活期に企業の行動さらには人類の行動に関して大いに疑問を持ち始めたいまさしは
もうこれしかない!!というくらい本気で考えておったそうな。

そんで西畠を捕まえては
「だから人類にはノアの大洪水が必要なんだってば」
みたいなことを延々と喋っていたそうな。


ただ最近ひとつ気付いたことがあって、それは
「じゃあ逆説的に1万年前の方が絶対に幸せであるとも言えないじゃねえか」
という単純なことになんだけれども。


この価値観にたどり着くまでに1年かかったことが自分でオドロキ!!である。


去年の2月に仙頭氏に指摘されて初めて気付かされたことなんだけれども、
俺はかなり思い込みが激しい人間みたいだ。

両親を見てると思い知らされるが、どうもDNA的にそうみたい。

一つの事象に対して一番最初に思い浮かんだ「ひょっとしてこれって、こういうことかも」
というアイデアに、最後まで縛られていることが実に多い。

「あれ、こういう考え方もできるやんけ」
という頭が途中でなかなか働かない。


思考の柔軟さみたいなのが完全に欠けているのである。


修論の失敗は恐らく9割方それで説明できる。
特に修論はマックス2年という限られた時間内で完成させる必要があり、
思考を効率的に進める上でも柔軟さは不可欠であったのだ。

それが欠けているもんだから全く的からかけ離れたアイデアで突っ走ってしまい、ゼミの度に
「お前なあ…」
と怒られるわけである。

俺の修論は内容的に全く確立されてない分野で、外部との研究会などが一切無いものだから、
2年間「完全に」独りで進めてきた。
頭の固い人間に対して、方向修正しくれる機会が少なかったのは
まさに泣きっ面にbeeとしか言いようがない。




物心ついた頃から「自分一人の頭で考える」という癖があって、
俺の頭が固いのはどうもそれの弊害じゃないかなと考えている。


特に、ちょうど2007年は「根拠ある自信」を求めて、
ひたすら興味を敢えて「自分だけ」に向けた一年だった。


それ以前は俺は興味を他人にばかり向けているような人間で、
このままだと自分か他人のどちらかを犠牲にするような人付き合いしかできないと感じたのがその理由である(事は2007年11月「期待の矛先」という記事に詳しい)。

最近になってある程度の自信もついてきたし、
この考え方の限界みたいなんもそろそろ見えてきたので
今年は「自分と他人の興味(≒期待と考えることができよう)の矛先バランス感覚」
これを鍛える1年にしようかと思う。

ちょうど社会人になることだし、タイミング的にはぴったりかもしれない。



他人と接する内にいろんな生きたアイデアを目の当たりにすることで、
思考の柔軟さが得られたらいいですなあ。




まぁ、
もし仮に大洪水でテクノロジーが一掃されたとして、
その後の世界が北斗の拳みたいになったら生き残れる自信はないし、
そもそもそんな大洪水は起こせないのである。

2008/01/03

涙が出るはずがない

せっかくなので土佐弁で書くことにするちや。


例年、毎夜の如く飲み歩くのが常となっちょったけど、
実家に帰って5日が経つけど、まだ親族以外誰とも会っちゃあせん。

そもそも今年はあまり誰かと会う気がせんかった。

理由は修論である。

誰かと会う暇があったら修論を進めんと本当にM3になってしまう。
強迫観念が外に出る気持ちを後ろめたくしちゅう。




のくせに毎晩々々聖剣伝説3をやっている俺はさっさとM3になった方がいいかもしれん。

おかげでラスボス手前まで行ったちや。
現在レベル63。ステータスは全員マックスでおじゃる。





今日は母方の祖父母に挨拶をしに行った。
父方も母方も実家から車で10分以内の距離にあるので便利すぎて非日常感は皆無である。

そこのおばあちゃんは、
俺が築いてきた25年間という短い時間の中ではあるが、
今まで出会った人間の中も最強のド天然を誇る人物である。

おばあちゃんの迎えの車で家にお邪魔したが、
家に着くや否や「えええ!!」と悲鳴にも似た奇声をあげテレビにかじりつく75歳。

どうやらおばあちゃんが家を出るときには5位だった早稲田が
家に着いた時にはトップを走っていたことにびっくりしたらしい。

駅伝の話。

5分間くらいびっくりし続けていた。

俺とハマー(注:天才の弟)はそのことにびっくりした。



そのおばあちゃんはどうも最近折り紙にハマりまくっているらしくて、
最近「連鶴」というテクニックをマスターしたとのこと。

一枚の紙から2匹の連なった鶴が折れるというシロモノで、
「嬉しくなっておばあちゃん、いっぱい作ったぞね」
という言葉通り、玄関、トイレ、電話台、家のありとあらゆるところに作品が配置されておりました。

確認しただけで40個くらいあったような。


早速そのテクニックを秘技伝授してもらう。↓

作:いまさし







バイト先の女将さんにしても、このおばあちゃんにしても、
見てて「かわいいなあ」と思うのは、感情を表に出すことにためらいが無い人だからだ。

俺はそういう人が好きだから、
俺自身も30年経ってもそういう人でありたい。


「かわいいおっさん」になるのである。