物心ついたころから才能という言葉が大嫌いだった。
というかそんなもの存在しないと思っていた。
ところが大学で音楽やっていくうちに、うっすらと自分に才能が無いことが分かってきた。
自分に無いことが分かってから、
才能というものがどうやらこの世にはあるらしいぞ、ということが分かった。
皮肉な話だ。
でもよくよく思い出してみると、
実は物心ついた頃から自分に才能が無いことには気付いていて、
ただ認めたくないだけだったんじゃないか、とか、
才能無いって言うのは、ただ別のもののせいにしているだけじゃないか、とか、
まぁいろいろ考えられるけど、その時は妙にスッキリした記憶がある。
で、ヘタナリに今は大学時代以上にベースを楽しんでいる。
まぁそれで今はすごい満足だ。
多分今後もっと好きになるだろう。
自分の周りでも音楽で頑張っている人がいて、
その人たちを見ていて思うことがある。
端的に言って、精神構造が違う。
何がどう違うのかはよくわからん。自分でもまとまってない。
でも今も音楽でバリバリ活躍してたり、まぁ、学生時代でも有名なプレイヤーを見ていて、
ずっと「人種がちがう」と思っていたもんだ。
精神構造と言ってるのは、ものの考え方のこと。
だから、俺にとって才能というのは、ものの考え方。
たぶん細かいこと言ったら、プレッシャーを楽しめる人種とか、そういう風にある種カテゴライズできるんだろう。でもそうことはここではしない。
俺の両親は楽器を全くやらない。経験は本当にゼロだろう。
カラオケに行ったら、もう本当にひどいの一言だ。
別に幼いころから親が聴いているジャズが耳に入ってきた、なんて経験も皆無。
そんな息子が何故かベースというものにハマって、それなりに頑張っていますよ。と。
こう書くと親のせいにしてるみたいだが、そうじゃない。
ものの考え方というのは10代でほぼベクトルが決まり、あとは少しずつアダルトになっていく、というのが俺の持論だ。その期間の親の影響と言うのは絶対だ。
俺はそんな両親のもと、ピアノを習いこそしたが、身に付いた思考回路は演奏者向きじゃなかったのではないか、というただそれだけの話だ。
そしてその代りに身に付いた思考回路は、京大の受験に合格し現在はwebの企画屋としてバリバリ使わせてもらっている。
ネットの恩恵でか、世の中の「才能」と呼ぶしかない存在を次々に目の当たりする毎日。
社会人に入ってようやく他人からも、自分からもベースを認められるようになりつつある現在。
そんなことを思ったりしただけ。
2010/11/05
拡散していく朝
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