以前ここに書いたように、自分はあんまり先のことを考えて行動しない。というかできない。
小説「初恋」に、「人は現在を消費し、未来と過去を手に入れる」みたいなことを書いてあった。
あー、なるほどなと思った。
自分の解釈を含めてもう少し正確に言うと、
未来というものはこれから選択できるものとして手に入れ、
過去というものは変更不可能な軌跡として手に入れ、
現在というものは手に入れた瞬間に現在じゃなくなる。
まぁこんなところだ。言ってることは変わりない。
就職活動のときに、向こう50年とかスパンの人生プランを書け、みたいな課題に何度か出会った。
俺はそれがどうしても無理で、毎度毎度本音とは程遠い適当な嘘を書いてお茶を濁した。
孫正義とかが10代で60歳までのプランを立てたみたいな話が有名になったおかげかそうでないかは知らないが、自分のゴールを先に決めて、それまでにどういうステップを踏めばいいかを考えていく、就職活動中に刷り込まれたのは、そういう考えだった。
で、自分はたまたま、あいにくそういう人間ではなかった。
今できることがあれば、ひたすら夢中にやってみる。
それを続けていれば、またどっかで道が開けるんじゃねぇかな、その時にどの道を選ぶかは、またその時決めればいいだろう。
これが自分の人生哲学である。
だから、自分が好きなことをやるしか今やるしか自分が成長する方法はないと分かっている。
で、就職活動中に一番興味があったWEB業界を選んだ。
なんでWEBが自分にとって興味の対象かと言われれば面接的に言えることはいっぱいあるが、「選んだ理由」として言えることは、選択すべき時に一番興味があったから、としか言いようがない。
そして幸か不幸か、1年たっても一番興味の対象であり続けている。
入社して2か月くらいした時に、なんのコンサルティングの人か知らんが「今後をどう考えていますか」的な面談みたいなことをして、その場で「先のことは考えていませんが、今やれることを頑張っていると何か得られるものは必ずあるでしょうと思っています」というような事を言った。
そのネェちゃんの返事はこうだった。
「素晴らしいですね。今、アメリカでもそういった考え方のほうが主流になってるんですよ」
なんだか世の中というものが適当すぎて、笑えてくる。
その2に続く。
2009/05/31
沖縄の女 その1
2009/05/26
2009/05/24
君を完全コントロール
俺もバカじゃないので、ディレクターという職種を全うするために自分に必要とされることは何かと考えながら1年を過ごした。
社会人としてもディレクターとしても当たり前にヒヨッコな自分なりに出した結論は、「モチベーションを保つ」ことだった。
ある意味、周囲スタッフのモチベーションさえ保てれば、プロジェクトは何だかうまくいくような気がしている。
結論として言うには「なんだそんなことか」な話だが、この「最上段の解答」を何にするかで人の哲学が現れる。そうそう馬鹿にできない。
ハイおしまい。
で話が済んだら仕事は楽なのだが、自分は「モチベーションを保つ」という行動は直接とることができないので(できる人もいるのだろうが)、より実作業ベースに還元した手法を見出さねばならぬ。
経験則によると
① スケジュールを守る
② 「お願い」する / お礼をする
あたりが大事なファクターなのでないかと思っている。
特に2つめが大切。
これができない大人というのは、もう何だか見ていてつらい。
というか、仕事上うまくいくからという理由でお礼をするとかじゃなくて、、
案件のために頑張ってくれたら自然と「ありがとうございます」と言いたくなるもんだが、
そんなもんではないのだろうか。
2009/05/17
2009/05/16
理由その2
面接という時間は、ある意味究極のコミュニケーションかもしれない。
10分やそこらという時間的制限。
基本的に使えるプレゼンテーション機器は身体のみ。
判断されるのは自分のみである。
結果が「シロかクロ」しかない。
ちょっと考えてみただけでも、「意思疎通」という言葉でくくれる行為の中でも、
かなり飛びぬけて異質なのではないかと思ってしまう。
自分が就職活動というものに身を投じていたとき、
自分で合格点をつけれるような面接というのは経験しなかった。
これから働くということについて、思考は体系化できていなかったし、
アドリブに耐えうるほど、自分は仕事ということについて思考していなかった。
今は自分が最も興味のあることで飯を食っていて、幸か不幸か寝る時間以外のほぼすべてをそれにあてている。
考えたくなくとも考えてしまう。
ようやく自分は仕事ということを考え始めた。
これから、少しづつ「仕事」についてまとめていこうと思う。
ちっちゃい会社のウェブディレクターという仕事を通じて、自分は今まで何を獲得してこれからは何を獲得していくのか、これから何を失っていくのか。
それは、(現時点では全く考えていないが)次にもし面接という機会に自分が触れた時、大きな財産になっているはずである。
2009/05/08
そろそろ人生をなめはじめた男
他人への興味というものがどんどん薄れとる。
というようなことをここ2年くらい感じている。
そんで、つい最近はGWというものを通過して、
「ああ自分は物とか出来事にも興味がなくなっとるな」
としみじみと感じ入った。
自分の誕生日にあまり期待しなくなったのはここ3か4年くらいのことで、それが前兆だったと思えば思えなくもない。
ともかく自分はほんの5日間だけ与えられたGWというもの(実際はそのうち1日は仕事で消えたが)に、全くと言っていいほど期待をしなかった。
じゃあ今年のGWは自分にとっての黒歴史となったかと言われれば、全然そんなことはなかった。
1日家でゴロゴロした日もなかなか良かったし、
晴天の昼間に目黒通りを自転車で通り抜けDuke Ellingtonの未発表ライブ版のレコードを買った日は本当に最高だったし、
流山に行って平川カーで夜の雨をドライブしたことも気持ち良かった。
何のことはない、自分にとってはしっかりとゴールデンなウィークだったのだ。
つまり、何が言いたいか。
自分は先の予測ができない(しようとしない)類の人間であることはとっくに分かっていたが、
その予測しようとする「先」がどんどん短くなっている、これが事実ではないか。
と、今いきなり思いついたわけである。
「明日10年来の友人に会う」という期待感はもうどうでもよく、「今、その友人に会っている」という現在進行形の事実だけを楽しんで享受しようということらしい。
ややこしく書いたが、簡単に言うと「今のことしか頭になくなってきている」ということだ。
別に「人生アドリブ」というのを人生哲学にしようとする気はさらさらないが、
「今をひたすら生きていたら人生勝手におもろくなるだろう」というのが信条ではあるので、
なんだか、その方向にどんどん突き進んでいるようだ。
今日やるべきことをやるだけで精一杯な仕事のしかたを1年間やり続けた結果かもしれない。
まぁ原因はとりあえず今はどうでもいい。
とにかく、読む「先」が短くなってきている、ということで、自分の気の持ちように、全部説明がついてしまう。
ああスッキリした。
「もうこの先には期待するものは何もないが、なんだか人生毎日超楽しい」
という状態である。
ちょっとアンバランスな感じがしないでもない。