うーん。
一人有名な男が全裸になって騒いだからといって、
何でここまで大きな騒ぎになるのかが
本当に、さっぱり、わからない。
自分以外の人はこのことにすごく興味を持っているということらしくて、
同時にこんなことに何をどう頑張っても全く興味を持てない自分がいて、
まぁ分かってはいたけど世間との乖離を実感して、それは悲しくなるなあ。
2009/04/28
2009/04/17
アイの言霊
何人もの人に「人殺してそう」「クスリやってるでしょ」と何年間と言われ続けた揚句、もうすっかり言われ慣れてしまった感のある俺だが、「人前に立って喋るのが苦手」というひどく人並な悩みに頭を抱えるナイスガイである。
また人前で喋る1時間前から足が震えたりする、超緊張屋さんでもある。
ただし十中八九「緊張してるように見えない」と言われる。
自分という人間の実際の中身と、他人からの印象が大きく異なるのは、大昔からだ。
なんだか損している気がするが、慣れてしまった。
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そんな俺が籍を置く我が社も、この不況の折に負けじと2010年新卒採用活動を行っているところであり、世の企業の例にもれず採用説明会というものを開いている。
そんなこんなで今日、100人以上の学生(なんで全員スーツやねん)の前で、リクルーター(?)として5分間しゃべってきた。
冒頭で書いた通り喋りというジャンルには圧倒的に自分に向いていないという意識が強い。
そのせいで不安ばかりが先走って足が震えだす割には、喋る内容を特に決めようとしないあたりが、根っからの楽天家としての気質を垣間見せる。
声のでかさだけは、誰にも負けない自信があった。
ロクなことは言えなくても、迫力だけでなんとかごまかそうかという魂胆があったことはここだけの秘密である。
カンペは絶対に用意しないと決めていた。
男は黙って手ぶらである。
これが一番かっこいい。
さすがに1年間仕事ばっかりしてきたことはある。
ぽんぽんと言葉が出てくる。
結構ロクなことを言えてしまった。
最初は長すぎるとビビっていた5分という時間も、楽勝で収まり切らなかった。
結局最後は政治家さながらの大演説のようであった(と言われた)。
いろんな人に「話うまいね~」と言われたのは、ちょっと自信になったぜベイベー。
自分が考えて考えて考えたものは、きっと脳みそに皺となって刻まれて、脳みそに刻まれたものは小手先の喋りテクニックなど要せずとも、自分の口から勝手に言霊となって説得力あることが言えるものなのである。
アドリブのためには、ボキャブラリーが必要だ。
ボキャブラリーを溜めるには、常日頃からこの仕事について考えているか、に尽きる。
これからも考えていくことは絶対にやめない。
おしまい
2009/04/10
もう会えない
メッセンジャーというものを誰かに教えてもらい、それを使って初めて遠く離れた仙ちゃんとチャットをした時、本当に感動したのを覚えている。
たしか大学2年くらいの時だった。
それはもう、本当に感動した。
電話もちょくちょくしていたが、何だろう、「あ、つながった」という感覚というか、もうよく分からんが、これはもうネットが持つ特有の感覚だとしか言いようがない。
そして、大学3年の年末に仙ちゃんにmixiを教えてもらって、昔の知り合いとかと連絡を取るようになった瞬間も、感動とまではいかなかったが、なんだか嬉しい気持ちになった。
2004年の3月31日。高知のネカフェで過ごした夜は、なんだかずいぶん覚えている。
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価値を認めるという行為を取るとき、人の心は動いているとするなら、やはり価値は永遠に消費される宿命を持ったものなのだと、改めて気付かされます。
なぜなら、もう僕は二度とメッセンジャーであのような感動を味わうことがないだろうし、mixiの使い方が(大衆的に)変化していっているのは周知の通りだからです。
価値は、新しい価値によって塗り替えられることを必然としてしまっています。
そんな事を考え始めると、気が狂いそうになるくらい寂しい気持ちになります。
最近は特にそんな感覚を覚えることが多い。
めっきり受信側としてのみ利用するようになったmixiでも、いろんな人の日記を読んでいると、もうたまらなく寂しくなります。
理由は、はっきり言って全くわかりません。
なんだか、全員でお互いを慰めあっているのを見せつけられている気になってしまうから、というのが理由の10%くらいにあるような気がします。
別にmixiは嫌いじゃありません。どちらかと言われれば好きだと答えるし、素晴らしいツールだと思います。
旧知の仲というものがあります。
結婚式やらで高校時代の友人に会うということはたまらなく楽しいことです。
楽しいことのはずです。
僕はそんなことにも、ものすごい寂しさを覚えることがあります。
会った後の別れを想像しているからではありません。会うことが寂しいのです。
僕がmixiに感じる寂しさは、なんだかこれと同じような気がしています。
なんだか最近のエントリーでは寂しいを連発していて一種のマイブームのようですが、この感情の出所はどこか、さっぱりわかりません。
ただ、孤独から来るものじゃなさそうです。
もう人生を悟りきってしまったのでしょうか。
それとも俺も人の子だったということでしょうか。
2009/04/03
知らぬが罪を
40歳超えたら、人は考えていることが顔に出る。
とはよく言われるが、別に10代だろうが20代だろうがそうだと思う。
もっといえば、人の一挙手一投足はすべて考えていることが出ているのだと思う。
「たぶんやる」を連発する人と、「絶対にやる」と言ってくれる人がいれば、
後者のほうが物事にたいして真剣に取り組んでいるのだろうし、
責任感もありそうだ。
だから言葉選びには注意しないといけないよね、と言いたいのではなく、
むしろ逆である。
自然に「絶対にやります」と言ってしまうくらいの責任感を常に持っているのがいいと思う。
それが勝手に一挙手一投足に現れるのだろう。
家で寝たいよぉ。