まぁ昔からその傾向はあるが、最近特に物事の理由を考えることに興味がある。
物事の結果の背景には100%の確率で何かしらの理由があるのではないか、とある意味言われてみれば当たり前なことに最近になって気づいたからである。
今年3月くらいにこんな事を考えた。
新日本人をやっているとき、山中に何でサックスをを始めたのかと聞いたことがある。彼は
「渡辺貞夫のライブをみて感動したからです」
とかそういうことを言った。
これは理由ではあるが、正確には理由のうちの50%である。
なぜなら、これが理由のすべてとして語られたとしたら、「渡辺貞夫のライブをみて感動した」人は全員が全員、必ずサックスをはじめることになってしまうからだ。
つまり理由の残り50%として、山中をして「渡辺貞夫のライブをみて感動した」という経験と「サックスを始める」というリアクションとを結びつけるような、彼だけが持つ理由が、別のどこかに横たわっているはずである。
さらになぜ山中はそのタイミングで渡辺貞夫のライブを見たか?という問いに対する理由だって、どこかにあるはずだ。
そこで発見された理由の理由は、さらに芋づる式に次の理由を生み出す。それは残りの50%、その残りの50%、その残りの50%…と続いていき、無限に100%に近付いていく。
結果総合して理由のうちの何%までを説明したらいいのかは、その会話や文章の文脈に依るのだろう。
さらにそれを一言で表現できるような言葉を、数多く持っていた方がいい。
上で行ってきたことは、日本語的に言えばおそらく「原因」と呼ぶほうが適切なものである。
あえてそれをこの場で「理由」と記している。
それは、自分の意思を伝えるために無意識化におかれている「原因」を、自分の表現手段として抽出し、最後には言語化する行為を前提にすることを意識しているからである。
つまり、「理由を説明できる」ことは、コミュニケーションの中で自分の意思を伝える際にとても便利だと思うのである。
その2に続く。
2008/09/22
理由 その1
2008/09/16
グラウンド・ゼロ
世の3連休は毎日会社に出た(昨日はちょっとだけだけど)。
しかも最終日の今日はこんな時間まで働いた。
先週は会社に3連泊したし。
給料は安く、わりと仕送りが贅沢だった学生時代よりも使える金は少ない。
だけど、なんか、全然大丈夫だ。
これならやっていける。
芸人を目指している上田とか、バンドで食ってくけいじさんとかを見て、ちょっと羨ましいとか思ったけど、わりと近いポジションに自分がようやく立てているのが、今は結構快感である。
もうやるしかないと思えば、徹夜だって休日出勤だって楽しみの一部だ。
俺は今までの人生上かなり保守的に生きてきたが、なんでこんなときだけ大博打を打ったのか。よくわからないけど、まぁよかった。
哲夫なんて奴は、大芸術家になってほしい。
2008/09/10
チョンボ
まぁ先月、山野直後にダーク入賞おめでとうなんて書いたわけだ。
みさっきーがそれを読んでか読んでないのか知らないが、mixiで「伝統のおかげだ」とか書いたり、智子がコメント寄こしたりしたもんだから、もう本当に大いに後悔した。
伝統とかそんなことは現役はこれっぽっちも考えんでよろしい。
馬鹿みたいに「俺たちってスゲー!」と言っとけばいいのである。
先輩が引き継いできたから今のダークがあるだなんて書き方をしたのが悪かった。
俺が本当に言いたかったのは全く逆で、あなたたちが頑張ってくれたおかげでエリントンを引き継いだ我々も救われた、なのだ。
だから本当は、みさっきーには
「私たちが入賞したおかげで先輩たちにも少しは報いてあげたわよ」
と書いてほしかったのだ。
うーん。ミスった。
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